第4話 His name is――
卵型の壁の内側、さらけ出されたコクピットの中で土下座したまま動かない男は、この世の者とは思えないほど美しかった。
真っ白に染まった髪やまつ毛、シミやほくろなど一切無い、病的なまでに白い肌。私の知らない繊維を使って織られたのだろう、角度を変えるたびにほんのりと色が変わる、これまた白い軍服。
伏せられた表情を窺い知ることは出来ないが、きっと相当な美男子であることは想像に難くない。
だが、問題なのはそこではなかった。
私は、この男の名を知っていた。
彼の名はアトリア。
確か、みなみの三角座を構成する星の1つだったはず。最近、そこの近くで地球型の惑星が見つかったとニュースで話題になっていた。しかも、水が大量にある可能性があるから――って、今はそんな事を言っている場合じゃない。
アトリアは未だ、露わになった操縦席で土下座の体勢のまま、動かない。
部屋の中に響くのは、時折ぷしゅーっと音を立てる卵型の機械と、クーラーの動作音。
――もしかして、死んでいるんじゃなかろうか?
そう思って、フライパンをいつでも振り下ろせる体勢でにじり寄ったその瞬間!
ガバッっと音がしそうな勢いで、アトリアが顔を上げた。
「うぎゃあっ!」
私は女子力の欠片も無い悲鳴を上げながら、部屋の隅っこまで避難する。
アトリアはそんな私に一切反応することなく、のっそりとした動きで胡坐をかくと、首をコキコキと鳴らして大きく伸びをした。
それよりも。
――ああ、やっぱり。伏せられていて、伺うことの出来なかったアトリアの顔は、私の想像した通りのものだった。
キリっと整えられた眉に、少し釣り目がちの目。僅かに金色がかっている瞳には、うっすらと青い一筋の線が流れている。
鼻はそれほど高くもなく、かと言って低いという訳でもない。真一文字に結ばれた唇は僅かに赤く、肌の白さと相まって少しばかりエロチックに感じる。
顔立ちは日本人に似ているのに、決定的に違っている。知らない顔だというのに、アトリアを見た途端、私はどうしようもない程の懐かしさで胸がいっぱいになり、彼の名を呼びたくなった。
それは、アトリアも同じだったようで。
「――
「っ!」
アトリアは、少しばかり低いバリトンの声で、私の名を呼ぶ。その声が、余りにも優しくて、懐かしくて、悲しくて。
私は手に持ったフライパンを放り出して彼に近づくと、しゃがんでアトリアに目線を合わせた。
「うん。私、遥風だよ。あなたは、アトリア?」
「アトリア……。ああ、そうだ。それが、俺の名前」
アトリアはふらふらと揺れる頭を振って、自分の名前を呟く。
意識が朦朧としているのは、きっと負荷の大きい時間旅行を行ったせいだろう。彼の瞳に走る青い線が、それを物語っている。
その線は、人類が三次空間世界の制約を超えて空間を行き来した証。《そらのゆりかご》によって刻まれる、罪科の刻印。
そこまで考えて、私はゾッとした。
どうして、そんな考えが浮かんだのだろう?
どうして、知らなくていい世界の理まで知っているのだろう?
どうして、目の前にいるこの男が、時間を超えてこの場所に現れたと知っているのだろう?
「え? なんで、私……っ!?」
「遥風?」
私は急に恐ろしくなって、目の前の男から後退った。
ついさっきまであんなに熱かったはずの左の薬指から、急激に熱が失われていく。それだけじゃない。
私の頭の中から、大事な記憶が抜け落ちていく。アトリアとの出会い、彼と過ごした日々、彼から教わった世界の真実、やがて来る別れ。
私にとって大事なものすべてが、まるで砂時計の様に急激にぬけ落ちていった。
今はただ、目の前にいる全身真っ白けの不審者が怖くてたまらない。
「やだ、ちょっと何よこれ。怖い、怖いよっ――」
「……待て、まってくれ。遥風、はる、か……」
通報しようとスマホを起動した私に、さっきまで蹲っていた男が待ったをかける。
体が思うように動かないのか、這いつくばったままで私に手を伸ばし。
そして、私の名前を必死に呼んだまま、意識を失った。
次回の投稿は、12月27日(金)の、21:30を予定しています。
追記:予約投稿のし忘れにより、予定時刻を過ぎた投稿になってしまいましたことをお詫びいたします。
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