第18話 黒薔薇姫とフォルシアン公爵の夜 Ⅲ

 これは一つの賭けだった。

 私はあえてルツィアにヴィンセントとの会食の情報を流した。

 私と、私の側についた、ヤルヴァでも有力な貴族のヴィンセント。

 その2人を一網打尽にできる機会があるとルツィアが気づくように。

 しかも皇帝と皇妃と私とヴィンセントだけの私的で、ある意味リラックスした会食。そんな場で目の前で娘が死ねば両親は半狂乱になる……はず。1回死んだ私の経験から言うと。

 そこにルツィアが現れ、よそ行きの顔で優しく手厚く2人を慰めれば……弱った心はきっと簡単にルツィアの物になる。そして、当初の予定通りルツィアが皇位を継承する方に皇帝の心は傾くに違いない。

 きっと皇帝の強権を発動してルツィアの婚約も破棄させるだろう。

 私がシナリオ通り死ぬ前のカタリナでは皇位を継ぐには優しすぎるし、何より第一位皇位継承者と第三位皇位継承者ではイメージが違いすぎる。

 もちろん、絶対にそうなるという保証はない。


 でも、ルツィアならきっとそうすると思ったんだ。


 あのルツィアなら、1%でも可能性があれば食らいつくはず。ううん。はず、じゃなくて、絶対。

 そういう点では、私、ルツィアを買ってる。敵だけど、決意の塊みたいな女だって。

 そして予想通り、私たちを消そうとする『誰か』が現れた。


「なんということだ……エーレン……まさかそなたの口にするものに毒など……」


 ロベルト帝が茫然とした口調で言いながら椅子に腰を下ろす。

 そして、忌まわしいもののように自分の前のグラスも目に入らないように遠ざけた。


「フォルシアン公爵、そなたにも本当に申し訳ないことをした。ヤルヴァ皇家にとってこれほどの恥辱はない……客人に毒を出すなど……。この埋め合わせは必ずしよう。我が名にかけて」

「いいえ。私がエーレン姫にお頼みして上奏したかったのはこのことですから。帝室の中にエーレン姫を狙う者がいると。

 私の飲み物にも毒が入っていたのは、エーレン姫が即位された暁には私はフォルシアン家のすべてを持って仕えると忠誠を誓ったからでしょう」

「本当なのか?エーレン」


 まるで信じられないものを見るような目で、ロベルト帝が私へと視線を投げかけた。


「はい。お父様」


 私はにっこりと答える。

 仕方ないよね。ゲームの中のエーレンは見ててイライラするほどへにゃへにゃしたモブだったもん。


「フォルシアン公爵がそなたに忠誠を誓ったというのも?」

「公爵は未熟な私を支え、即位すればよき政治を行えるよう力を尽くすと言ってくださいました」


 ロベルト帝は目を閉じて人差し指をひたいに当てる。

 たぶん、すごく混乱してるんだと思う。

 裏切ることなんか考えたこともなかった側近の誰かがおそらく裏切ってること、頼りなかったはずのエーレンがハキハキ喋ってること、そんなエーレンを嫌っていたはずのヴィンセントがエーレンに忠誠を誓ったということ。

 全部、ロベルト帝の中では訳の分からないことに違いない。


「陛下、エーレン姫は素晴らしい女性です。武術と智略に優れ、胆力もある。そして、女性らしい美しさと気遣いも。このヤルヴァを背負う方としてこれほどふさわしい方はいないでしょう」

「フォルシアン公爵、我が娘のことをあまり悪しざまには言いたくないのだが……エーレンも気にしないでくれ……皇帝としての公平な目から見れば、それは随分私の知っているエーレンとは違う。そなたはなにか勘違いをしているのではないか?確かにエーレンは優しい娘だが……」

