シーン10 デート
今朝の早雪はいつもより機嫌が良かった。
これから彼女の希望を叶えるために外出の予定だ。
一応、世間では男女が約束をして遊びに出かけることをデートと呼ぶらしい。
これまでに近所へ買い物に行く程度の外出は何度か経験しているものの、それ以外の目的で外に出るのはこれが初めてだ。
この企画の発案者は早雪だが行き先は僕が決めている。
最初はデートの経験もないためどこへ行こうか、何をしようかと戸惑っていたが、普通に外出できればそれで良いらしい。
いろいろ思案した結果、普段生活している街を散策することに決めた。
「ヌシ様、忘れ物はありませんか?」
「うん、大丈夫」
「では、参りましょう!」
戸締りの確認をして二人で街へと繰り出した。
街といっても地方の中核都市なので東京などの大都会に比べればそこまで発展しているとはいえない。
それでも生活に困ることはないので住みやすい街だと自負している。
路地を一本入れば閑静な住宅街が広がり数年前から人口が少しずつ増えているようだ。
街の北部を幹線道路が走っているので人や物の出入りも盛んに行われている。
全国的には人口が減少傾向だといわれているがこの街には無縁のことのようだ。
主な産業は街の南部に位置する大手製紙工場で関連企業が市内に点在している。
僕が勤める会社もそんな大企業から少し仕事をもらっているが直接の子会社というわけではない。
今の社長はアイデアマンな一面があり、社長に就任する前は開発部で独自の商品を作っていた。
現在はそちらの事業が好調で百貨店やホームセンターなどの量販店で自社の便利グッズを販売している。
今のところ水周りで使用する製品が主力だが今後は子ども向けの商品も開発するらしい。
たまに近くのホームセンターで自社商品が売れているところを見ると仕事のやりがいにも繋がる。
「この道はいつも通りますね」
「駅に行くのも便利だし、街灯もちゃんと設置されていて夜も安全だからね」
「昔とはだいぶ風景が変わってしまいました。時の流れというのは恐ろしいものです」
「早雪は今までどこで暮らしていたんだい?」
歩きながら早雪の身の上話に話題を切り替えた。
彼女はあまり積極的に過去の話をしようとはしないが、こちらから問いかければ大抵のことは教えてくれる。
本人は自分の話よりも僕の話が聞きたいという節があり、それが影響しているようにも思えた。
「大きな戦争が始まる前はここから山を二つ越えた森の中で暮らしていました。人の姿がほとんどない場所だったので私のようなアヤカシには過ごしやすい場所でもあります」
「それからこの街へ?」
「いえ、何度か住処を変えながらこの街へ流れてきたのは一年ほど前になります。最初は居場所がなくて窮屈な場所でしたが今はヌシ様がいますので心地よい場所ですよ」
「その話だと一年くらいは大変な思いをしてきたっていうことだよね?」
「そうですね、人目を忍んで住処を転々としていました。そんな時、あの者に襲われたのです」
あの者というのは早雪に大怪我を負わせたアカヤシのことだ。
今ではすっかり傷も塞がり足の調子の問題ない。
彼女によればアヤカシは近くにいると姿は見えなくとも気配を感じるようだ。
船に搭載された魚群探知機のようにおおよその位置を感じ取る程度なので相手が誰なのかということまではわからないらしい。
アパートに居る間も何度か遠くで気配を感じたことはあるらしいが、その相手が彼女の元へ近付いて来るということはなかった。
アヤカシは基本的に争いを好まない者が多いらしく、縄張り争いなどどうしても引くことの出来ない場合を除いて干渉することはほとんどない。
「早雪を襲ったっていうアヤカシ、あれから気配は感じていないんだろう?」
「はい、今のところは。そもそもあの者が縄張りにしている地域とヌシ様の家とでは少し距離がありますから平気です」
「その気配を感じ取れる範囲っていうのは決まっているのかい?」
「そうですね、私の場合はおよそ百間くらいでしょうか」
間という単位は最近あまり使われていないので馴染みがない。
建築の仕事をしていれば触れる機会もあるだろうか。
ちなみに百間というのは約百八十メートルに相当する。
ただし、建物などの障害物があった場合は多少の誤差が生じるようだ。
「その距離だと結構アンテナに引っかかりそうだな」
「基本的にそれが原因で争いが起こることはありません。ただ、何故このようなことが分かるのか、どのアヤカシに聞いても分からないといっていました」
「今の話だと、無駄な争いをしないためかな?どちらにしても不用意に近付かなくていいなら助かるんじゃないか。おっと、目的地が見えてきた」
話をしながら歩いていると目的地が見えてきた。
視線の先に見えるのは駅前から東西に続く商店街だ。
かつて商店街といえば生活を支える上で重要な場所だった。
