革命の狼煙は上がるのか? 

 カフェを出る頃には、落ち込んでいた私たちの空気も通常通りまで回復していました。

「……そろそろ『モモモ』を観に行くよな?」

 もう待ちきれないといった様子で、彼はそう訊ねました。元々、それだけが目当てだったのですから、この私たちが出歩いていた時間は彼にとっては、もしかしたら退屈な時間だったかもしれません。 ですが、私としてはこの街中散策が先ほどのカフェで終わりというのは、個人的にいただけませんでした。あのカフェを最後にするには、先ほどの空気は余りにも後味が悪かったのですから。

 終わりはもう少し楽しげな方が良いでしょう、それももっと非日常的な。

「まぁ、もう少しだけしたら……」

 と、私は彼に適当に返しながら、何か使えそうなものはないかと辺りを見回した。まだ夏の終わりだからだろうか、この時刻になってもまだ外は明るかった。

「あ、鈴木さん。アレ、行ってみませんか?」 

 ふと、私は視界の端に興味深げな看板を捉えましたので、丁度良く使わせていただくことにしました。

「『カップル限定お化け屋敷』ぃ……? まだアニメを観ないのか」

「そこまで残念そうなオーラを出されてしまうと、ついつい提案を取り下げたくなってしまいますね。ですが、やめません」

 大の男が肩をシュン、とすぼめる様に思わず胸がキュン、としかけた私でしたが、ここは私の欲を優先させていただきます。一応、心の中で頭を下げておきました。

「楽しそうではありませんか、夏の終わりにお化け屋敷納めですよ?」

「うーむ。だがお化け屋敷は基本、ラノヴェ的に考えたら遊園地イベで出てくるべきじゃないか? ここで消費してしまうのは勿体ないような……時期尚早なような?」

「サブカル的思考から渋られてしまうと、ちょっとむかつくところもございますが、そうですね。確かにお化け屋敷といえば遊園地です」

 そこで私は言葉を区切ると、タッ、と彼より一歩先へと踏み出した。そして振り返ると後ろ手に手を組んで、彼にニコリと笑みを向けた。

「――ですが、遊園地以外でのお化け屋敷というのもある意味非日常的で、楽しいかもしれませんよ?」 

「……まぁ、王道から外れていくってのもライトノヴェルの醍醐味だよな。行ってみるか」

「はいっ♪」

 彼はライトノベル的理論を用いて自分自身に折り合いをつけつつ、渋々といった様子で頷いた。  強引な形となってしまったものの、自分の望ましい返答が出たことを嬉しく思いながら、私はさらに笑みを強めた。

 彼の手を掴み、引っ張って駆け出す。お化け屋敷のあるビルへと向かって。

「うぉっ、いきなり走り出すなよ。まったく……」

 突然の行動に少々泡を食った彼だったが、今日一日で私の突発的な奇行(私が言うのもなんだが)にも慣れてきたのか、すぐさま落ち着いた様子で受け入れてくれた。彼のそんな些細な態度に、私の胸に再び嬉しさが込み上げて来たのだった。




 外見は古ぼけた雑居ビルのような有様であったが、案外内装は綺麗であった。おそらくオープンして間もないのだろうと、受付を済ませながら私はそう感じ取った。

 受付の男の方の話によると、どうやらこのお化け屋敷は五階建てのビルをまるまる使っているらしい。プレイヤーは二階から五階までの階にそれぞれある迷路内で特定のアイテムを見つけ、四つ集め終えれば脱出が出来るという内容だという。

 もちろん、迷路内にはクリーチャーも徘徊していて……ホラー要素も文句なしであるようだ。

 少々特異なタイプのお化け屋敷であるものの、内容自体には問題が無さそうなので、階段を昇りながらほっ、と私は胸をなで下ろした。

「ふぅ。勢いで入ってしまいましたが、どうやら楽しめそうですね。自分で言うのも恥ずかしいですけれど、私の目には狂いはありませんでした」

「いや、さっきのカフェといい、ただの行き当たりバッタリだろ。たまたまのことをあたかも自分の実力かのように言うのはやめろ」

「……本当、鈴木さんはノリの悪いお方です。私がお誘いしたので、鈴木さんの入場料を肩代わりしたというのに……」

「ぐっ 、そんな唇を尖らせて、悲しそうな顔を浮かべるなっ。確かに最近は『モモモ』の既刊を揃えるのに金を使ってたからな。入場料を払って貰えたのは素直に感謝すべきことなんだが……何だろうなぁ、お前の思い通りになるのは虫がすかんと言うかなぁ」

