第103話 傳馬先生はかく綴りき
その日、どこからか取り出したそろばんをぱちぱちとはじく男を前に、あたしは痛む頭を抱えていた。
「なるほど。それでは花魁の取り分は二割五分ということで」
「いやでござんす」
「なに? 二割五分ではご不足とな。ええい、三割、三割でどうです。これ以上はびた一文譲れませんよ」
「取り分の問題ではごぜんせん! わっちはいやだと言うておりんす!」
男の名前は
登楼してきたら即、あたしを主人公にしたノンフィクションを書きたいと言い出したんだけど……絶対やだ。あたしの中に、お殿さまに勝手にあたしのことをお芝居にされた悪夢が蘇る。
……あのときも! 宣伝どころか! 変わったお客さまが増えただけ! でした!
勝負に勝てなくなったお相撲さんに、勝てるようになる心がけを教えてくれと言われたときは、ほんとどうしようかと思ったもん。
「これはこれは、嫌よ嫌よも好きのうち。さすが花魁、参りました。三割二分でいかがでしょう」
ちな、さっきから連呼されてる割合は、本の売り上げのうちのあたしの取り分らしいです……。一分もいらないから諦めてくれないかな、マジで。
「わっちはそたあ駆け引きは嫌いでおりんす。まっこと
「なにをおっしゃいます。良いですか、花魁に憧れている人間は数多おります。その者たちの
「結構でありんす」
「その上、良い銭にもなります」
「なおさら結構でありんす」
「まったく強情なお人だ。なんと申せばわかってくれるのです?」
それはこっちの台詞だよ!!
もうケリでも入れて追い出したいけど、お客さまはお客さま。いろいろとこみ上げてくるのをこらえて、にっこり笑う。……笑顔、引きつってないといいな……。
「なにを申しんしてもうなずくことはござんせん。諦めなんし」
「左様ですか……」
「あい」
うーむ、と下を向いていた小太鼓さんが、ぱっを顔を上げて明るい笑みを浮かべる。
「では、花魁が駄目ならば花魁のご同輩を紹介……」
けど、その笑みはあっという間に曇ってしまった。
「いや、しかし、馴染みを変えるのは
いいえ! 今回だけは指名替え全然OKです!!
てゆーかもう、あたし以外を指名してくれるなら今回の揚げ代はいらないくらい!
そんで家に帰ってノンフィクションでもラブコメでもなんでも好きな小説書いてください! あたしヒロイン以外で!
「此度はわっちが小太鼓殿の申し出を断った落ち度がありんす。お内儀さんにはわっちからよう言いまするゆえ、今から好きな相方を探しなんし」
「これは有難き。それではお言葉に甘えさせていただきます。花魁、本日は重ね重ね有難うございました」
小太鼓さんが座敷から出て行って、あたしはふーっと息をつく。
ヤバい。こんな肩こったの初めてかもしれない。
でもなんとか二回目の「自分作品化」は阻止できた!あたし、めっちゃ頑張った!
……と思ったあたしは甘かった。それを知ったのは、それからしばらくして、巳千歳の廊下で桔梗に呼び止められたときのこと。
「あぁ、山吹殿、小太鼓の先生から預かり物がありんす」
「小太鼓……あの戯作者の?」
「あい。この草双紙を渡してくんなんしと」
「なんでおりんしょ……う?!」
語尾が花魁らしくもなく変に上がっちゃったけど許してほしい。
だって、だって、本の『
「これ、は」
「先生に、売れたら取り分を渡すので、わっちのことを草双紙に書いても良いかと尋ねられなんしてなあ。わっちの馴染みも増えんしょうし、巳千歳の客も増えんしょうと、受けなんした。ああ、お内儀さんも喜んでおりんしたえ」
これでわっちがお職になる日も近づきましょうぞ、と桔梗は屈託なく笑ってる。
「それでの、先生がわっちと女いくさができるのは誰かと聞きささんすのでな、山吹殿しかおりんせんと話したら、こたあ草双紙になりんした。世辞ではありんせんえ。わっちが吉原で認めておりんすのは山吹殿だけでござんす」
あ、ああ、そうなんだ……あたしのこと認めてくれてめっちゃ嬉しいよ、ありがとう、桔梗……でも一言あたしに出してOKか聞いてほしかったな……。
「どうなすった、山吹殿。顔色が悪うおりんすよ」
「ちょ、ちょいと癪が来いなんした……」
「あれ、早う座敷で休みなんし。先生によれば草双紙は売れているそうで、これから客も増えんしょうからな。龍のわっちに虎の山吹殿、どちらも揃ってのうては看板倒れというものでござんすよ」
マジかよいっそあたしが倒れたい。
桔梗の言葉を聞いたとき、頭をよぎったテロップはそれだった。
<注>
勝負に勝てなくなったお相撲さん:第50話「一年を二十日でくらすいい男」に出てくる七ツ森さんです
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