第3話 黒薔薇姫はフラグをへし折る
コンコン、と控えめなノックの音が響く。
なんだかすべてがどうでもよくなってきた私は、地を這うような声で「どーぞー」とそれに応えた。
「失礼いたしますわ、お姉さま。お加減はいかが……?」
入ってきたのは、長い銀色の髪を複雑に編み込んで背中に垂らしている小柄な少女だった。
とろっとした独特の色の緑の瞳と困ったように下がった眉。
美貌と言うには幼く、けれど見る者には「守ってあげたい」という庇護欲を起こさせる少女。
もうわかる。
この人は白薔薇姫、ヤルヴァ帝国第三皇女、カタリナ・レータ・ヤルヴァだ。
眩暈がしそうになるのを必死でこらえて、私は心から私を心配そうに見ているカタリナに返事をする。
大丈夫。この人はいい人だったはずだ。何しろヒロインなんだから。だからゲームタイトルも「白薔薇の帝国」なんだし。
「まあ、お姉さま、びしょ濡れですわ。……ひどいこと……侍女から聞いてはおりましたけれど……。これをお使いになってくださいまし、お姉さま」
カタリナの差し出したタオルで顔を拭いていると、彼女が細い声で尋ねた。
「お姉さま、ルツィアお姉さまからききましたけれどよほどお加減が悪いんですの?朝食に来られないばかりか、突然水差しの水をかぶられたとか……」
……あの死神女ァっ!適当かましやがってぇっ!
「私に水をぶっかけたのはその偉そうなルツィアです」
「そんな……ルツィアお姉さまは優しい方ですのに。なにかいさかいがありましたの?でしたらわたくしもお口添えしますから……」
ああ、そうだっけ。白薔薇姫カタリナはその名前の通り、純真無垢な少女だ。
それでよりどりみどりのイケメンとフラグを立てつつ、帝位を狙う赤薔薇姫ルツィアの陰謀を交わし最後は選んだイケメンと一緒に帝国を平和に導く。「白薔薇の帝国」はそんな話だった。
あれ?赤薔薇姫ルツィアが第一皇女、黄薔薇姫エーレン、っていうか私が第二皇女なのになんでこの子が帝位を継ぐんだっけ?
あー、けっこう前にクリアしたゲームだし、病気とかほかにインパクトのある出来事がそのあとたくさんあったからいまいち思い出せない~。
「お姉さま……?」
カタリナが私の顔を覗き込む。
その緑の瞳は本当にとろけるようで、女の私でもちょっとドキドキするくらいだった。
ヒロインパワー、すごい。
「ねえ、お姉さま、ルツィアお姉さまが嫁がれたらこの国を守るのはお姉さま……。どうかお元気になってくださいまし」
あ!そうか!思い出した!
赤薔薇姫ルツィアはその美しさを隣国の王に見初められ、政略結婚で嫁いでいくんだ!
でも、ヤルヴァ帝国の女帝になるつもりで生きてきた第一皇女ルツィアにはそんなことは許せなくて、第二皇女黄薔薇姫と第三皇女白薔薇姫を抹殺しようとする。
それでヒロインパワーに溢れてる白薔薇姫カタリナに群がるイケメンがカタリナを助けて帝位につけようとして……だから、「白薔薇の帝国」
あれ、じゃあ私は?第二皇女エーレンは?
なんで第三皇女が帝位につくの?カタリナは人を蹴落とすようなヒロインじゃなかったはずだし……。
おかしいよなー……なんでエーレンじゃなくてカタリナがヒロインなんだろう?
ゲームをしてたときの記憶を必死でたどって、たどって……。
私はヒッと息を呑む。
そうだ。私はいちおうは第二皇女だけど、ゲーム開始後すぐに処刑される実質モブだ。
赤薔薇姫、ルツィアの策略で、反逆者、黒薔薇姫として国民の前で晒し者にされて。
そして、無実の姉を助けられなかったその痛みを糧にして、目の前の白薔薇姫カタリナは弱いだけのヒロインじゃなくなるんだ……!
どうしよう……。
この前死んだばっかりなのにまた死ぬの?やりたいこと、まだ何もできてないのに。
「カタリナ、今日は何月何日?」
「黒の月の10日ですわ」
……もう時間がない。
イベントがゲーム通りに進行するのなら、黒の月の15日に私は処刑される。
そう、黒の月に処刑されるから、私は黒薔薇姫エーレンになる。
「……カタリナ、だいぶ気分も優れてきたから侍女たちに着替えを持ってくるように伝えてくれる?庭を歩きたいから軽装がいいわ」
「はい!よかった。お姉さまがすこしでもお元気になられて!」
カタリナが優雅な急ぎ足で部屋を出ていくのを見送ってから、私はぎゅっと拳を握った。
二度死ぬなんてもうたくさん。
どんな手が使えるかわからないけど、私は雑草を食べても生き残ってやる!!
フラグ?そんなものへし折るためにあるのよ!!
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