第3話:君の顔がみたいから

「今日は写生にしよう」

 美術の先生はそう高らかに宣言した。

 先生の頭は天然パーマだ。鳥の巣みたいになった髪の毛に丸メガネ、背の高さは僕と同じくらい。

 先生はいつも白衣を羽織っている。美術の時間は絵の具を使ったり粘土を捏ねたり色々するので服が汚れないようにという配慮だろう。

 もっとも、先生のツイードのジャケットはもうヨレヨレで、あんまり配慮する必要もなさそうだったけど。

「人物画にしよう」

 先生は今思いついたかのように付け足した。

「クラスの誰でもいい。仲良しの子とお互いに似顔絵を描き合うこと。場所はどこでもいいぞ、校庭でも屋上でも。でもいなくなったらダメだ」

 男女で組んだらいなくなる奴いそうだな。体育倉庫に隠れたりして。

「使う道具はペンにしよう」

 先生はさらに付け足した。

「鉛筆はダメだ。鉛筆だと将来マンガ家になれない。鉛筆で下書きしてもいいけど、提出はペン画じゃないと受け取らないからな。サインペンでもいいけど、Gペンだったら先生が特別加点してやろう。Gペンはそこにおいてあるぞ」

 うわ。いきなりハードル上がった。Gペンって先生、なんで美術の授業がマンガ教室になってるのさ?

「男女で組んだらさらに加点な。女子を書いた絵が上手だったら先生の部屋に飾ってやろう。男子の絵は、まあ、持って帰れ」

 さらにハードル上がった。たっか。ハードルたっか。


 こういう時に勢いづくのは漫研の連中と美術部の連中と相場は決まっている。

 先生が解散を宣言すると、早速美術部の連中が先生のところに質問に行った。

「先生、ペンじゃなくて筆でもいいですか?」

「おお、いいぞ、筆でも。しかしお前ら、筆で人物画描くのか? 安彦良和先生みたいだなあ」

「筆の方が慣れてますから……」

 漫研の連中はもう散っていったようだ。漫研には女子もいるから題材には事欠かないのだろう。

「ん?」

 と、僕は袖を引っ張られて振り向いた。

 マミだ。

 マミが猫みたいな顔をして僕の袖を引っ張っている。

「じゃ前田くん、行こう?」

 マミは当然のような顔をして僕の手を取ると、美術教室の外へと歩き出した。

「あ、あのさ、マミ? どこへ行くの?」

「校庭に行きましょ? ここで描いても暗いし、屋上じゃあつまらないし」

 そう言いながら僕の手を引っ張り、弾むように歩いていく。

「お? 前田やるな」

 すぐに先生は僕たちが一緒に歩いていくことに気づいたようだ。

「ほう、前田は岡崎と組むのか。お前ら、不純異性交友とか禁止だからな!」

 先生は僕たちが手を握り合っていることを見て取ると、手を振って元気よく送り出してくれた。

 先生、こういう時は止めるのが教職の務めです……。


+ + +


 マミは僕の手を握ったまま、校庭の片隅の方へと僕を引っ張っていった。

 なんかやけにやる気になっている。張り切って歩いている。

「あのさ、マミ」

 少し困って僕はマミに話しかけた。

「なに?」

「マミは僕なんかで、いいの?」

「だって、わたしたち仲良しだよね?」

 マミは振り向くと、鼻白んだように僕に言った。

 まるで当然じゃんとでもいった雰囲気。

「う、うん」

 引っ張られながら僕は頷く。

「じゃあ、いいじゃん」

 マミは一人で納得すると、校庭の隅の桜の木の下に腰を下ろした。

「じゃあ、ここでやりましょ?」

 画板を膝の上にのせ、上のクリップでケント紙を挟む。

「うん」

 僕もマミの向かいにあぐらをかくと、持ってきたペン入れのジッパーを開けた。

 中に鉛筆は入っていない。中に入っているのはシャープペン、消しゴム、それにボールペンだけ。

(何か借りてくればよかったな)

