第50話 転移者たち~序曲~
「開かないじゃない!!」
苛立たしげなルツィアの声が壁の向こうから聞こえた。
「私の『開錠』なら、開けられない扉はないはずよ!」
「すでにどなたかが開けていたのでしょう。カタリナ様か、エーレン様か」
そして、それを制するような穏やかな男の声も。
「あの声は枢密顧問官……。ったく、あいつら、どこまで根を張ってやがる」
ヨナタンが小声で吐き捨てる。
それを見てヴィンセントがクッと笑った。
「罷免する口実ができたと思えばいい。裏工作はうまくやれよ?ヨナタン」
「おまえは面倒ばかり押しつけやがるなあ。まあこれも姫のため。
今日のことを徹底的に調べてなんとかするさ」
軽く首をすくめるヨナタンに、私はぺこんと頭を下げる。
「ありがとう」
「いいえ。すべては俺を誠実だと言ってくれた姫のためですから。
いいか、ヴィンセント、間違ってもおまえのためじゃない」
思わず吹き出しそうになったとき、ドンドン、と壁を叩く音が聞こえた。
きっとルツィアが怒りを込めて開かない扉を開けようとしてるんだろう。
「ユゼ、なんとかなさいな!あなたはそのためにいるんだから!」
キトさんをユゼと呼び捨てにするルツィアの叫ぶような声が壁の中に伝わってくると、んんっと喉を鳴らすような音が聞こえた。
振り向けば、泣き声が出ないように必死で口を覆っているサキの姿があった。
それに向かって私はうなずきかける。
大丈夫、大丈夫。私は負けない。キトさんを取り戻す。ハッピーエンドを取り戻す。
約束したでしょ?
私が伝えたかったこと、通じたといいな、と思いながら、私は前へと向き直る。
ガンガン、と壁を叩く音はだんだん大きくなっていく。
もう、ルツィアが素手で叩いているような音じゃない。何か、道具を使っているような音だ。
「申し訳ありません、ルツィア様、ユゼ様のお力を持っても、職人どもの鎚も鑿も通りませぬ」
「なんだっていうの?ただの石壁が___!」
「お声を静かに。最近のロベルト帝は我々に疑念を抱いている御様子。できるだけ目立たぬように」
「ええ!あの忌々しいエーレンのせいでね!こんな壁、破城鎚で崩してしまいなさいな!」
「それこそ、ロベルト帝のお目につきます。帝室内部の主な文官は我々が掌握しましたが、武官である貴族の一部と騎士団はエーレン様の旗下にあります。ここで目立ってしまっては、せっかくユゼ様を手に入れられたルツィア様の損になるだけだと」
「……っ!!!」
ドン、と壁を叩く音がした。
それから悔しげな声。
「赤薔薇の私はまた愚弄されなければいけないの?
運命や歴史やそんなものはまだ私につきまとうというの……!!」
それは、今までルツィアからは聞いたことがない、血を吐くような声だった。
「ルツィア様……?」
「おまえには知る必要のない話よ……っ。でも、私はまだ勝っているわ。あのときとは違い、ここにはユゼがいるもの……。
同じ敵に二度負けるなんて、私、絶対に、絶対に、許さないことよ……!!
……許しがたいほど悔しいけれどここは引きましょう。おまえたちの言うとおり、これ以上目立てばお父様のお目につくかもしれない。お父様にはまだ利用価値があってよ。敵に廻すには得策ではないわ」
ばさり、と風を巻き込んだ独特の音がかすかにした。
たくさんの布が重ねられたルツィアのドレスがひるがえる音だ。何度も聞いてるから間違いない。
「ユゼ、早く次の手立てを何か考えなさい。あなたになら、できてよ」
「はい」
そのキトさんの声を最後に、足音は去って行った。
半分息を止めて照準を合わせていた私は深く息をついた。
ヴィンセントとヨナタンも剣を鞘に納める。
ルツィアが去ってほっとするのと同時に、私の頭の中をルツィアが叩きつけていったいくつもの言葉が渦巻いた。
『また愚弄されなければいけないの?』
『運命や歴史やそんなものはまだ私に付きまとうの?』
『二度負けるなんて許さない』
どういうこと?
いったい、どういうことなの?
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