第5話 運命的な出会いとか、漫画の中だけだよね

 西暦2019年。4月2日。

 昨日、病的なまでに真っ白けな男が意識を失った後。私はさんざん迷った挙句、自分のベッドに寝かせることにした。すっごく重くて苦労したけど。男の人があんなに重いだなんて、知らなかったなぁ。

 いやだって、しょうがないじゃない。昨日は遅い時間だったし、秋山先輩や紬ちゃんに迷惑を掛ける訳にもいかない。

 それに、この男。気を失うまで私の名を呼び続けていたし。私の名を知ってるってことは、どこかで会ってる可能性だってある。


 ……あと。警察に通報するのだけは、絶対に避けたかった。なんだか分からないけど、それだけはしてはいけない気がしたんだ。


 私は朝ごはんを作りながら、未だ私のベッドで眠り続ける男の様子をこっそりと伺う。

 真っ白に染まった髪、病的なほどに白い肌。僅かに赤く染まった唇。

 見れば見る程人間とは思えない。まるで、どこか違う世界からやって来たみたい。


 「朝ごはん出来た、はいいけど。こいつ、いつになったら起きるんだろ?」


 私は2人分の朝食をテーブルの上に乗せながら、小さく愚痴を零す。

 今日の朝ごはんは、和食にした。ごはんに、豆腐とわかめのお味噌汁。冷蔵庫の中から偶然見つけたレトルトの肉じゃがと、だし巻き卵。うちのは砂糖を入れた甘いやつ。

 いい匂いのする朝食が傍にあると言うのに、男は一切起きる気配が無い。

 ほんの一瞬、本当に死んでるんじゃないかと思ってこっそり様子を伺っては見たのだけれど、規則正しく上下するお布団が男は生きていると教えてくれた。


 「ま、いっか。しばらくすれば起きるでしょ。いただきまーす」


 結局、それ以上考えても仕方ないと判断した私は、自慢の朝食に手を伸ばすのだった。

 当然、遅刻はしなかった。





 同年、同日。午前10時。

 私は紬ちゃんと事務仕事をこなしながら、家にいるであろう真っ白けな男のことを考えていた。

 一応、部屋の鍵は全部閉めてきたし、見られちゃまずいは見つかりにくそうな所に仕舞ってきた。

 4月とはいえ肌寒いから空調はつけっぱなしにしておいたし、冷蔵庫に1人分のお昼ご飯も用意しておいた。……あの男が冷蔵庫の仕組みを知っているかは、怪しい所だけれど。

 まあ、万が一の為に、炬燵の上に食パンとピーナッツバターとお茶のペットボトルを置いておいたから、それで我慢してもらおう。


 と、見ず知らずの男のことばかりを考えていると、紬ちゃんが呆れた様子で声を掛けてきた。


 「せんぱーい。さっきから上の空ですけど、なにかあったんですか?」

 「え? 私、そんなにぼうっとしてた?」

 「無自覚だったんですか……。先輩、私が声かけてもちっとも反応しないし、たまに溜息ついたりとかしてますよ」


 まじか。全然気づかなかった。

 けれども、紬ちゃんが指摘していたとおり、私が先ほどから手をつけていた仕事が少しも進んでいなかった。

 これはいかんと、私は頬を強めに叩いて気合を入れなおす。厄介事が舞い込んで来たのは事実だけど、目の前の仕事が疎かになるようでは話にならない。


 「先輩、もしかして風邪でも引きました? 最近流行ってるっていいますし、早めに帰った方が良いんじゃ……?」

 「違う違う。ちょっと家に大きい荷物が来てさ。それをどうするか悩んでるんだよね」

 「あー、そういう事ですか。分かりますそれ。ネットで頼んだ商品が思った以上に大きいと、どうしようってなりますよね」

 「そうそう、そんな感じ」


 嘘は言ってない、はず。

 でも、勘の鋭い紬ちゃんのことだ、これ以上話すときっと怪しまれる。

 そう思った私は早々に話を切り上げると、再び目の前のパソコン君と格闘する準備を整える。

 30分以内にこの仕事を終わらせて、その次は足りなくなった備品を購入するための書類を書いて、その次は――。

 お昼の時間帯に近づくにつれて忙しさを増す事務室で、紬ちゃんと共にひーこら言いながら目の前の仕事をこなしていく。

 そうしている内に、いつの間にか自宅にいるであろう男がどうしているかなど、頭の片隅から抜け落ちていった。




