シーン9 人間味

 二人の生活が始まってそろそろひと月になる。

 最初は戸惑うことや赤面することも多かったが、今ではその回数も減ってはきているのでこの生活にも順応しつつある。

 ただ、時より不意を突く形で動揺を誘われる場面もあるため完全に順応出来ているとは言い難い。

 それでも当初よりは着実に進歩をしているので、人間が本来持っている順応力の高さに我ながら感心している。

 早雪も当初に比べればいろいろと変わってきたことがある。

 最近ではほとんどの時間を人の姿で過ごすようになった。

 これは本人の慣れによるもので、人の姿の方が僕に対するウケが良いことも学んだらしい。

 そもそも心の中を覗き見ることが出来るため考えていることは相変わらず筒抜けだ。

 

 ちなみに彼女が願いを叶えるといって結んだ主従契約は現在も解約されないまま継続されている。

 こちらとしては主人だからといって彼女を使用人のように扱うつもりはない。

 しかし、彼女は何故か積極的に身の回りの世話をしたがるので困りものだ。

 この辺りは猫としての自由奔放なイメージとは違っている。

 この勤勉さは元々本人が持っている気質なのだろうか。

 しかし、こちらとしては一人暮らしが長かったこともあり家事については一通りこなすことができる。

 掃除や洗濯は言うに及ばず料理も簡単な物なら作ることも可能だ。

 そのため基本的には彼女の手を借りなくても困ることはない。

 家事についていえばこの先も文字通り猫の手も借りたくなる忙しさとは無縁だろう。

 困り事といえば夜な夜な隙を見てベッドを侵略に来ることだ。

 何度いってもこれだけは約束を守ってもらえない。

 寝ている間は主従関係というものの効力は発揮されないのだろうか。

 本人に聞いても茶を濁すような言葉しか聞かれないので理由は分からず仕舞いだ。

 最近はあまり気にせず眠ることができるようになってきたが、当初は寝不足になり仕事にも多少の支障が出ていた。

 この点においても人間の順応力というのは感心するものがある。

 彼女もあまり生活に支障が出るような時は夜伽を自重しているので、空気を読んだ確信犯であることは間違いない。

 生かさず殺さずの微妙なところ突いているようだ。


 日中、僕が仕事に行っている時は基本的に家で大人しく留守番をしている。

 元々、一人暮らしのために借りたアパートなので二人での生活は想定されていない。

 その問題を解決する最良の方法は彼女が猫の姿に戻ることだ。

 あまり広くない部屋でも猫の姿であれば十分にスペースを確保することができる。

 通常ではありえないことだが彼女がアヤカシであるが故に為せる力技のようなものだ。

 どちらにしても彼女が一人居るだけで生活が明るくなったのは確かだった。

 

 「なあ、狭山って最近彼女でもできたのか?」

 「ブッ!?」

 

 突然、同僚の川崎が思いもよらない言葉を口走った。

 ここまで盛大に噴出したのは過去に記憶が無い。

 噴出した口元をハンカチで拭いながら動揺を隠すように一つ咳払いをした。

 彼とは普段から仕事の話ばかりをしているのでプライベートな話をする機会はほとんどない。

 入社以来ずっとその関係は続いてきたため今回のやり取りは予想外のものとなった。

 

 「その反応、図星か?」

 「な、何だよ急に!?」

 「何だよじゃないよ。お前のそんなにやけ顔を見せられたら誰だって察するだろう?」

 「…え?」

 「お前、自覚ないのか?」

 「あ、ああ、すまん…」

 

 川崎はまるで可愛そうな子どもを見るように寂しそうな顔をしている。

 彼は基本的に感情が豊かな性格で人当たりも良い。

 社内での評判もなかなかで彼の悪口や批判などは聞いたことがなかった。

 入社当時も僕が社長と仲良く話している時に他の同僚たちは陰口を叩いていたが、彼はそんなことをする同僚たちをなだめる役に回っていたようだ。

 彼が調整役を果たしているおかげで社内の雰囲気が正常に保たれているといっても過言ではない。

 特別仕事が出来るタイプではないが潤滑剤としての役割において彼の右に出る者はいないだろう。

 上司も彼には一目を置いているらしく仕事終わりにはよく飲み会に誘っている。

 僕は彼のように振舞うことはできないが、その点において多分に尊敬をしているところだ。


 「うーん…初めての彼女と見た!」

 「…はい?」

 「いや、だからさ、生まれて初めて彼女が出来たヤツの顔だったぞ」

 「ど、どうしてそれを!?」

 「はい、引っかかった。ご苦労さん」


 川崎はいたずらっ子のような笑みを浮かべた。

 どうやら誘導尋問に引っかかってしまったらしい。

 今さら取り繕うことはできないので素直に白状することにした。

 もちろん早雪の素性は隠しておかなければならない。


 「ま、まあな」

 「それで、いつから?」

 「そろそろ一ヶ月かな」

 「ふーん、そういえば一ヶ月前って猫を拾ったって言っていた頃だろう?まさか、猫関係?」

 「…え?」

 「あ、これも図星なんだ。お前、ホントに分かりやすいな」


 川崎は一人で納得したように小さく頷いている。

 彼は超能力者なのだろうか。

 そんなことを考えてしまうほど心の中を見透かされている気持ちだ。

 ただ、早雪と違って全てが筒抜けというわけでもなく、言葉やちょっとした仕草から推測しているのだろう。

 どちらかといえばテレビドラマで見るような年季の入った取調官のようだ。

 