しかし、現在は郊外に大型の駐車場を構えたスーパーマーケットやホームセンターなどが進出してかつての賑わいは失われている。
それでも人気の店というのは今も元気に商売を続けており根強いファンも獲得しているようだ。
たとえば商店街の中ほどにある精肉店は取り扱う商品がプロ御用達だったりもするが、人気商品は昔ながらのコロッケやハムカツといった揚げ物惣菜だったりする。
僕も子どもの頃から食べていた味なのでたまにどうしても食べたくなるから不思議だ。
他にも威勢のいい店主が客引きをすることで有名な八百屋は商店街の活気に華を添えている。
最近ではシャッターが降りた店を若者が借りてオシャレなカフェや美容院などを開業することで新しい人の流れも出来ているようだ。
「商店街ですね」
「そう、昔はここが遊び場だったんだ。今は走り回ったりしないけどさ」
「ヌシ様と出会う前に近くを通ったことがありますが、こうして人の姿でゆっくり歩くのは初めてです」
「そうなんだ。そうなると、たぶんあの店が…」
言葉の途中である店から視線を感じた。
そちらへ身体を向けると頭にタオルを巻いた若者がこちらを凝視している。
どうやら見つかってしまったらしい。
そもそも着物姿の早雪と一緒では目立たない方が不自然だ。
身体を視線の主に向けたことで完全に素性がバレてしまった。
「おーい、狭山!」
「ヌシ様、呼ばれていますよ?」
「うーん、アイツか。暇そうだから声を掛けてきやがった」
「お知り合いですか?」
「うん、同級生だよ。あの店は実家の惣菜屋さ」
僕を呼ぶ若者の名前は古田という同級生だ。
彼の実家は戦後の闇市から続く惣菜店で商店街の中では最古参の店でもある。
彼のところで売っている惣菜は昔から人気がありテレビでたびたび取材もされている有名店だ。
満面の笑みで手招きをされているのでこのまま無視して立ち去ることもできない。
仕方がないので彼の店へ立ち寄ることにした。
「狭山が女連れとはビックリしたぞ!」
「相変わらず声がデカイな。お前だって嫁さんと毎日一緒だから珍しいものでもないだろう?」
「ウチの嫁は俺に惚れているからな。それに今は子育てで忙しい」
「パパになってから一段と声が大きくなって噂を聞いたけど本当だったんだな」
「乳飲み子を養っていくんだ、仕事に熱を入れないといけないだろう?ほれ、こいつが新作のカボチャとレンコンを使ったきんぴらだ」
そういって惣菜の試食を差し出してきた。
この店は大きなトレーやバットの上に惣菜を並べる昔ながらの方法で商売をしている。
そのためあらかじめパック詰めされた商品とは違い、少量から買うことができるので一人暮らしにはうってつけの店だ。
実際、一人暮らしを始めてから何度かこの店を利用しているので常連といっても差し支えない。
差し出された新作の惣菜を口に運びながら店先に並んでいる商品を見た。
まだ時間が早いので全ての商品が出揃っているわけではない。
開店時は定番商品や昼食で人気の惣菜や弁当などが主力商品となる。
午後からは夕食需要に合わせた揚げ物や煮物などが中心となり、一日で商品が何度も入れ替えながら客の要望にも細かく対応している。
「ん!?ウマイな、このきんぴら」
「そうだろう?俺が考えたんだ!」
「相変わらずだな。確かにオヤジさん譲りで腕がいいのは認めるよ」
「日々、新商品のことを考えるのも仕事の一つだ。それより、そちらの美人は?見かけない顔だな」
ようやく古田は早雪に興味を持った。
基本的に仕事のことと家族のことしか頭にない。
そんなところは結婚してから変わらず続いているので今後も変わることはないだろう。
「早雪と申します。以後、お見知りおきを」
「早雪ちゃんね。若いのに着物とは粋だな」
「あまりジロジロ見るなよ。見世物じゃないぞ」
「こんな美人が歩いていたら誰だって振り返るぞ?」
「ま、まあ、そうか」
「謙遜はしないんだな。でも、本当に美人だからその反応が正しいのかもな」
「古田さんはお上手ですね」
「いやいや、本当のことですよ。よし、狭山!こんな美人を連れて来たんだ、何でも好きなものを持って行けってんだ!」
古田は勢いでとんでもないことを言い出した。
勢いがつくと何故か江戸っ子気質のような口調になるから見ていて面白い。
昔からお人よしの一面もあるので相変わらずといえばそれまでだが、それにしても商売に支障が出るのではないかと心配になる。
断ろうとしたが一切引こうとしなかったため、あとから立ち寄ることを約束して店を離れた。
商店街へはまだ来たばかりなのでなるべく荷物を持って歩きたくはない。
事情を説明すると古田は納得したように頷いていた。
元々、今晩の夕食は彼の店で調達しようと思っていたので都合が良い。
幼馴染の好意に感謝をしつつ商店街の中心にある駅を目指した。
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