第43話 禁域ルート:選択

 はじめにその場の沈黙を破ったのはサキだった。

 いつもみたいに透き通る青い目にいっぱい涙をためて、私の顔を見上げてる。


「エーレン、泣いちゃやだ……ダメ……」

「サキだって泣いてるじゃない……」

「ぼくはいいの。でもエーレンはダメ。エーレンが悲しい顔するの、ぼく、やだ。エーレンのこと大好きなんだもん……」

「頼もしい異国の騎士だな……」


 大公の手のひらがまたサキの頭を撫でる。


「お嬢さん、これでわかるように少なくともお嬢さんは孤独ではない。確かに真実のお嬢さんを知る者がほとんどいないというのは辛かろう。『エーレン』を演じ、この国を守るのも辛かろう。だが、お嬢さんは孤独ではない。信義でつながった者はどこにいても近くにいるのと同じこと。私はお嬢さんが皇女でなくなろうと、どこに行こうと、全力を持ってお嬢さんを助けよう。きっとヴィンセントたちも同じことを言うだろうな。

 だが、ルツィアは違う。ルツィアは孤独だ。あれにたかる蟻はルツィア自身を必要とはしていない。ただ、ヤルヴァ帝国第一位皇位継承者が欲しいだけだ。___痛ましいことだと、私は思う」


 大公がため息をついた。


「だから、サキくんは泣く必要はない。サキくんのほかにもお嬢さんを好きな人間はたくさんいる。私もそうだ。泣く時間があるならば、この勇敢なお嬢さんをどうやったらうまく支えられるか考えよう。

 なに、お嬢さんとて人間だ。泣きたいときもあろう。そんなときはきみが涙を拭ってやりなさい。それが男というものだ」


 優しい口調で大公に諭されて、サキがごしごしと自分の目の周りを拭きながら私に聞く。


「そーなの?エーレン……?」

「うん……そうだね、私が泣くせいでサキが泣くのはつらいよ。それって私がサキに悲しい思いをさせてるってことでしょ?」

「そっか……」


 サキはしばらく黙りこんで下を向いていた。

 それから、ぐっと顔を上げて背伸びをして、服の袖口で私の目元をぬぐってくれる。


「じゃ、ぼく、もう泣かない。その分もエーレンが泣いて?泣いちゃダメとかももう言わないよ。

 あのね、もしもエーレンが泣きたくなったらね、ぼくはいつもそばにいるからね」

「……ありがとう」


 はは、とさっきまでとは全然違う陽気な声で大公が笑った。


「お嬢さんは良き仲間に恵まれて幸せだな」


 そして、大公が言葉を切る。

 私を見据えるその目は、ひどく真面目な色をしていた。


「お嬢さん、私はお嬢さんをなんと呼べばいい?エーレンか?ユマか?

 私の前では真名まなを名乗っても構わんぞ?」


 一瞬、息が止まる思いがした。


 私の中の弱さとか未練とかそんなもの、全部言い当てられた気がした。

 きっとこの人なら『由真』と呼んでください、と頼んでも快く引き受けてくれるだろう。

 でも、それに甘えちゃダメなんだ。


 だって、みんな、私が決めたことなんだから。


 私は黒薔薇姫になって、ルツィアに勝って、いつかこの国を変えてみせると。


「……エーレン、と」


 喉が軋んだような気分。思ったより、その名前は口の中を苦くした。

 だけど、こんなことに臆してなんかいられない。

 どっちつかずのふらふらした人間なんか、結局どっちにもなれずに終わるんだから。


「そうか……まあ、たまにユマと呼ばれたくなったらその時は言いなさい。1人くらいは理解者がいてもよかろう」


 大公がまた明るい声で笑った。

 私も、まだ止まらない涙を流しながら、笑っていた。


 だって、私はもう、大丈夫。


 根拠もなくそう思えたの。

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