第2話 死んだと思ったら乙女ゲームの世界にいました

「おまえは本当にか弱いのねえ、エーレン」


 憐れむような女の声と、ぴしゃりと顔にかかる水の感触。

 夢、夢、全部夢。天国に行くのに回り道してるだけ。

 そう思って私はぎゅっと目を閉じる。


「寝たふりなんてやめなさいな。次はこのグラスの水を全部かけるわよ。___まあ、ずぶ濡れのおまえを見るのも面白いわね」


 うふふ、と喉にこもったような声で女が笑う。

 なにコイツ。死神?

 なら私はもう死んでるんだからほっといてよ!


「……生意気な子」


 声と一緒に、顔に大量の水が降ってくる。

 ぷはっとむせて、思わず私は目を開けてしまった。


「ほぉら、はじめからそうすればいいのよ。赤薔薇の私に逆らうなんて生意気なこと」


 私を見下ろしたのは、鮮やかな赤い色の髪をドリルみたいな巻き髪にした女だった。

 死神にぴったりな紫と青の中間みたいな不思議な目の色。でも……すごくきれい。

 いや、見惚れてる場合じゃないし!

 死んだだけでも最悪なのになんで死神に水をぶっかけらんなきゃいけないわけ?


「何すんのよ!ふざけんな!タオル!」

「え?」


 女が一歩下がる。


「タオルって言ってるでしょ!びしょ濡れなのが見てわかんないの?こんなことしなくても素直についていくわよ死神!!」

「死神……?赤薔薇の私を、死神?」

「そうでしょ!もうなんでもいいからさっさと仕事してよ!遊びじゃないんだから!」

「確かに、遊びではないわね。……おまえは本当にエーレン?」


 女の手が、ベッドサイドのテーブルに伸びる。そこには女が持っているグラスとはサイズのまるで違う、大きな水差しが置いてあった。


「でも、いくら強がろうとおまえがどんな人間かはよく知ってるわ。

 虚勢を身につけたのは褒めてあげるけど、赤薔薇の私にこんな恥をかかせた罰を与えなければね」


 水差しが私に向かってくる……!

 って超のろい!お父さんの剣の速さに比べたら子供の遊びじゃん!

 私はその女の手首をひねりあげ、逆に水差しを取り返し、思い切り女に水をかけた。

 剣道以外の武術もお父さんにある程度叩き込まれてるから、こんなの一瞬。楽勝。

 きゃっと女が悲鳴を上げる。

 ドリルみたいな髪も死神らしくない真っ赤なドレスも、私となんか比べ物にならないくらいずぶ濡れだ。


「こんなことしてただですむと……」

「思うわよ!先に水をかけてきたのはそっち!私、売られたケンカは高く買う主義だから。だいたいね、あんなに簡単に手首を取られるような人間が私にケンカを売らないでくれない?次は折るから」


 女の目が大きく見開かれる。


「あなた、私にそんなことを言って……」

「うるさい!死神は死神の仕事しろ!ほら、さっさと!!でないと殴る!」

「なんですって?!」


 ぱっと赤くなる女の顔。怒ってるみたいだけど怒りたいのはこっちだよ。こんなわけのわからないことをされて!


「殴るって言ってんの!それとも蹴りがいい?剣で勝負をつける?死神に勝てたら生き返れそうだもんね!」

「あなた、気でも狂ったの?!」

「死神がそれ聞く?!頭に来てるに決まってるでしょ!まだ私17歳だったのに!私はもっと生きてたかったの!!」

「……どうも、いまのあなたとはきちんとお話ができそうにはないわね。また後でゆっくりとお話をしましょう……。そう、ゆっくりと……。

 黄薔薇姫、エーレン」

「上等よ。あ、死神、私に変な名前を付けるならそっちも名前を名乗りなさい」

「なんて生意気な口のききよう……この赤薔薇の私に……」

「薔薇とかどうでもいいし!ほら、名前!」


 私が拳を握ると、手を出されるのかと勘違いしたのか、女はまた一歩後ろに下がって、嫌そうに口を開いた。


「私は赤薔薇姫、ルツィアよ。ヤルヴァ帝国第一皇女、ルツィア・ヨハンナ・ヤルヴァ。

 ……こんな屈辱を黄薔薇のお前に味あわせれるなんて……覚えてらっしゃいな……!」


 ぎりっと歯を噛み鳴らして、死神女、あ、ルツィアは部屋から出ていく。


「どうでもいいけどタオル持ってきてよ!」


 私はその背中に呼びかけたけれど、ルツィアは振り返りもしなかった。

 一方的に喧嘩を売っといて、ヤな奴。

 ……ちょっと待って。

 いま、あの死神女、ルツィアとかヤルヴァ帝国とか言ってたよね?それで私がエーレン。

 なんか全部聞き覚えがあるんだけど……。

 そう言えば、赤薔薇姫とか黄薔薇姫とかも……

 私は顔が水で冷たいのにもかまわず、うーんと考え続けて、信じられない可能性に思い当たった。


 これ、全部、昔クリアした乙女ゲーム、「白薔薇の帝国」に出てきた名前だ。


「嘘でしょー?!ここ、ゲームの世界の中なの?!」


 私は思わずベッドの上で絶叫した。

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