第66話 戦闘ルート:そして空は緋色に染まる Ⅳ

 際限なく放たれ続ける矢。


 空はどんどんと青くなっていく。

 もう赤い部分はすこししか残ってない。

 綺麗……。夜が明けてくみたい。


 そのとき、背後からきつい叱責の声が聞こえた。


「姫!このようなことはなさってはならないと何度も言ったはず!

 姫は指揮官です。前線に出てはなりません!」


 この低くて頼りになる声。振り向かなくてもわかる。

 イルダールだ。


「ごめんなさい!イルダール!」


 うん。やっぱり。

 射撃訓練場にいた後続部隊を連れたイルダールが、私の後ろに立っていた。


 でも、その顔には、普段見たこともないような表情が浮かんでいた。

 いつも私をお兄ちゃんのように見守ってくれていたイルダールの顔じゃなく___。


 そこにあったのは、怒りだった。


「姫は何度も我ら如き平民に謝罪なさってくださる。確かにそれは言葉にできぬほど畏れ多きことです。けれど姫はそれを守ってくださったことはありますか?

 我ら……いいえ、私がどんな思いをしてそれを見ているかおわかりになりませんか?!」


 自分は平民で家臣だからと、ある程度の距離からは私には近づかないイルダール。

 それが今日は、肩が触れそうなぎりぎりのところまで、その武人らしい精悍な顔が迫ってきていた。


「イルダール殿!」


 アルビンが駆け寄るようにするのを、イルダールが腕を伸ばして制する。


 そして、アルビンとの会話で自分の至らなさを痛感した私みたいに、にっこりと澄んだ笑みを浮かべた。こんな笑顔のイルダールを見るのは初めてだった。


 だから、怖かった。


 ねえ、何を覚悟してるの?イルダール?


「よい、アルビン。私は処刑されてもいい。

 私はただ姫にヤルヴァの皇女としての振る舞いを身につけていただきたいだけだ。

 姫という後継なくしてこの国はどうなる?諸族と何度も国境防衛戦を繰り返し、ようやく平安となったヤルヴァとその周りの国々はどうなる?それを私の首一つでわかっていただければ安いものだろう?」


 え、なに言ってるの?

 イルダールの言ってるのは私だってわかるくらいの正論なのに

 そんなことで私、怒ったりしないのに。


「それに……それだけでない。私は姫にだけはいくさ場で薨御してほしくない。それよりもっと、敵に届けられた姫の首など見たくない。

 姫には……このような戦いが終われば剣を捨て、またダンスとドレスを愛する花のような生き方に戻ってほしい。姫の腕も指も本来はそのようなもののためにあると思うのです。このように拳を握るためでなく……」

「イルダール……」


 また、『ごめんなさい』と言いそうになって私は口を閉じた。

 違う。イルダールが欲しがってるのはそんな言葉じゃない。

 でも、私、なんて答えたらいいかわからないの。

 こんなときはどうしても私の中の『由真』の部分が邪魔をする。


 嫌な静けさの中、すがすがしいイルダールの声が響く。


「わかっております。姫にこのような不敬を申す者は帝国には必要ありません。

 アルビン、予定よりは早くなったが、悪いな、あとを頼む。私も結局は武より違う物を選ぶ愚かなただの男だったということだ、笑ってもいいぞ」

「イルダール殿、何をおっしゃるのです!

 姫、姫、どうかお許しを……!イルダール殿は真に帝国と姫を想って諫言なさっただけです!ルツィア様とのこの戦い、イルダール殿なしではとても為し得ません!」


 アルビンがイルダールを守るように必死でその前に立つ。

 それから、跪いて祈るような目で私を見上げた。


 ああもう!

 この頭の固い師弟は!


「イルダールのバカ!」


 思わず口からこぼれた言葉。

 でもそれは私の本心。


「あなたを処刑なんかするわけないでしょ!

 ……私はいま反省しています。確かにあなたの言うとおりだもん。私、あなたに叱られるたびに謝ってたけど、いつも今回だけって自分に言い訳して同じことを繰り返してた。それは本当にごめんなさい。

 でも、これもごめんなさい。私はいい兵士にはなれてもいい指揮官にはなれないかもしれない。だって、あんなとき、誰かに戦うことを任せて安全な後方でぬくぬくと守られてるなんて自分が許せないもの。

 ……私は根っからの戦争屋なのよ、イルダール」


 そして、跪いてたままだったアルビンに立つように促して、私はぺこんとイルダールに頭を下げた。

 ほんとにごめんね、と付け加えて。


「それに、カタリナがいるわ。カタリナにはまだ言っていないけど、ヴィンセント、ヨナタン、マジェンカ……私の信頼できる人みんなにお願いしてあるの。私がいなくなったらカタリナを守ってと。

 カタリナは正統な皇統の継承者よ」

「姫、しかし……」

「大丈夫、カタリナはあれで強い子。大公のお墨付き」

「そうではなくあなたご自身のことです。もっとご自身を大切にしていただきたい。

 あなたがいなくなれば、私は誰にお仕えすればいいのですか?」


 血を吐くようなイルダールの質問に、どう答えればいいのか、私ははじめどうすればいいかわからなかった。

 でも、イルダールが真剣に聞いてくれてなら、私も真剣に答えなきゃ。

 

 ねえ、わかって。

 私が変えたいのも守りたいのもこの国と、巻き込まれた人たち。

 もう、私だけじゃないの。 


「……この国に」


 イルダールは目を見開いて唇を噛んだ。

 言いたいことをみんな噛みしめてるみたいだった。


「聞こえた?この国よ、イルダール。

 私とあなたたちで守るこの国がいつまでも平和であるように、お願いするわ」

「……承知いたしました。我が君主のお言葉、胸に刻みます」


 イルダールが右腕を胸の前で折る、ヤルヴァ式の正式な礼をする。

 ちょっとほっとしたとき、とさんと軽い何かが倒れたような音と、ルンドヴィスト侯爵の悲鳴のような声が聞こえた。


「サキくん!!!!」

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