第94話 小夜鳴鳥が囀るとき 参

「小夜姫さま!」


 北邑さんの焦った声にも応えず、小夜さんがそのまま立ち上がろうとする。


あにさま、お待ちになってくださいまし!」

「くどい!」


 けれど徳之進さんは、そのまま部屋を出て行ってしまった。

 呆然と前を向いていた小夜さんが、その場にへたりこむ。


「……わらわは、どこで間違ったのかしら」


 細い声といっしょに流れた涙が、ほとほとと小夜さんの頬を濡らした。


「兵吾さまの贈り物を秘したこと……良かれと思ってのことだったのに……全部、全部台無しに……! こんなことになるなんて思いもしなかった。なのに……。わらわが兄さまに隠し事などしなければ! 北邑に相談すれば! 小夜の浅い見識などで物事を決めなければよかった!」

「小夜姫さま、そうご自分を責めないでくださいまし。北邑にも非があります。北邑の、安心院あじむ桂子かつらこ憎しの言葉をお聞きになっていれば、小夜姫さまが逡巡しゅんじゅんするのも道理。見識の浅さがことを招いたのならば、それは北邑の浅さでございます」

「良いの。良いのです。北邑はこんなわらわに良く仕えてくれました。ありがとう」


 小夜さんが泣きながら笑う。


「……でも、小夜はもう兵吾さまのさいになれないのですね……」


 しゃくりあげながらの小夜さんの声は切なくて、あたしの胸も痛くなった。

 気づかないうちにかげりかけてた太陽が部屋を赤く染める。次々と涙の粒が滑り落ちていく小夜さんの頬も、夕焼けのせいで赤い。

 そんな小夜さんになんて言ったらいいかわからなくて……情けないことにあたしは無言になっていた。

 だって無責任な慰めなんて言えないじゃん。こんな状況で楽観論とかもマジ無理じゃん。したらさ、いまここであたしが口に出せるちょうどいい言葉なんか、見つからないよ。


「山吹……もうすこしだけ、わらわのそばにいてくれるかしら?」

「もすこしと言わず、一晩中でも」


 ほら、こんなことしか。


「いいえ」


 小夜さんが首を横に振る。


「この前もあなたには奥に泊まってもらいました。そんなに何度も何度もあなたを引き止めるのは、きっと良くないことです」

「わっちのことなら心配なさしんす。いまはご自身のことだけ考えなんし」

「ありがとう。あなたは本当に優しいのですね。でも、だからこそ、わらわはそれに甘えてはいけないと思うのです。……どう、北邑、わらわもすこしは大人になりましたよ」

「小夜姫さま……きっと、きっとしばらくたてばお上の心も和らぎます。どうかお気を落とさず……」

「さよでおりんす。ひにち薬という言葉もありんすえ」


 小夜さんがもう一度首を振った。


「兄さまは一徹なお方。きっとお言葉を翻されることはないでしょう。とにかく、小夜は追っての沙汰を待ちます。……今日はこの話はここまでに。北邑、小夜は山吹に茶をてたく思います。用意を」

「畏まりました」

「兵吾さまほどではないけれど、わらわも茶の道は学んでおります。山吹、わらわの茶を飲んで頂戴な。そして……なにか、楽しい話でもいたしましょう」









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