第70話 ルツィアとエーレン:レゾン・デートル Ⅲ

 叫ぶような言葉とともに、ルツィアの手がドレスの腰のあたりで動く。

 まるで何かを探すように。


 そのとき。


 ルツィアの背後の空間が陽炎みたいにゆらりと揺れて、そこから手が現れた。

 そしてそのてのひらがそっとルツィアの肩に触れる。


 その感触にはっとしたように、ルツィアが動きを止めた。


「ユゼ……」


 そして、ルツィアは愛おしげにその手を撫でる。


 もやもやとした塊が形になってルツィアの言葉通り、それは最後にキトさんの姿になった。


「ルツィア様、こうなれば影のままではルツィア様が不利……。一度退き、態勢を整えましょう」


「そう、そうね、ユゼ。あなたの言うとおりだわ。

 あなただけはいつでも私の味方でいてくれるのね……」


「当たり前です、ルツィア様。そのために俺も戻ってきました」


「優しい人……ありがとう、ユゼ……。本当はあなたのためにももっと優雅にやるつもりだったのよ?

 無能を追い落とし、誰も気が付かないうちにこの国を私の物にして、私はそれにリボンをかけてあなたに贈るはずだったのに……一緒にリボンをほどきたかったのに……」


「そのようなことはお気になさらず。ルツィア様にそう思っていただけただけで俺は嬉しいことをわかってくれませんか?」


「泣いてもいいかしら……やっぱり私にはあなたしかいないわ」


「存分に。俺にもあなたしかいません」


「ユゼ……」


 ルツィアの背中を抱きかかえるようにしているキトさんにルツィアがもたれかかる。

 サキに見せてもらった歴史書の中に唯一あった、穏やかなイハの顔と同じ顔で。


「……でも、エーレン、おまえは赦さないわ!!」


 それが唐突に悪神の表情に変わる。


 かっと見開かれた大きな目。

 底なしの憎悪。


「奪ってやる!奪ってやるわ!おまえの大事なものを全て!最後はおまえの首を落としてやる!!この国も!世界も!私の幸福も!おまえに奪われたもの全部!

 あの王子だけじゃない!フォルシアン公も!ボレリウス伯も!帝国守護騎士団も!お父様もお母様もカタリナも!おまえが大切にしているものはみんな!!

 覚えておおきなさい!エーレン!私は幸福になるために帰ってきたのよ!!」


 一瞬、私はその勢いに気おされかけたけど、こんなんじゃいけない!と、きらきらと刀身が輝くようになったアトロポスをルツィアに向けて構え直す。


「私だって幸福になるために戻ってきたんだから!私はもう絶対に死なない!何も奪わせない!

 この国は!この国の人はみんな!私が守る!!私はそのためにここにいるのよ!!」


 それは私の心の奥底からの叫びだった。


 一度死んだ私、それを掬い上げた『何か』、この国で私を助けてくれたたくさんの人たち……誰一人、ルツィアになんか渡さない!


 私とルツィアが剣を間にしてしばらく睨み合う。


「……『思い出した』のなら、次はなくてよ!エーレン!」


 それがその場でのルツィアの最後の言葉だった。


 ゆらりゆらり。


 キトさんの手が現れたときのように、二人の姿が揺らいでは薄らぐ、


 思わずそれに斬りかかったけれど、それは最初にルツィアを斬り捨てようとしたときと同じく、ただ空を斬っただけだった。


 とりあえずルツィアはいなくなったけど、私にはわからないことが増えただけ。


 『エーレン』はルツィアから何を奪ったの?

 『思い出した』ってどういうこと……?


 けれどそのとき、たくさんの鳥が飛び立つような音が聞こえた気がして私は思わず空を見上げる。


 空は……青く澄んでいた。


 あの血を流したような忌まわしい赤は、もうどこにもなかった。


 はぁっと私は息をつく。


 ルツィアからの明確な宣戦布告。

 これからしなきゃいけないことは山積み。

 『神器』のことももう全兵員すべてに周知させる時期かもしれない。


 でも、とにかく、今だけでも、勝てたんだ。

 サキの体の修復を邪魔する赤はもうどこにもない。


 私は……サキを助けられたんだ……。


 ほわっとした思いが心の底から湧きあがる。

 なんだろう?勇気……かな?それとも自信?安心?

 

 まあそんなことを突き詰めるのははあとあと!

 

 サキの無事を確認して、もうこんな無茶しないでって叱って、侯爵にお礼を言って……ああ、私も自分の傷口を止血しなくちゃとか、あのルツィアの力はなんだったんだろうとか、いろいろ考えながら城壁に向かって歩き出す。


 ついでに、1本になってしまったアトロポスとクラーラに向かってお礼を言った。


「ありがとう……私とサキを助けてくれて……」


 そして、何度も私を助けてくれたあの声の主にも。


 誰かはまだ全然わからないけれど……本当に……ありがとう。

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