シーン7 彼女らの秘密

 早雪は昼食を食べ終えるとベッドへと戻っていった。

 この部屋のどこよりも居心地が良いらしい。

 一つ伸びをすると黒猫の姿に戻って布団の上に腰を下ろした。

 猫の姿は身軽というだけあって人間の姿より気に入っているようだ。

 この場合、猫が人の姿に化けているだけなので元の姿に戻ったという方が正しいだろうか。


 「そういえば、ヌシ様。アヤカシについてもう少しお話しておきましょうか。今後、私と一緒にいるのであれば知っておいて損はないと思います」

 

 早雪は猫の姿のままこちらを見て話しかけてきた。

 猫と人の姿を自在に変えられることには慣れてきたものの、まだ猫が人の言葉をしゃべる姿には少し抵抗がある。

 できれば人の姿で話しかけてもらった方が親近感もあって話しやすい。


 「うん、お願いできるかな。それと、できれば人の姿で話してもらえると助かるよ」

 「まだこの姿で話すのは慣れませんか?」

 「もちろん慣れていこうとは思うけど、今すぐは難しいかな」

 「わかりました」


 早雪はベッドの上で再び人の姿に戻った。

 先ほどから猫と人の姿を行き来しているが、相変わらず姿が変わるのは一瞬だ。

 一体どういう仕組みで変身しているのだろうか。

 凝視をしてみてもその瞬間に何が起きているのか分からない。

 突然姿が現れるというのが見た通りの感想だ。

 短い間に何度も姿を変えているので身体への負担は大きくないらしい。

 彼女はベッドの縁に座って足を投げ出した。

 

 「では、アヤカシについてお話しますね。先ほども話しましたが私のように長い年月を生きた者がアヤカシと呼ばれています。私の知りえる限りではタヌキやキツネ、オオカミやカワウソといった動物が存在します」

 「アヤカシというのは動物がなるものなのかい?」

 「いえ、数は少ないですが人間がアヤカシになることもあります。そういった人間は仙人や天女などとも呼ばれます」


 彼女の話によれば動物に限らず人間もアヤカシになるらしい。

 仙人や天女というのは中国の古い物語に登場する想像上の存在で不老不死の術や神通力を使用すると考えられている。

 ここでアヤカシの特徴と仙人の特徴がよく似ていることに気が付いた。

 何か理由でもあるのだろうか。

 

 「仙人や天女もアヤカシ?不老不死だったり神通力が使える特徴がアヤカシと似ているけど何か関係があるのかい?」

 「わかりません。そもそも人間がアヤカシになるには何か特別な方法のあるのかもしれませんね。ただ、その理由についてはわかりませんが」

 「うーん、気になるところだね。早雪は仙人に会ったことがあるのかい?」

 「はい、過去に一度だけ。取り立てて普通の人間と違うところはありませんでしたよ」

 「アヤカシでも普通の人と違いが分からないのかい?」

 「見た目は老人の姿をしていましたが、それ以外には特に何も。彼がアヤカシだと分かったのは、私が猫のアヤカシだと見抜いて自ら素性を明かしてくれたからです」

 「自己申告で正体が分かったんだ。それくらい違いが無いものなんだね」

 「彼は少し寂しがり屋な性格だったのかもしれません。彼は人里離れた深い山の中に住んでいました。そもそもアヤカシは静かな暮らしを好む者が多いので、なるべく人が立ち寄らない場所で生活をしています。ただ、人間たちが彼らの棲み処を脅かし、今では人間の社会に溶け込んで生活する者も少なくありません」 


 早雪の話によれば近年では彼女のように人間社会に溶け込んで暮らしているアヤカシも少なくないらしい。

 これまで生活してきた森や山が開発によって失われてしまったことが大きな要因のようだ。

 これは彼女たちアヤカシの問題だけではなく野生動物たちにとっても同様の問題になっている。

 住宅地にイノシシやニホンザルが出没するというニュースを耳にするようになったのは戦後の高度経済成長期から近年になっての話だ。

 それにより交通事故や駆除という形で命を落とす野生動物が後を絶たない。

 そんな理由からアヤカシの中には人間を快く思わない者もいるようだ。

 また、彼女を襲ったアヤカシも普段は人目を忍んで生活しているらしく、意識をして探しても簡単に見つかるようなものではないらしい。

 