「ここまで付いてきている時点で既に私の手のひらの上で踊っていますよね、というツッコミは自重した方がよろしいのでしょうか……?」

「おーっ! わりと雰囲気が出てるじゃないか、この迷路」

「大変白々しいです……そうですね、確かに良くできていますね」

 打ちっぱなしのコンクリートで出来た薄暗い通路。リノリウムの床を踏みしめる度に鳴る、靴音が響くほどの静寂の中、どこからともなく薄ら寒い風が吹いてきていた。

 私たちは一メートル先も見え無いほどの暗闇の中、 特定のアイテムとやらを目指し、歩みを進めていった。

 私は彼の制服の袖の裾をそっと、それでいてぎゅっと力強く握りこんだ。この暗闇の中だ、離れれでもしたらはぐれることは確実だと思ったからだ。

 平時の彼ならばこんな些細な行為ですら拒否する可能性もあったものの、今回ばかりは何一つ文句を言うことはなかった。

 もしかしたら、彼も私と同じように離れるべきではない、と考えてくれたのかもしれない。そう思うと、私は彼のそんな些細な優しさに感謝をせずにはいられなくなるのだった。

 狭い通路の壁に手をついて、闇の中を文字通り手探りに進んでしばらくした頃。私は一つの違和感を感じていた。

 

 震えが止まらないのだ。


 自分では何とか震えを抑えようとしているつもり、どころか震わせている自覚すらないはずなのに、震えが止まらない。

 その震えは体の中心から生まれ出でてて来たようなモノではなく、指の先から徐々に伝わってくるようなモノであり、私はその不気味な感覚に鳥肌が立たずにはいられなかった。

 指の先からびくん、びくんと小刻みに流れてくる波動。それはまるで、この暗がりのどこかに悍ましく邪悪な『ナニカ』が潜んでいて、私の体へと強制的に力を流し込んで来ているようであった。

 私の頬をつつぅっと、冷や汗が流れ落ちていく。拍動は次第にその速度を上げていく。震えに抗うことはかなわない。

 恐怖。そう、私はこの時になってようやく、自分が恐怖を覚えていることを認識した。

体の震えが一段と強くなる。今度のは強制力によるものではない。純粋な恐怖の圧、それを受けての震え。

 錯乱。恐怖という名の縄に縛られた私は次第に正常な判断力を失っていく。心のざわつきが増大する中でも、私は恐怖という感情だけは正常に認識することが出来ていた。何と言う理不尽だろうか、恐怖という感情も正常に認識できなくなれば、どれ程良かったことか。


恐乱恐乱恐乱恐乱恐乱恐乱恐乱恐乱恐乱恐乱恐乱恐乱恐乱恐恐乱恐乱恐乱恐乱恐乱恐乱恐乱恐乱恐乱。


 心が砕け散り、バラバラになりそうになる、そんな中。私は一欠けら残ったその理性を使い切り、 縋るような視線をこの場で唯一頼りに出来る彼に――こんな暗闇の中でも、掴んだ裾の先から確かに感じられる存在の彼――に向けた。

 震えそうになる言葉を、少しだけ生まれたなけなしの勇気で押さえつけながら紡ぎだしていった。

「す、鈴木さん……さ、さっきから可笑しなことが起こっているのですが、鈴木さんの方では何か不自然な点はないでしょうか――」


「ガクガクブルブルガクガクブルブルガクガクブルブルガクガクブルブルガクガクブルブルガクガ」 


「――って鈴木さんそのものが不自然かつイレギュラーと化していますぅぅぅぅぅ! さっきから震えていたのは貴方だったのですかっ!」

 自分が感じていた不条理をそのまま叩きつけるかの如く、私は思わず鋭いツッコミをかまして……。 

「――ギョわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


「普段……というほど出会ってからまだ時間が経ってはいませんが、普段からは想像も出来ない程の聞くに堪えない音域が鈴木さんの声帯から飛び出てていますっ! 鈴木さーん、こっちに戻ってきてください」

