第87話 小夜鳴鳥は囀らない 六

 そして、あたしが用意したのは、火鉢と火箸。そう! いつか桜と梅にも使った火箸アイロンです! それでくるくるっと小夜さんの髪を巻くのです!


「や、山吹……?」


 さすがに驚いたのか、小夜さんがちょっと体をのけぞらせる。北邑さんも「む」と眉を吊り上げた。


「安心なんし。これが髪を結う道具になりんす」


 火箸を片方だけ火鉢の灰に埋めて熱くしながら、あたしは小夜さんの髪に手を伸ばした。

 よっしゃ! 思った通り、猫っ毛だ。この髪質と髪色なら、現代風のふわっふわ盛り髪が絶対似合う!!


「髪を……?」

「あい。小夜姫殿のお髪をこれにて結いんす。さ、失礼」


 二つに分かれた火箸の、片側の鉄の部分だけがゲキアツになったのを確かめて、あたしは針金をぎゅっと二つ折りにして作ってもらった急造アメピンを右手に取る。左手にはびんつけ油をワックスみたいに手に取って……。


「少々辛抱しんしな」


 言葉をかけながらブロッキングして、アメピンを刺しつつしつつ、くるくると小夜さんの柔らかな髪を巻いていく。

 桜と梅に山吹髷を作ったときは江戸時代風にびしっとまとめて巻いた髪。今回はそれをキャバな盛り髪に忠実に盛っていって……。

 ヤバい超懐かしい、この感じ。

 あたしもこんな風に盛ったなー……。

 ところどころには簪を挿してオリエンタルに華やかな雰囲気を崩さないようにして……盛り髪だけど、あくまで基本は和髪だから……。


 てきぱきとヘアセットの作業をしてたら、北邑さんの視線もずいぶん穏やかになった。

 ね?あたしも小夜さんのこと考えてるって、嘘じゃなかったでしょー?


 ん?


 あたしはそのとき、小夜さんの首筋__普段はおすべらかしで隠れてる部分__におかしなものを見つけた。

 尖ったものでひっかいたような赤い線がそこには浮いていた。ただ、それがあたしの手を止めさせたのは、その形がどう見ても人工的な模様だったこと。うねうねした円形の縁どりに……なんか文字みたいなものが見えて……。

 これ、おかしくない?!


「北邑殿」

「なんでございましょう」

「ちいと来てくだしんせんか。小夜姫殿の髪の具合を見てほしゅうおりんす」

「わかりました」


 すすす、と北邑さんが小夜さんの背後に周り、あたしの手元に顔を寄せる。

 あたしは無言で、小夜さんに首筋の傷?のようなものを北邑さんに指し示した。


「っ……!」


 北邑さんの顔色がさあっと変わった。


「いかでござんすか」

「わ、悪くはありません。結い終えたらそなたに礼を取らせましょう。のちほど、我がつぼねへ……」

「あい、わかりんした」


 穏やかな口調とは正反対に、北邑さんの顔は青白かった。その上、「今はなにも言うな」とあたしに伝えるように、てのひらで自分の口元をぐっと抑えていた。

 これは小夜さんに知らせていいものじゃないんだ。そう理解したあたしは、黙ったまま北邑さんと目を合わせてうなずく。「わかってるよ」の代わりに。

 ……かなりヤバい事態なんだろうな、これ。


                  ※※※


「さ、小夜姫殿、鏡を見なんし」


 とりま、盛り髪を作り終えたあたしは、小夜さんに鏡を持たせる。

 小夜さんの明るい色の髪には、ふんわり遊びを作った盛り髪がぴったり似合ってた。

 なんだか、そこの風景だけ切り取って現代に来たみたい。

 いいじゃんいいじゃん。すっげいよきじゃん!


「まあ……」


 鏡の中の自分を見て、ほわっと小夜さんの顔もほころぶ。


「変わったかただけれど……とても素敵ね……!」

「この型は小夜姫殿のようなおぐしでなければ似合いんせん。そのうえ、これはわっちが考えんした型。江戸広しといえど、結っておりんすのは小夜姫殿だけ。そたあこと、まっこと数寄者すきもの好みでありんしょう」

「え……山吹」


 ぽっと小夜さんの頬が赤くなる。


「安心院殿も惚れ直しますえ」

「あら……恥ずかしいこと……」


 そんなん言っても、目が笑ってますよ、小夜さん。

 ほんと嬉しそう。まだかすれた声はそのままだけど、薄暗い影が取れた感じ。


「……ありがとう、山吹……兵吾さまはずっと私に文をくださって……待つと……」

「よござんすなあ。それはまっことようござんす。その殿御は大切になさんせ」

「そうね……ねえ、北邑……この髪、兄さまや兵吾さまにもお見せしたいわ……」

「小夜姫さま……!」


 にっこりと笑った小夜さんにそう声をかけられて、北邑さんが息を呑んだ。それから、泣き笑いみたいな表情を作る。


「はい。はい……!北邑が喜んで万事手配いたします!」


 よっし! 小夜さんの気分もかなり上向いたみたいだ!

 盛り髪してみてよかったー!

 これなら安心院さんも二度見するって!盛った小夜さん、マジ可愛いもん!


                ※※※


此度こたびは良く働いてくれました、山吹」

「いないな。小夜姫殿が笑ってくだしんしただけで、わっちは充分でおりんす」

「いえ、それだけではありません」


 え?


「小夜姫さまの首筋に忌まわしき印を見つけてくださったこと、本当にありがたく……」


 あー、やっぱあれ、なんかよくないもんだったんだ。


「小夜姫さまのお声が出なくなってから診ていただいた高名なお坊さまが、小夜姫さまには人のしゅがついていると……ただ、そのような不吉なことはお輿入れにも差し支えるゆえ、私の一存で上さまにも秘しておりました。それからも何度か加持祈祷を行いましたが姫の声は変わらず、私も途方に暮れていたところだったのです。印が見えればお坊さまがなにやら手立てを考えることでしょう。北邑は心から礼を言いまする……」


 呪い?!マジで?!

「嘘でしょ」ってのが顔に出ちゃってたのかもしれない。

 北邑さんが、ふう、とため息をついた。


「私もお坊さまの言葉を疑っておりました。上さまに秘していた理由も、不確かなことで小夜姫さまのご評判を傷つけてはならぬという思い……されどあの印を見れば、お坊さまはまことを申していたのだとしか考えられませぬ。私共は急ぎ再びの加持祈祷の手配をするため、山吹殿は一度宿にお帰りなさいませ」




 <注>

アメピン:現代で髪を結うときに使うピン。別称アメリカピン

おすべらかし:武家風と公家風があります。公家風はお雛様の髪型、武家風はそれ+前から見たときに、髱がある髪型です。中臈や将軍子女、御台所など、大奥では高位女性に許されています。ドラマの「大奥」で主要登場人物たちがしている髪型を想像して下さい

つぼね:大奥内の女性たちの居住部分のことです

数寄者すきもの:わびさびを好む人、特に茶道に関するものを好む人のことです。おおむね良い意味で使います。小夜姫の許嫁者、安心院あじむ兵吾ひょうごが茶人として高名ということから、暗に「この髪型はきっと安心院さんの好みですよ」と山吹は告げています

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