シーン11 電車とパン
同級生の惣菜店を出て少し歩くと商店街の中心地に駅が見えてきた。
元々、この駅が建てられた頃に駅前の再開発が行われたもので、今のような形になったのは戦前のことだ。
当時は多くの買い物客で賑わい週末ともなれば歩行者天国になるほどの盛況ぶりだったと聞いている。
現在は一部の個店を除いてシャッターを閉める店の数も目立ってきた。
時代の流れなので仕方がないことだが、郊外に進出した大型量販店に客を奪われて大変苦戦をしている。
中には商店街を再び盛り上げようと活動する若者たちのグループもあり、惣菜店を切り盛りする古田もそのメンバーの一人なので今後の活躍に期待したい。
駅舎を眺めているとちょうど下り線から電車が入ってきた。
今日は休日ということもあって学生たちの姿はほとんどなく休日を楽しむ家族連れや長年連れ添った夫婦たちの姿が目立つ。
「早雪は電車に乗ったことがあるかい?」
「電車とはあの動く鉄の箱のことでしょうか?」
「動く鉄の箱か。確かにいわれて見ればそうかもしれないけど、あれは電気で動く乗り物だよ」
「電気というのは冬になるとパチッと嫌な音を立てるアレですか?」
「うーん、まあ、そんなところかな。厳密にいうとあれは静電気っていうから違うんだけどね」
早雪の認識では電車は動く鉄の箱ということになっている。
確かに電車の知識がなければ鉄の箱がレールの上を走っていると考えても不思議ではない。
僕自身もあれが電車だと教えられてきたので別の物で例えるという考えにはならないが、彼女のように人間の世界から離れて生活していればそんな考えになるのだろう。
そもそも長距離の移動でもない限り電車に乗る機会はほとんどない。
学生時代はこの電車に乗って二駅離れた町の高校まで通っていたが、今では職場が徒歩で行ける場所にあるため電車は不要だ。
「ヌシ様、あれはなんでしょうか?」
「ああ、アレはパン屋だよ」
「とても美味しそうな匂いがします」
「じゃあ、ちょっと寄ってみようか」
どうやら早雪はパン屋が初体験らしい。
いくら人間の姿になれるからといって人間の店で買い物をするようになったのは僕と生活を始めたつい最近のことだ。
そもそもアヤカシの身体はあまり食べ物を必要としない構造になっているらしく、一週間に一度の食事で事足りるのだとか。
最低限の食事さえしていれば何の支障もないようだ。
彼女の場合も同様ではあるものの、本人が望めば人間と変わらない程度の食事をすることも可能らしい。
ちなみに最近は僕が作る食事が気に入ったらしく毎日三食欠かさず食べている。
そんなことを考えながらパン屋のドアを開けると早雪は目を大きく見開いた。
「ヌシ様、ここは天国ですか!?」
「大袈裟だな。そんなに気に入ったのかい?」
「棚いっぱいに美味しそうな匂いがしています」
「ここのパンは焼きたてだからね。コンビニで買ってくる袋入りのパンとは一味違うよ」
早雪自身、これまでに何度かパンを食べたことはあったがここまでの反応を示すことはなかった。
店内に漂うパンの香りが彼女を虜にしているのが分かる。
この店は地元でも有名な人気の店なので味の方は間違いがない。
オーナーは本場のフランスで修業の経験もあるその道のプロだ。
気が付くと彼女は僕の服の裾を引っ張って催促をしていた。
「はい、じゃあ、まずはトレーとトングを取って」
「これでしょうか?」
「うん、正解。じゃあ、次は気に入ったパンをトレーに取っていくよ」
気分はまるで幼稚園の先生をしているようだ。
小さな子どもに何かを教えるというのはこんな気持ちなのだろうか。
普段は当たり前にしていることを一つ一つ確認しながら早雪に教えていく。
彼女も周りに視線を配りながら他の客の動きをマネようとしていた。
この順応力の高さはこれまで長い年月を生きてきた結果だろう。
洞察力が鋭いため一つ教えれば全てを理解している様子だった。
もしかすると僕の考えを神通力で読み取ったのかもしれないが、その辺りは勘繰っても仕方がないので考えないことにしておく。
早雪はパンを選ぶのに夢中になっている。
中でも興味を示したのは甘い香りのするスイーツ系のパンだ。
「これが美味しそうです」
「うん、新作って書いてあるね。へえ、期間限定か」
「橙色の何か乗っていますね」
「あれはたぶんジャムじゃないかな。色からして柑橘系だろうけど…ああ、ここにマンダリンオレンジを使ったジャムのパンって書いてある」
商品を目立たせるために書かれたポップにはパン職人こだわりの謳い文句が躍っている。
期間限定ということもあって他の客のトレーにも同じパンがいくつも乗っていた。
限定という言葉には弱いため試しに買ってみようと思う。
続いて定番のメロンパンやクロワッサンなどをトレーに載せつつ惣菜パンのコーナーに移動をした。
こちらは学生時代に大変お世話になったコロッケパンや焼きそばパンなどハイカロリーなメニューが並んでいる。
学校帰りに立ち寄って仲間たちと惣菜パンを食べたのは良い思い出だ。
「ヌシ様はこういったパンがお好きなのですね」
「昔はよく食べたからね。男子学生なら嫌いな人は居ないと思うよ」
「こちらのパンは変わった形をしています。串が刺さっていますね」
「ソーセージパンだね。これも美味しいよ」
「食べてみたいです」
早雪の旺盛な食欲によりトレーの上はパンでいっぱいになった。
普段は一人で食べきれる量を買うため四、五個買えば十分なのだが今回はその倍近い数が並んでいる。
二人で食べればシェアもできる楽しみもあるので楽しみだ。
レジで会計を済ませる途中で隣の冷蔵庫から紙パックの飲料も追加で購入した。
これからこのパンを持って向かいたいところがある。
「さて、このパンは景色のいいところで食べようか」
「景色の良いところですか?」
「うん、定番スポットだけどね。今日は天気がいいからちょうどいいと思って」
これから向かうのは街を見下ろす高台に作られた公園だ。
元々、公園がある場所には当時の権力者を埋葬した古墳があり、地元の人間は古墳公園という愛称で呼んでいる。
ちなみに本当の名前はもみじの森公園というらしい。
名前の由来は公園内に数多く植えられた楓でその数は百本を超えるといわれている。
秋には紅葉を楽しむ人が多く訪れるスポットとしても有名だ。
そんな公園は駅の北側に位置している。
北側へは地下道を潜って反対側に出ればいい。
歩いても十数分の距離なので散歩にはちょうどいいだろう。
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