 突然、私が大声を出したことに驚いたのか、鈴木さんは激しく取り乱してしまわれました。

 ちなみに薄暗い照明の中にあっても、彼が恐怖に囚われながら苦悶の表情を浮かべる様はハッキリと見ることが出来ました。正直、トラウマモノです。   

「――ぁぁぁぁぁぁ!……ってお前か、驚かせるなよ」

「むしろ驚いたのはこちら側なんですけれどね」

 私の必死な呼びかけが功を奏したのでしょうか、彼はこちら側へと戻って来てくださいました。あちら側がどんな場所かは全く持って分かりませんが、想像を絶する程の恐怖が秘められているであろう事は、先ほどの彼の状態を見てかろうじて理解が出来ました。

「それにしても……先ほどの携帯電話も真っ青の振動数もそうでしたが、もしかして鈴木さん怖いものが苦手でしたか?」

「むぅ。まぁ、な」

 彼はそう言うと、バツが悪そうに頭の後ろをかいた。

「ほら、ラノヴェ的に考えるとホラー回ってのは霊的存在が実際に存在しました~みたいなオチがあったりするじゃないか? 物理攻撃無効の超常的存在がいる。そう考えると恐怖から震えが止まらなくてなぁ……オイ、なんだその哀れなものを蔑むような視線は。俺は別にMの気はないぞ」

「いえ。鈴木さんの発想の根源がラノベからだという事を再確認していただけですよ? 決して、『本当、この人見た目に比べて意外な趣味と残念な思考をなさっている方だなぁ』などとは思っていませんよ?」

「思いっきり口に出てるじゃないか……」

「まぁまぁ、そう怒らないでくださいまし。それにしても幽霊がお怖いなんて、やっぱり鈴木さんは見た目に反して意外な側面の多い御方ですよね。幽霊なんて存在しないと、私は思いますよ?」

 クスクスとした笑い声が零れそうになるのを手で抑えつつ、未だに小刻みに震える彼になだめるような言葉を投げかけました。

「何を言っている、存在を知覚出来ないからといって幽霊がいないと決めつけるのは早計ではないか。もしかしたら今、この会話をしている中でも知覚出来ない場所、次元からソウルを狙うためにのぞき込んでいるのかもしれないんだぞ!」

 彼は大変憤慨した表情を浮かべると、一人でズンズン先へと進んで行ってしまいます。可愛いです。

「一人で先に進んで、幽霊に遭遇しても良いんですかー?」

 が、私が一声かけるとこちらに背を見せたまま、後ろ歩きでそそくさと戻ってきました。大変可愛いです。

「……お手、握りましょうか?」

「そ、そうしてくれると助かる」

 ガクブルと震えながら彼は、私の右手をギュっと掴み歩み始めました。どちゃんこ可愛いです。

 歩き出してしばらくした頃、珍しいことに彼から私へと会話を振ってきました。

「……なぁ、何か話をしながら歩いても良いか? た、退屈でなぁ」

 震えが収まっていないところから察するに、手を繋いでいても未だに心細いのでしょう。無言に耐えられず、気を紛らわせるつもりなのです。再々々度言わせていただきますが、どちゃやばめっさまじぎゃっぷもえかわいいです。声も震わせている辺りがグッドでした。

「えぇ、そうですね。退屈を紛らわすために何かお話でもしましょう」

「た、助かる……とりあえず、訊きたいことがあったんだが良いか」

「私に答えられる範囲なら幾らでも」

 私が快く承諾すると、彼は言いづらそうにしながらも話を切り出した。

「な、なら訊くが何故、お前は朝から俺に付きまとうんだ? あんな悪寒を感じさせ……ごほんごほん! 特徴的な笑みを浮かべてまで見てただろう?」

「悪寒などという不穏な発言が聞こえた気がしますが触れないでおいてと……まぁ、大して深い意味はございませんよ? 単純に私と目が合った鈴木さんが大変嫌そうなお顔を浮かべたからですね」

