第67話 禁域ルート:ふたたび、サキ・ドゥ
「サキ?!」
私が駆け寄ったとき、サキは目を閉じて、蛹のような姿勢で石床の上に横たわっていた。
侯爵によると枯れ木が折れるように突然倒れたらしい。
「サキくん!サキくん!」
そのかたわらにかがみこんだ侯爵がそれしか知らないみたいにサキの名を何度も繰り返し呼ぶ。
それまで黙々と弓を射っていた侯爵の兵士たちが、主人の追い詰められたような大声にざわつき始める。
「侯爵」
一度呼んだだけではこちらを見もしないその背中に私はもう一度、きつめに声をかけた。
「侯爵!」
「あ、はいっ、姫!」
ようやく侯爵が振り向く。
目じりにはうっすら涙がにじんでいた。
ダメだよ、侯爵。
一度口火を切ったらもうそれはダメ。
だからごめん、これから私、ひどいことを言うね。
「兵士たちが動揺してる。落ち着いて。こんなときこそにっこり笑って。主人が混乱したら兵士は負けるかもしれないともっと混乱するでしょう?」
「申し訳ありません、姫、サキくんはぼくの初めての親友だから……」
「うん。わかる。私にも侯爵たちみたいな大事な人たちがいるから。
でもそれで心を揺らしてたら勝てるものにも勝てないよ。サキのことは私が看るからあなたは指揮を」
「でも……」
「ね、私を信用して?
いいえ、信用しなさい。これは黒薔薇姫エーレンの命令よ。レオン・イェンス・ルンドヴィスト侯爵」
「……承知しました」
侯爵が無理やりにしか見えない笑顔を作る。
でも、初めは私たちの戦列に加わるのもためらってた侯爵からしたらきっとこれでもせいいっぱい。
だけど、いまはそれで充分。
新人さんには自信を与えること。
絶対勝てると思わせること。
でないと勝てるはずの実力があってもそれを出せない。
私にだってそのくらいはわかるもん。
「大丈夫。私はあなたを信頼してる。あなたならできる。勝てる。あなたは弓矢の家のルンドヴィスト侯爵だもの。
さあ、侯爵、指揮を!」
「はい!」
もう一度、なんとか笑顔を作って侯爵は弓兵たちの間に戻って行った。
それを見送ってから私はイルダールたちにささやく。
「イルダール、アルビン、侯爵の補佐を。たぶん侯爵は実戦は初めてよ。できれば勝たせてあげて」
ふっと笑ってイルダールが首を横に振った。
そして、さっきの怖いようなのとは違う笑顔を浮かべてくれる。
「できれば、などというお言葉は不要です。姫がお命じなら必ず侯爵に勝利を。
我々はそのための帝国守護騎士団です」
「……ありがとう」
「いいえ、姫の御為ならば」
アルビンも無言で右手を胸の前で折る。
その口からはもう、「負けたら自害」なんて言葉は出てこなかった。
ただ少し赤い顔とまっすぐな目で私を見ていた。
※※※
「サキ……?」
2人がその場を離れてから、静かに肩を揺すると、ゆっくりとサキが目を開けた。
その青い瞳を見て私は意味もなく安心する。
ほんとは私だってサキがどうなったのか怖かったんだからね、バカ!
「あ、エーレンだ……ごめん……」
「なんで謝るの!ここまで戦況をひっくり返したのはサキの力もあるでしょ!」
「だってもうぼく、ここまでだから」
え?
「な……なに言ってるの?サキ?」
そこで私はサキの肩に触れていたてのひらがぬるりとしていることに気付く。やだ、なにこれ、赤い。
一瞬思考がついていけなかった。信じられなさ過ぎて。
でも、もしかして、これ、血……?
「ほら、ぼく、一人では力の蓄積ができないでしょ?だから外装パーツの構築も放棄して、ぼくの中の力を全部直接レオくんちの弓に供給してたんだけど。
ごめんね、もう限界。『自分』を構築する力もなくなってきちゃった」
「なっ、なんでそんなことするのよ!」
「だってぼく、エーレンのこと、守ってあげなきゃ」
サキの細い指が私の頬に触れる。
冷たい。
怖いほど冷たいよ、サキ……!
「ぼくを守ってくれたエーレン、ダメじゃないって言ってくれたエーレン。だから次はぼくの番。
エーレン、だいすき」
「……バカ……!」
「なんで怒るの?エーレン、とりあえず今日は勝てるよ。
ぼく、エーレンがちょっとでも勝てたら嬉しい」
「私は嬉しくない!サキがこんな風になって勝っても嬉しくない!」
「やめてよぉ、エーレン、泣きそうな顔するの。いまのぼく、エーレンのことちゃんと慰められない……」
「私の心配なんかしなくていいからまず自分の心配して!サキは貯蓄できないだけでいつもすごい力が溢れてるんだよね?じゃあしばらく休んで体治せばいいだけじゃん。
『自分』の構築ができなくなるって死んじゃうってことでしょ?そこまでしなくていいよ。そんなのやめてよ……」
「エーレンらしくないなぁ。エーレンなら『死んでも敵をぶっ殺せ』とか言うと思ってたのに」
「私は仲間に死んでほしくなんかない!みんなが幸せになるエンディングを取り戻したいだけ!
それに……」
ん?とサキが不思議そうな顔をする。
弱音なんか吐きたくなかった。
でももう、止まらなかった。
「それに、私を一人にしないでよ、サキ……」
「エーレン……?」
「ほんとの私のこと知ってるの、サキだけなんだよ。サキだけなんだよ……」
大公だって全部は知らない私のこともサキは知ってる。
だからサキは私の中の『由真』をさらけ出せる人。
それだけじゃない。
同じように他の世界からこの世界に来た孤独を分かち合える唯一の人……!
「ごめん、エーレン。ぼくダメ?ぼくバカ?……またエーレンを泣かせちゃう?」
「泣かせたくなかったら生き残って!」
「あー、いつものエーレンだぁ。でもほんとごめんね?あの赤いの、ぼくのことすごく邪魔するの。
キトがいない限り、ここまで来ちゃったら再構築も修復も無理かなぁ」
「そんなの許さない!絶対に許さない!」
「だから、ごめんね。ぼくやっぱりダメだなぁ。エーレンのこと、怒らせてばっかり。
守って喜ばせたかったのになぁ」
「……あの赤いのを消せばいいのね?」
「無理だよぉ。レオくんちの矢にぼくの力を乗せて消してたんだもん。レオくんだけじゃ空の色を戻すことしかできないよ。空はきっとまた赤くなる。その原因がある限り、ぼくは元には戻れない」
「じゃあ私はそんな原因ぶっ壊してやる。
……絶対に助けるから。助けるから。お願い!これ以上私を泣きたくさせないで!」
私は立ち上がり城壁からあたりを見渡した。
サキにはあんなこと言ったけど、原因なんてどこにあるの?
私にはサキみたいな力はない。
どうやって探す?
そのとき、また、あの少女の声が聞こえた。アトロポスを手に取ったときと同じ声。
『右を見て』
半信半疑で体を右に向け、何かおかしなものがないか見ていたとき……チリリ、と無意識に剣の柄を握っていた指先に痛みが走った。
なんでもないような草原。でもそこに、赤い花の群生がひとつ。
「……見つけた」
普段なら違和感のない光景だった。
草原も、そこに咲く花も。
でも私の全身が告げてる。
敵はあれだって。
私は駆け出す。
唖然としたイルダールたちの横をすり抜けて。
「もう謝らないわ、イルダール!私は黒薔薇姫エーレン!
いつだって最前線で戦う戦姫エーレンよ!」
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