第42話 禁域ルート:由真とエーレン

「まあ、座りなさい」


 意外なことに、最初に声を出したのは大公だった。

 いままでと変わらない、低い、穏やかな声。


「サキくん、きみも」

「ん!」


 大公の優しい声に安心したんだろうな。

 サキも私と大公の間にとすんと腰をおろした。


「にわかには信じがたい話だが……お嬢さんが『あの』エーレン姫でないということだけは納得がいく。

 性格や考え方もだが……なによりあの剣の腕は一朝一夕では身につくものではない。いくら暗愚を装っていたとしても、あそこまで武を磨き上げるにはあれ以上の技量の相手がおり、常々その相手がお嬢さんを鍛えていたとしか思えぬ。そして、お嬢さん以上の技量の持ち主などそうそういるものではない」


 大公のてのひらがサキの頭を撫でた。

 サキは猫みたいに気持ちよさそうに目を細めている。


「サキくんも……私は長く生き、遠くまで行ったせいで信じられぬものをたくさん見てきた。失われた魔術……影の中でしか生きられない生き物……知らぬから嘘だと決めつけるのはたやすい。だが、知った時に過ちを認めるのは難しい。しかし、私はそんな人間にはなりたくない。

 南の果てでは虹色の雨が降るように……サキくんがこの場にいるのならば『そう』なのだろう」

「おじいさ、大公は虹色の雨を見たことがあるの?」

「ああ。南方討伐作戦の時に。あれは美しいものだった」

「いいな。僕は紫の雨しか見たことがないよ」

「それはそれで美しかろう。世界が憂いの海に沈む」

「んー……そうだね。キトもそんなこと言ってた。あ、キトはね、ぼくと一緒にここへ飛ばされたんだけどはぐれちゃったの。それで、探してるの。エーレンといればきっと会えるって言われて、ぼく、待ってるの、ずっと」


 サキはこの短い間にすっかり大公になついてしまったみたいで、大公の膝をぱたぱたと叩きながら、大公にはさっぱりわからないだろう話を勢いよく投げつける。

 大公は、それを、とても優しい顔で見下ろしていた。


 よかった。言って。


 それは直感だった。


 確信なんてない。でも、きっとこの人ならばほんのすこしでも私たちのことを信じて、わかってくれるんじゃないかと……。

 だってサキ以外にも、一人くらいになら本当の私を知ってほしかったの。

 そんな考え、間違ってるかもしれないけど、いけないのかもしれないけど、私を『由真』だと知ってくれてる人が欲しかったの。


「それでお嬢さん、ならば『エーレン』はどこへ行ってしまったんだね?」

「体がからっぽだったということは、きっと天に……」

「召されたか」

「ルツィアに謀反と処刑の計画が立てられた時から、エーレンはもう……」

「そしてかわりにお嬢さんが来た。運命を捻じ曲げるために」


 大公の口から、いつかのサキと同じ言葉がなんでもないことのように出てきたことに私は驚く。


 え、なんて言ったらいいかわからないよ……。


 この人はそんなことまでわかってくれるの?私の頭がおかしくなったとか、そういうことは考えないの?


「ああ、悪い意味で言ったのではない、ルツィアがしようとしていることは許されることではない。そして『エーレン』にはそれを防ぐ力はなかった。お嬢さんがお嬢さんでなければ、とうに『エーレン』は粛清され、やがてこの国はルツィアのものとなっていただろう。

 ……私は別にルツィアがこの国の女帝となることに異論はなかった。彼女は第一位皇位継承者なのだからな。だが……皇帝が定めた約定を破り、実の姉妹を殺してまで玉座に昇ろうとするなら別だ。

 それはもう皇女ではない。簒奪者だ」


 大公の目が鋭くなる。


 片方の目は眼帯に隠されてるのに、なんなんだろう、この強さ。


「お嬢さんがどこから来た人間でも構わない。ユマ……?という人間でも。いまこうして、ヤルヴァ帝国の皇女エーレンとして、立派に役目を果たしているのだから。

 『エーレン』も衆目の前で無惨に刑死するよりは幸せだったろう……」


 大公の目が遠くを見た。

 とても、とても、遠く。 


「大公は『エーレン』を御存じだったんですか……?」

「当たり前だ。薔薇姫三姉妹は私の孫のようなもの……。エーレンは無邪気で疑うことを知らない、まさに貴族の娘で……あれが急に即位することになると聞いたときはとても心配したものだ。あの子は良い妻、良い妃にはなれても、良い為政者にはなれぬ……。

 そうか『エーレン』はもういないのか……」

「ごめんなさい……」

「謝るな。お嬢さんは『エーレン』が被せられるはずだった汚名を防いだ。それだけでも私は礼を言いたい。何より……誰一人知る者のいない世界でたった一人で戦ってきたのは辛かったろう……怖かったろう……ヴィンセントもヨナタンも、あれで癖のある人間だからな……」


 大公の腕が私の肩を抱いた。

 気が付いたら私は泣いていた。


 そうだ。


 私は怖かったんだ。辛かったんだ、ずっと。


 泣かないと決めたけど、今だけはいいよね、いいよね。


 そう思いながら私はほろほろと涙をこぼし続けていた。

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