 まあ、いいか、ボールペンでも。


「んー」

 マミが一丁前いっちょまえの画家みたいに鉛筆を前にかざしている。縦に持ったり、横に持ったり。

「構図が大切なのよねー」

 やけに重々しくマミが言う。

 でもその鉛筆は青鉛筆だった。

「マミ、それ青鉛筆……」

「前田くん、知らないの?」

 マミはニヘラっと笑った。

「青鉛筆だと印刷に映らないんだよ。コピーとかすると消えちゃうの。だから大丈夫」

 マンガ家豆知識か。

「へー」

「前にね、マンガ家志望の人とちょっとだけ付き合ったんだ。モデルとかやってたんだけど、その時に覚えたの」

「ふーん」

 文系にも手を出すんだ。ストライクゾーン広いな。

「そういえばマミ」

 僕はマミの顔の輪郭を描きながらマミに訊ねた。

「ん?」

「この前の彼とはまだ、続いているの?」

 写生の時間は間が持たない。手を動かしながら僕は勇気を奮い起こしてマミに聞いてみた。

「この前の彼って、どれ?」

「ほら、駅向こうの高校の、背が高い彼」

「あー、ユウキくんね」

 マミはニッコリと笑った。

「ユウキくんとはもう別れたよー」

「別れたの?」

「セーカクのフイッチって奴かなー。ユウキくん、なんだか変なものばっかりくれるんだよね。銀のネックレスとか、変な色のハンカチとか、ピアスとか。わたし、痛いの嫌だから耳に穴開けてないんだけど、そうしたら穴開けに行こうだって。あり得ない。それですぐにお別れしちゃった」

 ピアスは、地雷と。

「へー、そうなんだ」

 僕の画板の中でマミの顔が組み上がっていく。

 マミの唇は上品に薄い。

 鼻はあんまり高くないけど、小さくて可愛い。

 目は大きい。吸い込まれそうだ。

「じゃ、今は?」

「彼氏はいないよー」

 マミも忙しそうに手を動かしながら僕に答えて言った。

「いないの?」

「うん」

 と頷く。

「わたしもね、ちょっと真面目になろうかな、なんちゃって」

 そう言いながらピンク色の舌を覗かせる。


 そうか、いないんだ。


 今日のマミは水色のリボンでポニーテールをまとめていた。

 やっぱりマミにはパステルカラーの方がよく似合う。

 と、マミは顔をあげた。

「前田くんは? その後、彼女できた?」

「できるわけないじゃん」

 少しムッとする。

 僕はクラスではどちらかというと目立たない方だ。メガネかけてるし、背の高さも平均だし。平和を絵に描いたような性格だし。

「ふーん、そうなんだ」

 ふと、マミが微笑んだような気がする。

 だがすぐにマミは真面目な顔に戻ると、僕の顔を見つめたり手を動かしたりして写生を続けた。


 夕方頃、僕たちは描いた絵を見せ合った。

 僕の絵は我ながら上手に描けたと思う。なんと言うか、マミの可愛さがにじみ出てる感じ?

「うわ、あり得ねー」

 でもそんな僕の自信作をマミはケチョンケチョンにこき下ろし始めた。

「わたしの目ってそんなに大きくなくない? それじゃあメガネザルだよ。それにさー、その鼻小さすぎ。わたしの鼻、もう少し尖ってるよ。だいたい髪の毛ずれてるじゃん? ズラ? ズラなの?」

「うるさいなー。マミの絵だってひどいじゃん。ピカソの真似なの? それ」

 マミの絵はどちらかと言うと抽象画だった。目の大きさ違うし、耳の位置ずれてるし、そもそもメガネ掛けてないし。

「うっさいなー」

 と、マミは僕の画板に手を伸ばすと、せっかくの傑作をスイッと奪い取ってしまった。

「これは没収ね。わたしが闇に葬っておきます」

「え、ダメだよ。提出する絵がなくなっちゃう」

「もう一枚描けばいいじゃん。へのへのもへじとか」

 マミは僕の絵をくるくると丸めると、それをリレーの選手のように持って校庭を逃げ始めた。

「返して欲しかったら捕まえてみー、永遠の体育2!」

「マミ、ダメだよ」

 オレンジ色の夕日がマミと僕の長い影を校庭に描く。


 子供の頃は追いかけっこをしてよく遊んだ。

 マミが逃げる方、僕は追いかける方。

「へっへー、こっこまでおいでー」

 僕の絵を持ってマミが逃げる。

 暮れる夕日を浴びながら、マミが子猫のようにピョンピョン跳ねる。

「ま、待って〜」

 僕は必死で追いかける。

 結局美術の先生が呼びに来るまで、僕たちはいつまでもそうやって校庭を走り回り続けていた。

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