第7話 攻略完了:ヴィンセント・ヨニー・フォルシアン公爵

「まず、マジェンカから、エーレン姫が急遽単騎お忍びで当家にいらっしゃると私は聞きました」

「ちゃんと伝わったみたいね。イルダールは?」

「……エーレン姫が自分を除けば帝国一の剣の使い手の膝をつかせた、と。失礼ながら、ヤルヴァの騎士としての戦い方ではないとは言っていましたが」

「正直に卑怯と言えばいいのに」


 私がそう言うと、ヴィンセントが目を剥く

 かちゃりと、彼の手の中のカップが震えた。


「そうよ。私はヤルヴァではけして教えないような剣術で勝った。まあ、彼にも油断はあったけど。どうせお姫様のワガママだと思ったんでしょ。彼が本気になったのは二撃目からだったし」


 あのときのことを思い出して、私はちょっと頬を膨らませた。

 本当は一撃目から本気でかかってきてほしかった。

 戦うことで馬鹿にされるのなんか、大嫌い。


「あなたは本当にエーレン姫か?!」


 ヴィンセントが急に立ち上がる。

 彼の手元に剣があったら鞘から抜いていたんじゃないかくらいの勢いで。


「そう言われると思ったからマジェンカとイルダールを先に使いに出したの。イルダールまでこき使えるなんて、皇帝か、私たち薔薇姫姉妹くらいしかいないでしょ」


 そして、私は目の前に出されていたカップのお茶を口に含む。

 わ、これ、いい匂い。こんな飲み物も存在するんだ。

 やっぱりチートクラスの上流階級は飲んでるものも違うなー。

 じゃあ私が食べる食事はもっとおいしいのかなー。

 それから、高級そうなカップを音をたてないようにそっとお皿に戻す。

 ヴィンセントはまだ立ったままだけど、そんなのはどうでもいい。

 見せ場はここ。

 ここを逃したらもうヴィンセントとのフラグは立たない。


「私はエーレン。黄薔薇姫エーレン・アウリ・ヤルヴァ。ヤルヴァ帝国第二皇位継承者にして次期女帝。この帝国の次の頂点よ」

「なっ……」

「そしてあなたはヴィンセント・ヨニー・フォルシアン公爵。確かに名門だけれど」


 私はカップに添えられていたスプーンを彼の喉元に突き付けるように向ける。


「私に口ごたえできる身分じゃない」


 ……決まった…!

 私、ちょっとやりとげた……!

 クッとヴィンセントが喉を鳴らす。

 怒った顔も絵になるのはやっぱイケメンだからだよね。

 あと、いま一瞬『イエメン』が頭に浮かんじゃった。

 なぜイエメン、今イエメン。中東の石油基地。

 そうか、私、こんなでも緊張してるんだ。

 だって命がかかってるんだから。

 この乙女ゲームにはリセットはない。セーブもない。

 ただ私は前に進むしかない。


「それであなたは私に何が言いたい……!」

「私の協力者になってほしい」

「なんだと?!」

「まあ座ってくれる?見下ろされてると話しにくいの」


 できるだけきつい視線で私はヴィンセントの整った顔を見上げる。

 ヴィンセントがゆっくりと椅子に座り直した。


「公爵、いえ、ヴィンセントと呼んでもいい?」

「お好きなように」


 まるで吐き捨てるような言葉。

 でもこれでいいの。これが順調に進んでる証拠。

 この誇り高い公爵は、普通なら皇女には絶対にこんな口はきかないから。


「ありがとう。私のことも好きなように呼んで。重臣の操り人形とでも、綺麗なだけの貴族の玩具とでも」


 ヴィンセントがはっと私を見る。

 濃い黒い目が空中を泳いだ。


「知らないとでも思ってたの?私はいずれ帝位につく女よ」

「けれど、あなたはそんな人ではなかったはずだ!」

「何を根拠に。

 いいの、ヴィンセント。私はそんな風に振る舞ってきた。そうして敵と味方を選別してきた。だから今日、あなたへの使いは位の高い侍女ではなく、新参だけれど信頼のおけるマジェンカと、不正をさせられるくらいなら自害するイルダールを選んだ。そして私は___あの二人と同じくらい、あなたを信頼してる。私はあなたも誇りのために死ねる人だと思ってるわ」

「エーレン姫、私はもう、あなたがどんな人かわからなくなった。これが閲兵式すらろくに見ようとしないエーレン姫か?俺は今まで何を見てきた?」

「私が作った私よ」


 よっしゃ!

