第102話 長良屋清右衛門という男
土屋さまからのお手紙たちは大事に手文庫にしまって、また、あたしの日常が始まる。
今日お迎えするお客さまは
材木問屋の長良屋の息子さんでまだ三十代前半。爽やか系のイケメン。でも、お金持ちなのもイケメンなのも鼻にかけたりしないで、綺麗にほどよく遊んでくれる、本当の意味で粋なお客さまの一人。……の、はずなんだけど、なんか変。
いつもなら、下戸だからとあたしの座敷でゆっくりお茶を飲んだりしたがる人なのに、今日は大座敷に幇間や芸者を呼んで、飲めや歌えやの大騒ぎを眺めてる。
えー……。マジでどしたん? もしかして講で一発当てた? いや、でも清右衛門さんちには講とかそんなんどうでもいいくらいお金があるはずだし……。
ていうか、これだけお金をかけてるのに、清右衛門さんが全然楽しそうじゃないのも気になる。
「どうしました」
怪訝そうなあたしの様子に気が付いたのか、いつものように穏やかな顔で清右衛門さんが尋ねる。
「今日はずいぶん賑やかだと思いなんしてなあ」
「賑やかなのはお嫌いですか」
「いないな、こたあのもようござんす。のう、桜、梅」
「あい。祭りのようでありんす」
「ほら、わっちの禿もこう言っておりんす。賑やかなのは良きことでござんすよ」
「けれど、これも今日で最後ですから」
……は?
ちょっと頭がついていかなかった。
長良屋さんが破産とか? いや、話を聞いた限り、堅実に商売してる
じゃあ清右衛門さんがなにか気に食わんことがあって
でも、そのわりに清右衛門さんはゆったりと微笑んでいて……。
「房州の叔母の所に養子に行くことになりました。いい頃合いの所で長良屋の暖簾わけをしてもらうはずでしたが、叔母の家の長男坊が流行り病で死にまして……そちらを継ぐことに」
「あれ、まあ」
「叔母の家には娘がおりますから、まあ、
「さよでおりんしたか」
「房州で婿になれば、もうここに来ることもできないでしょう。最後くらいは派手に、と」
しかしやはり居心地が悪い、と清右衛門さんが笑う。
「清右衛門殿が来なくなれば寂しゅうなりんすなあ。とは申しささんしても、一家の主となるのはめでたきこと。おめでとさんでござりんす」
「はは。あなたに祝われるのは複雑な心持ちです。……贅を尽くして思い切り遊べば、未練も断ち切れるかと思いましたが……」
清右衛門さんの目が遠くを見た。
一瞬、座敷の喧騒が嘘みたいに静かになった気がした。
「あなたを好いておりました」
まるでひとりごとみたいな清右衛門さんの声。
「暖簾分けでひとかどの店主となれれば、あなたを
あたしはなんて答えればよかったんだろう?
軽いトークなんかで返しちゃいけない気がして、ただ、清右衛門さんの手を握りしめていた。
「……また来なんし、と言っては駄目なのでござんしょうな」
「はい。未練になりますから」
きっぱりと告げた清右衛門さんが、懐から小さな包みを取り出す。
「良い
「開けてみてもようござんすか」
「はい」
包みの中には、黄漆塗りの地に
「山吹色……あなたの色です。できれば普段に使い、こんな男もいたのだとたまには思い出していただければ、それより嬉しいことはありません」
「忘れやしやんせん。……房州でも末永う健やかに過ごしなんせ」
「ありがとうございます。下戸の私を嫌な顔一つせずもてなして下さったあなた。最後はいつものようにあなたと茶を飲みたい……」
そう言う清右衛門さんに応えて、幇間や芸者衆には下がってもらう。そして、広い大座敷であたしはいつものようにお茶を点てた。
「なぜでしょうね。いつもより苦い」
苦笑した清右衛門さんの肩に手をかけて、あたしはその頬にそっと口づける。
「よござんすか。殺さずとも、その心、わっちが預かりまする。安心してまっさらな心でお行きなんし……」
間近で囁いたあたしの言葉は清右衛門さんにはどんな風に聞こえたんだろう。
わからないけれど__でも、そのとき、清右衛門さんは今日いちばんのいい表情を浮かべてくれた。
<注>
講:ここでは、何人かのメンバーでお金を積み立て、当選者にそのお金が渡される講をさします
房州:現代の千葉県、房総半島南部のあたりです
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