 午後6時45分。

 辛く苦しい労働から解放された私は、久々に市街地の商店街へと足を伸ばしていた。

 目的は、1個45円の揚げたてコロッケ。定年を迎えたご夫婦が経営している揚げ物屋さんが出している、一番人気の商品だ。

 学生時代は部活動の帰りとかに寄っていたのだけれど、社会人になってからは会社が反対方向にあることもあって、立ち寄る機会がなくなっていた。


 「ふんふんふーん。あ、いい匂い!」


 鼻歌を歌いながら商店街のゲートをくぐると、急にいい匂いが漂い始めた。

 焼き鳥屋さんから漂う焼き鳥の匂いとか、和菓子屋さんから漂う甘いお饅頭の香りとか。

 あちこちの匂いを堪能しながら歩いていると、鼻腔にお目当ての匂いが飛び込んでくる。そう、我が懐かしの、あのお総菜屋さんからの匂いが。

 標的をロックし、突撃をかける。お店の前には、主婦や学校帰りの学生が長い列を作っていた。


 「メンチカツ、5個ね。320円だよ」

 「おばあちゃん、アジフライ2つ!」


 カウンターでは、たった今揚がったばかりという商品を買い求めるお客さんをさばくおばあさんの姿が。

 名前は大久保ミチヨさん。おっとりした口調で、でもテキパキとお客さんを捌いていく姿は、昔から変わっていなかった。店主で夫の嘉満よしみつさんは、きっと厨房で大量の揚げ物をせっせと上げていることだろう。

 学生時代から、バイトも雇わずにたった2人でお店を切り盛りしてきたんだそうだ。

 何をするでもなく、ただ並んで順番を待っていると、長い列はあっという間になくなって私の番が来た。


 「いらっしゃいませ」

 「えっと、コロッケを、2つ」

 「はい、コロッケを2個ね。って、あなた確か、深山さんちの遥風ちゃん?」


 ええっ!?

 私はミチヨさんが私の顔を覚えていた事にびっくりして、思わず固まる。卒業してからはこっちに来なくなったし、絶対に分からないだろうなって思っていたのに。

 でも、向こうは確実に覚えていたようで、一人うんうんと頷いている。


 「あ、あの。憶えてるんですか?」

 「ええ、ええ。憶えていますとも。だってあなた、都立とりつ青豊せいほう高校こうこうに通っていたでしょう? それに、いつも部活帰りに私たちの店に寄って、メンチカツとコロッケを一つづつ買ってくれてたもの」

 「うええっ! 本当に憶えてるぅ!」


 私が大げさに驚くと、ミチヨさんはおかしそうに笑って、コロッケの入った袋を手渡してくれた。

 ――って、あれ? なんか、2個だけにしては、ちょっと重い?

 手に持った袋に違和感を感じて顔を上げると、ミチヨさんは小さくウインクして、「おまけですよ」って、言った。


 「そんな、いいんですか?」

 「いいですとも。うちの旦那ったら、いっつも作りすぎちゃって、閉店後の処分に困っちゃってるくらいなんだから」


 ……いいのかなあ?

 私は申し訳なさを感じて、商品ケースの上に置いてある青色のトレーに1000円札を乗せる。案の定、ミチヨさんはコロッケ2つ分の料金しか受けとってくれなかった。


 「あの、ありがとうございます」

 「いいのよ。私の方こそ、たくさん買って貰ったんだから。また着て頂戴、ね?」

 「はい。必ず」


 私はおつりを受け取って、大久保惣菜店を離れる。

 暫く会っていないにも関わらず、自分のことを覚えていてくれたミチヨさんに感謝するとともに、また来てと言われたことで、少しだけ心が軽くなった気がした。

 コロッケ3つ分の重さが増えたバッグを片手に、私はマンションのエントランスを抜ける。

 エレベーターを使い、3階へ。意気揚々と自分の部屋の前まで来ると、指紋認証、部屋を借りるときに予め登録しておいたナンバーを入力し、鍵を解除する。

 鼻歌を歌いながらドアを開けると――。


 目の前に、病弱なまでに真っ白な全裸の男が立ち尽くしていた。



 次回の投稿は、1月3日(金)の21:30を予定しています。

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