 「なるほどね。アヤカシは案外身近にも居るんだ」

 「アヤカシは自らの素性を明かすことはほとんどありません。無用な争いを避けるためです。過去に辛い思いをしたアヤカシもたくさん居ましたから」

 「争い?」

 「かつてアヤカシを敵視した人間の集団がいました。彼らは並外れた霊的な力を持つ者たちでした。今はほとんど姿を消してしまったようですが」

 「敵視というのは命を狙われるということかい?」

 「はい、正確には殺されるというより消滅ですね…」

 「アヤカシも死ぬのかい?」

 「アヤカシを殺せるのはアヤカシの持つ神通力と霊的な力を持った人間だけです。物理的な力で死ぬことはほとんどありません」


 早雪は彼らの正体が何者だったのかよくわかっていないらしい。

 話の内容から推測するにテレビの心霊番組などに登場するような霊能者のようなものだろう。 

 彼女自身もそんな人間たちに追われた過去があるようだ。

 また、人間とあまり接して来なかった理由の一つでもあると付け加えた。

 必要以上に人間と接してこなかったのは身を守る上で重要なことだったらしい。


 「そういえば神通力についても聞いていいかな?」

 「神通力はアヤカシがアヤカシたる所以でもあります。神通力は超常的な力の総称ですが、その発現はアヤカシによって異なりますね。例えば私がこのように姿を変えるのも神通力によるものです」

 「超能力のようなものかな?」

 「言葉の意味合いは似ていますが、私の知る限り同じものではないですね。超能力は普通の人間でも発現することができますが、神通力はアヤカシでなければ使えないと言われていますから。そもそも成り立ちが違うようです」

 

 早雪の説明によれば神通力は物理の法則すら無視をしてしまう超常的な力だという。

 実際、彼女が猫から人の姿へ、また人から猫の姿へ変わった際には物理の法則を無視して体重も変わっている。

 神通力の使い方によっては西洋のおとぎ話に登場するような魔法も使うことができるらしい。

 その気になれば炎を操ったり、水を生み出したり、対象者へ雷を落とすことも可能のようだ。

 これまでの話から情報量が多くて少し混乱している。

 そもそも彼女がアヤカシだと知ったのは一時間ほど前のことだ。

 何とかこの状況を理解しようとしてはいるものの、素直に納得ができない情報もあってそちらの整理に頭が追い付いていなかった。

 

 「うーん…何となく分かったというのが本音かな。キミを疑っているわけじゃないけど、やっぱり自分の目で見たものしか信じられなくてさ」

 「気持ちは分かります。今は情報として知っておくだけで十分ですよ。でも、その時のために心の準備だけはしておいてください」

 「わかった、そうするよ」


 アヤカシや神通力についての大まかな説明は以上となった。

 もっと深く掘り下げれば細かい情報を拾うこともできるが、今はこれまで得た情報を整理する時間に充てたいと思っている。

 足りない情報や知りたいことがあれば後から早雪に聞くこともできるのだから。

 話を聞き終わったところで大きな溜め息とともに腹の虫が鳴いた。

 人間の身体は動かしていなくてもお腹が空くようにできている。

 さすがに夕食まで我慢できるとは思えないので先ほど買って来た袋の中から残っていた中華マンとおにぎりを取り出した。

 中華マンはすっかり冷めてしまっているものの空腹の状態であれば些細な問題だ。


 遅い昼食を頬張りながら今後のことを考えていた。

 これから彼女とどのような生活が待ち受けているのだろうか。

 今は彼女を連れて来た時の期待感よりも不安の方が大きくなっている。

 人間とアヤカシの共同生活では何に気をつければ良いのだろうか。

 少なくとも猫を飼うようにはいかないだろう。

 言葉で意志の疎通ができるのは唯一の救いだろうか。

 不思議と僕のことを慕うような言動が目立つため、悪いようにはされないだろうという淡い期待もある。

 彼女をこのまま追い出すこともできるかもしれないが素直に応じて出て行くということも考えにくい。

 あまりネガティブな考えをしたくはないのでこれからの生活が少しでも楽しくなるようなことを考えていこうと思う。

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