「姫の武術の腕についてはイルダールにお尋ねください。彼は嘘のつけない男です」

「お父様、お疑いならお父様の前で御前試合をいたしますわ。私、アルビンにも勝ちましたのよ」

「アルビン……?」


 ロベルト帝がいぶかしげにアルビンの名前を口にした。

 まあ、いくら皇帝だって、大勢いる帝国守護騎士団の全員のことを知ってるわけないし、しょうがないよね。


「イルダールが後継と目している男です。優れた騎士ですよ。その優れた騎士でさえ姫にはかなわなかった」

「しかし……」

「姫、正直に申し上げてもよろしいか?私がはじめあなたをどう思っていたかを」

「どうぞ、フォルシアン公爵、いいえ、ヴィンセント。私たちはもう友人だもの」

「有難きお言葉。それでは。陛下もどうぞ、これより陛下の娘君に失礼を申し上げるのをお許しください」


 ヴィンセントはふっとひとつ息をついて、それからいつものイケメンスマイルを浮かべて話しだした。


「私もはじめ、エーレン姫がヤルヴァの次期女帝となることを危惧していました。閲兵式さえ直視できない、騎士団の視察もできない、そのうえ姫は、着飾ることとダンスにしか興味のない暗愚だと周囲からはお伺いしていました。一皇女、一貴族の娘ならそれで良いのでしょうが、そのような方がこの国の頂点になるのは…と。けれど直にお会いしてみれば姫はそのような方ではなかった。愚かなふりをして味方を見極めていたのだとおっしゃった」

「本当なのか?エーレン?!」


 ヴィンセントの言葉を聞いて、ロベルト帝が身を乗り出す。

 私はできるだけお姫様っぽくそれに答えた。

 あー、しんどい。


「はい。人は侮っている相手には本当の姿を見せますから……。確かに私はまだ未熟ですが、剣も政治もお父様に負けぬよう努力していくつもりです。本当はもう少し愚かでいるつもりでしたが……私を侮るあまり、私に危害を加えようとする者がいると小耳に挟んで……きっと、私より国民に人気のあるカタリナの夫になって、傀儡にでもするつもりだったのでしょう」


 そう。ここではまだルツィアが私を殺そうと計画を立てていたことは言わない。

 それよりも少しずつ外堀を埋め、ルツィアを追い詰めていった方がいい。

 これはヴィンセントの案だった。

 ルツィアもロベルト帝にとっては可愛い娘。これだけではまだ、ルツィアを信じる気持ちの方が強いだろうから、と。


「そこでエーレン姫は私に胸襟を開いてくださり、今宵のこの場を設けることとなったのです。

 姫が単騎で私の館に乗り込まれた時のあの勢いには圧倒されましたよ」

「それはあなたならば協力してくれると思ったから……。ヤルヴァのために命を懸けてくださる方だと信じていたんですもの」

「嬉しいお言葉です。その通り、私は陛下とヤルヴァのためならば命など捨てましょう。ただ、無駄死にはしたくない。エーレン姫の即位を見届けるまでは生きていたいのです」

「まあ、ヴィンセント。あなたは口に出すことまで麗しいのね」

「あなたの美しさに比べれば私の言葉など塵のようなものですよ」


 私とヴィンセントがくすくす笑いながら話していると、ロベルト帝がびっくりしすぎてひっくり返ったような声で私に問いかけてくる。


「エーレン……そなたはいつの間に……」

「それは秘密です、お父様。

 ……ひとまず、今の帝室では王国守護騎士団とフォルシアン公爵家には全幅の信頼が置けます」

「私が話を通した何家かも。こちらはのちほど書面でご報告いたします。どこに耳があるかわかりませんから……」


 ヴィンセントのその言葉を聞いて、ロベルト帝はぐったりと椅子に背を預けた。


「王城の中に……裏切り者とは……なんということだ。ならばこちらは総力をあげてその不埒者を探そう。

 我が娘エーレンを殺そうとするなど、父親としても絶対に許せぬ」

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