「はぁーたったそれだけのことで」

「はい、たったそれだけのことです」

 彼は朝からの疑問が解消され合点がいったのか、しきりに何度も頷くと……


「いや、たったそれだけのことかよ! 頭のネジ吹っ飛んでるんじゃねぇのか、おめぇ!」


 と、途中で我に返ったのか、鋭いツッコミが飛び出しました。お湯が沸騰している時のヤカンにとてもそっくりな勢いです。

「頭のネジが外れているというのは少々手厳しいのではありませんか……?」

「手厳しいなんてことがあるものか、むしろ妥当な評価というもんだ! 鬼! 悪魔! 鬼畜!         変人! 死神!  この世の全ての悪! 深淵からの使者! 闇の破壊神!」

「手厳しいを通り越すレベルの清々しいまでの失礼さですね鈴木さん! そういうところなんですよ、そういうところ!」

「そういうところだぁ?」

 ワケが分からないよといった風に小首を傾げる鈴木さん。無表情ながら、そこに可愛さを感じ取った私でしたが、今はそれよりもいら立ちが勝っていました。


「初対面の人の顔を見て! 真っ先に! 意味もなく! 嫌な顔を見せるような方が! 失礼ではないと言えるのですかっ!」


「言われてみれば確かにそうだったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 鈴木さんはガツンという痛そうな音がする勢いで廊下に膝をつき、慟哭を響かせます。その様は正に過去の自分の元へと戻ることが出来たならば、コンクリ詰めにして東京湾へと沈めるのもやぶさかではないぐらいでした。

「とまぁ、そういうわけで『初対面の人間に悪感情をオブラートなしにぶつけられる人』っていう普通じゃありえない要素に私は惹かれたというわけなのです」

「俺が自分で『厄』を呼び寄せていたってことか……」

 後悔に打ちひしがれる彼を見下ろしながら、私はそこまであるわけでもない胸を自慢げに張り、言葉を締めました。

「……でも。こうも私が貴方のことを気にかけてしまうことに、後一つ理由をつけるとするならば。鈴木さんの言動に、あの日、私が夢の中に見た君を重ねてしまったことが理由かもしれませんね……」 

「んあ、何だって?」

 叫ぶことに夢中になっていたからでしょうか。私が控えめに呟いた一言は彼の耳には届いてはいないようです。顔をしかめながら、私に同じ言葉を求めてきました。

「いえ、何でもございませんよ」

 私はうやむやにする形で質問をのらりくらりとかわすと、暗闇の先へと再び歩き出します。それを認めた彼は、この迷宮の中に一人で取り残されてはたまるまいと、慌てたように私の隣へと並びました。

「で、さっきはなんて言ったんだ?」

「重ねて言うようですけれど、何でもございませんって。それよりもこちらこそ質問したいことがあるのですが、何故鈴木さんは私の顔を見てあのような何とも言えない表情をされたのでしょうか?」

 ただの夢での出来事、そんなものを話すつもりはありませんでした。そんな私は、しつこく質問を繰り返す彼に対して、カウンター気味に質問を繰り出しました。

 質問に質問で返した形となりましたが、彼は私のそんな不躾な行為に怒りを見せるかと思いきや、それどころか不審な挙動をしながら後ろめたいような表情を見せました。

「えっ、あっ、それは、えー、うぉー、ぐっ、れっ、いっ、もんぅぅ……」

「あら、まさか言えないようなことなのでしょうか?」

「別にそういうわけじゃないんだが……」

「なら……」

「いや、やっぱり言えねぇわ!」

「鈴木さんのいけず」

「だからいけずって言葉を使うんじゃあねぇ!」

 真っ赤な顔でツッコミを決める彼は、どうやらもう既に先ほどの私の発言への興味は消え失せているようでした。そんな彼の妙な単純さ、いえ純粋さに私は彼のキャラクターとしてのちぐはぐさを感じ取り、その可愛らしさに思わず笑みを零さずにはいられませんでした。

 穏やかなツカツカという二人分の足音をかき消すように発された、彼の怒りの咆哮が通路に響き、先も見えない暗闇に吸い込まれていくのでした。

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恋鉄のメカニカ @UZImattya

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