 ヴィンセントが『俺』って言った!

 超プライドが高くて帝室を敬ってるヴィンセントは、嫌いなエーレンにも絶対に敬語を崩さない。

 もちろん、フラグの立つ前のカタリナにも。

 それが『俺』に変わったということは……。


「『私』が『俺』に変わったということはあなたが本気になった証拠ね。……なら、これを見て」


 私はテーブルの上にはらりと何枚かの紙を散らす。

 それを手に取ったヴィンセントの顔色が変わった。


「これは……」

「私の謀反の計画書。我が帝国ヤルヴァの売買契約書よ」

「まさか?!俺に陛下への謀反に協力しろと?!」

「私だってあなたと同じ。誇りを……国を売るくらいなら死を選ぶ。それの日付を見てみて」

「昨日?謀反は昨日起きたことになっている……?」

「そう。けれど昨日は何かあった?イルダールから聞いたはず。『昨日はいつも通りの日だった』と。帝国騎士団長があずかり知らない謀反なんてあるわけない」

「ではこれはなんのために……」

「私を殺すため」

「あなたを?!どうして?!あなたはこの国に何の害もない人間だ!」

「けれどテーブルの上には姫君が三人。玉座はひとつ。

 そして本来座るはずだった姫君はそれを奪われた」

「まさか、赤薔薇姫ルツィア様が?しかし、あの方はヤルヴァよりもっと巨大な王国に嫁ぐ。この国を奪う必要などない!」

「妃は女帝にはなれない。ルツィアは王妃になる。ドレスも宝石も好きなだけ手に入れても、政治を決め、戦争を起こすのは王だわ。ルツィアは従うだけ。……どれだけ豊かな生活ができても。あなたならルツィアの気性は知ってるんじゃない?野望と、それから」


「欲望」


 呆然としたヴィンセントの口から、条件反射のようにそんな言葉がこぼれた。


「そう。だからあなたは私が即位した方がましだと思っていた。私ならば何もできない。私はただバルコニーから手を振り、政治はあなたのような有能な家臣たちが行う。そのつもりだったんでしょう?」

「確かに……その通りだ。あなたが無能でも構わなかった。俺たちがこの国を動かすはずだった。もちろん、あなたには最大限の敬意を払うつもりだったが」

「正直ね」


 私が思わず吹き出すと、ヴィンセントもハハ、と笑った。

 もう、私を迎えたときの冷たいヴィンセントの顔はそこにはなかった。


「すべて見抜かれていたとはな……それも無能を装って俺たちを観察していたとは……。

 黄薔薇姫エーレン、あなたの賢明さこそがこのヤルヴァの女帝にふさわしい」


 やった!!!立った!完璧にフラグが立った!!

 だってこれ、普通にカタリナ主人公でプレイすると、「白薔薇姫カタリナ、あなたの清らかさこそがヤルヴァの女帝にふさわしい」になって、ヴィンセントがみんなの前でカタリナに跪くクライマックスだもん!!!


「では、すぐに反逆者ルツィア粛清の御命令を俺に」

「しないわ」

「なぜ?!」

「ルツィアだって賢い女。根回しはとっくにすんでる。5日後には私を処刑する日取りまで決めてるの。ここで私とあなたと、何家かの貴族が立ち上がってもルツィアには勝てないかもしれない。勝てない試合になんの意味があるの?」


 そうだ。

 勝てない試合に意味なんかない。

 どんなに善戦しても表彰台に乗るのは勝者だ。

 私はそれを死ぬ前にさんざん味わってきたし、そんな思いをするのが嫌だから必死に稽古を積んで強くなった。

 とりあえず、今立てたフラグで5日後の死の可能性を超低くできたはずだから、完璧に勝ちたい。

 私に水をぶっかけたあの死神女、ルツィアをキャンと言わせてやりたい。

 どうせならこのヤルヴァ帝国を、皇帝の私物から、自由と平和の国にしたい。


「一頭の羊に率いられた百頭の狼は、一頭の狼に率いられた百頭の羊に負ける。

 私はレジスタンスになるわ、ヴィンセント。あなたにはその手伝いをしてほしいの。黄薔薇姫エーレンではなく、黒薔薇姫エーレンの」

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