第68話 山吹江戸城華いくさ 壱


 ぽーっと目を見開いて桜と梅が立ち尽くしている。


「これが公方さまのおられるところでありんすか……」

「わっち、こたあ大きな家、見たことありんせん」

「家ではのうござんすからなあ。こちらはえ……」

 

 江戸城、と言いそうになってきゅっと口を閉じ、言い直す。


「こちらは御城おしろ。よう覚えなんせ。公方様の住まう場所の名前でおりんす」


 ヤバかった……!


 江戸城は現代での呼び名だからなー。

 ないとは思うけど、うっかり人前で使って、「逆賊誅せよ!」なんてなったら困るし。いや梨木さんみたいなタイプの人ならやりかねないし。マジで。


「さ、二人とも、行きんすよ」


 案内のお武家さまは自分について前に進むように促してる。それでもまだぽやっとしてる二人の手を引きながら、あたしはそう告げた。


「あい……あ、足がもつれんす」

「わっちも……籠の中で見た景色だけでも目が廻りそうで、とてもとても……」

「外は吉原とはずいぶん違っていたでおりんしょう」


 想像してた通りのリアクションが返ってきてあたしは嬉しくなる。

 この子たちは吉原で生まれ育ってるから、外の景色を見たことがない。

 だからきっと、何もかも嘘みたいに綺麗に見えたはずなんだ。


「山吹どんの言いささんす通り……大門の外というのは美しゅうおりんすなあ……」

「わっち、ああた長い道、見んしたことござりんせん。まっつぐな道がどこまでも続いて……」

「二人の申すことはもっとも。公方さまの治められるこの日の本はまことに良いところ。公方様の威徳のおかげ様で、いくさもなく、穏やかで……」


 前を歩いていたお武家さまが、あたしの言葉に合わせたみたいに静かにうなずいた。

 このなんだかよくわからない客に声はかけたくない。けれど、その意見には同意したい。そんなオーラが背中から出てる。


「まずはわっちは膳部に上がりんして……桜と梅は言いつけた通り、わっちをすけること。ようおりんすな?」

「山吹どんの言いつけならば、よぅく覚えておりんす、のう、梅」

「あい。わっちも山吹どんの妹女郎として、立派に務めてみせまする」




               ※※※





「かような場所からの案内あないで申し訳ない」


 黙々と歩いていたお武家様が、振り返ってあたしたちをちょっと見る。

 

 あたしたちがくぐった門は樹木に隠されたような小さなもので、番をしている人数も少なかった。

 てか、門をくぐって江戸城の庭園の中に入ってからも、誰ともすれ違ってないんだけどね。


「されど、いかに公方様が許された客と言えど……」


 御武家さまが言葉を濁す。

 あたしはそれに、「いいよいいよ」って思いを込めて微笑んだ。

 身分のない町人どころじゃない。あたしたちは身分の枠の外の遊女。どの門から入るかの議論だけでも、梨木さんが「胃が痛い……」と顔色を青くするのが目に浮かぶ。


「へちりあ人をもてなすのはあれである」


 御武家さまが木々に囲まれてる、ちんまりとした小屋を指し示した。

 わー……いい感じ。西山荘ぽい。ヤバい渋い。


「梨木様が準備せよと申されたものはすべて揃えた。多寡があれば申されよ」

「わかりんした」

「……あのような奇態なものでへちりあ人は喜ぶのか」

「あい。南蛮のことなら任せなんし。膳はわっちが、座敷はわっちの禿がととのえささんす」


 御武家さまの眉間にシワが寄った。

 信じていいのか?こいつらの言うことを本当に信じていいのか?そんな顔してる。

 だから、あたしはにこっと商売用の笑顔を頬に乗せた。


「安心なんし。異人のことならば、わっちは江戸一知っておりまする。ゆえに、Believe meでありんす」

「びいみい……?」

「異人の言葉でおりんすよ。わっちを信じてくだしんす。そたあ顔はおやめなんせ。せっかくの男ぶりがもったいのうござんす」

「うぅむ……」


 御武家さまが困ったように鼻をこする。

 そして、ぺこりと軽く頭を下げた。


「ならば一切お任せ申す」

「あい。わっちの首にかけて、この宴、うまく運んでみせまする」


 そう。これもある意味あたしのいくさ。

 なら、絶対勝って見せるんだから!





<注>

御城:江戸時代は「江戸城」という呼び名は存在しませんでした。

まっつぐ:まっすぐ の江戸言葉です。

どの門から入るかだけでの議論だけでも:江戸城にはいくつかの門があり、それぞれ身分や職業によって入城する門が違っていました。

西山荘:西山御殿とも。茨城県に存在する晩年の水戸光圀の隠居所です。当時の大農家の家屋を模したような作りながら、その鄙びた風合いが上品に感じる、美しく侘びた建物です。

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