 「そんなに分かりやすかったか?」

 「お前さ、仕事中はポーカーフェイスだろう?仕事の鬼っていうか、クソが付くほどのマジメじゃん?」

 「鬼とまではいわないけど、真剣にやっているからな」

 「そんなお前がだよ、仕事中にニヤニヤしてるんだぞ?周りだって不審に思うさ。まあ、自覚はなさそうだな」

 「周りも?」

 「上司からもお前のことを探って来いって耳打ちされてるんだよ。まあ、確認する前から大体の予想はついていたし、仕事の方も遅れてないみたいだから、あとで適当に報告しておくさ」


 ここでも社内の調整役として重宝される川崎の片鱗を垣間見た気がする。

 彼自身は何か特別な能力を使っているわけではなく普段と変わらないやり取りの延長だ。

 彼から見れば僕が不審者にでも映っていたのだろうか。

 そうでなければ彼が突然こんな話をするとは思えなかった。

 上司からも不審に思われているようなので、面倒な火消し役を自ら買って出てくれたのかもしれない。

 

 「悪い、気をつけるよ」

 「別にいいよ。上司だって不思議には思っていたけど、何だか最近人間味が出てきたんじゃないかって、ちょっと喜んでたし」

 「上司が喜ぶ?」

 「さっきも言っただろう?仕事中のお前は仕事の鬼みたいだって。あれってさ、受け取り方によっては近寄り辛いんだよ。後輩だってよほどのことがないと話しかけてこないだろう?俺はお前のことを分かっているつもりだから気にしないけどさ」

 「そうだったのか…」

 「やっぱり自覚がないんだな。まあいいや、それじゃあ俺は持ち場に戻るからあまり変な行動は起こさないでくれよ」


 川崎は満足したように席へ戻っていった。

 その横顔はどこか誇らしそうに見える。

 彼自身、昨年結婚をして今は一児のパパだ。

 結婚式にも参加をしていて本当に多くの仲間が彼の祝福に駆けつけていた。

 普段から付き合いの広い人物だと思っていたが、想像していた以上の来場者の数が多く、正直驚いたのは記憶に新しい。

 中には取引先の部長や海外に住んでいるという同級生の姿もあった。

 家に帰れば奥さんとまだ幼い子どもが待っている。

 家庭と仕事の両立が大変なことくらいは僕にでも容易に想像はできるものの、彼は周りに苦労を一切見せることがない。

 どこか飄々とした印象さえある。

 

 「狭山君、ちょっといいかな?」

 

 しばらくして声を掛けて来たのは社長だった。

 普段は社長室に篭っているためあまり現場に顔を出すことはない。

 それでも定期的に現場を回って社員たちの仕事ぶりを確認している。

 父親と同級生ということもあり、幼い頃からお互いによく知っている間柄だが、仕事中においては雇用主と従業員という関係は他の社員たちとまったく変わらない。

 同級生の息子だからといって贔屓をしないのは他の社員たちに不信感を与えないためだ。

 社長なりの気遣いには感謝しているのでこちらも精一杯応えたい気持ちで仕事に励んでいる。


 「はい、何でしょうか?」

 「仕事は問題ないかな?川崎君からも少し話は聞いたが、何でも彼女が出来たんだって?」

 「え、ええ、まあ…」

 「いいことじゃないか、お父さんには紹介したのかい?」

 「いえ、まだです」

 「そうか、そうか、こういうことは早い方がいい。いろいろと期待しているよ」


 社長はポンと肩を叩いてそのまま社長室へと消えて行った。

 それだけを伝えるためにわざわざ現場まで足を運んで来たようだ。

 元々面倒見の良い社長だが今回のことを心配していた節がある。

 そうでなければ川崎の報告を受けてすぐに飛んで来るとは考え難い。

 社長の背中を見送って心の中で感謝をした。

 最初は縁故で入社をした会社だったが今ではこの会社しかないと思って働いている。

 出来る限り会社へ貢献することが社長への恩返しだ。

 気持ちを引き締めるため頬を両手で強く叩いた。

 この時、この乾いた音が現場に響き渡ったおかげで他の社員たちは驚き、後からこっそり上司の注意を受けたのはまた別の話だ。

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