第1話:旅路

第一話 旅路


 暗い、怖い、寒い。

 まさか地上にこんな場所が存在していて、生きているうちに足を踏み入れるなんて思いもしなかった……正直、作家先生の家までの道のりがここまで辛いとは前日の俺は想像もしていないだろう。そんな三重苦までの道のりを、少しお話ししよう。



「はぁ!?俺が原稿取りに行くんですか!?」

「そうだ。どうせお前やる事といっても近所のドタバタ騒動をまとめるぐらいしかないんだろ。それに今話題の人気小説の担当になるならもっと素直に喜ぶべき事だ、なぁジョン君?」

 社長はこういう時だけ俺をいい様にこき使ってくる。社長は少し小太りで、立派な髭を生やしたいかにもという風体の中年男性なのだが、こうやって社員に無茶な要求をする時だけ髭の下に隠れた歯を見せてニヤリと笑うのだ。これが影響して社長のあだ名は「デッドスマイル」になっている。その笑顔を見た者は絶対に大変な雑務を押し付けられるからだ。

「それなら小説担当の「リリー」さんに行ってもらえばいいじゃないですか、なんで俺が小説を取りに行かなきゃならないんです?大体、先生の家だって知らないですよ俺」

「リリーは今次号のレイアウト調節で忙しいんだよ。今回の売り上げの要にもなる重要な部分だから手抜きは許されない。それに、リリーはお前と違って仕事のできる部下だからな」

 そう言われてしまうと反論できない。実際、俺は現在次号のネタを見つけられていないが為にこうして店頭に出す新聞の包装作業を押し付けられているのだから。

「で、でも俺だってやらなきゃいけない仕事はありますよ?ほら、何か事件が起きたら急いで記事にまとめなきゃいけないですし!」

「その仕事は別の記者でも務まる。それにお前はロクな記事書かないからいつも没なんだろ!」

「うぐぅっ!」

「自分で言ってだろ、他の新聞社と同じように包装を自動化したいと思うんだったら急いで原稿を取りに行ってこい。次号の大切な売り上げがかかっているんだ、絶対に締め切りに遅れるんじゃないぞ!」

「わ…わかりましたぁ!急いで取りに行ってきます!」



 ……とまあこんな調子でまんまと社長の気迫に押されてここまで来てしまった訳だが、今現在進行形でこの仕事を引き受けてしまった事を後悔している。

 今は目的地へ直通していた古い蒸気機関車の客室内で淡々と流れる窓の風景を眺めているのだが、既に駅を出発してから一時間は経っているはずなのに全く目的の場所に付く気配すらしない、というかその前既に始発で二時間ほど別の電車を経由しているのだが次の駅名のアナウンスすら聞こえてこないとは、どれだけ遠くにあるというのだろう作家先生の家は。

 というか第一に都市に本社を置く新聞社へ寄稿している作家先生が何故こんな場所に住んでいるのだろう、配送価格がかさばる為にこんな遠くではウチの新聞は取り扱っていないはずなのだが。

 俺は社長に新たな仕事を任された後、ウチで小説担当を一任されている女性編集者の「リリー」から作家先生の住所を聞いた。今まで送られてきた原稿は本社からは程遠い田舎町から届いているというのは聞いていたが、まさかここまで離れているとは思いもしない。

 どうして読んでいないはずの新聞社へ小説を送ってきたりしたのだろうか?考えると謎が深まるばかりである。

 一方そんなミステリーの舞台になっているこの汽車は旧式の年代物らしく、良く言えば古き良き、悪く言えば寂れた雰囲気が漂う正に小説の一幕に出てきそうな場所だ。ランプがあまり搭載されていない為か少し薄暗く、窓から差し込む日光の光が無ければ隣の席の客の顔まで見えなくなってしまうかもしれない。まあ既に今でもガラガラの社内では俺以外の客の顔は見えないんだけど。

 蒸気機関車に乗るという貴重な体験ではあるが、俺は幼少期に同じような汽車に乗った事がある為実質二回目である。確か父の実家に行く為に乗っていったとかいう話だったはずだが、そう思うと少しだけこの寂れた汽車も懐かしい気分に浸らせてくれる良き物に思えてきた。

 まだ朝焼けが見える程度の時間から出発している為、いくら乗り継ぎで時間を取られたといっても時刻はまだ昼を少し過ぎたぐらいだ。暖かな日の光と共に爽やかな空気が窓の外から流れてくる、このまま物思いに耽っているといつの間にか寝てしまいそうな程に心地の良い陽気だ。

 今は丁度春先、穏やかに流れ過ぎては梅雨を招き入れる変動の時期。俺はこういう暑すぎず寒すぎずの中間の時期が好きなのだ、生きていくのに丁度いい季節。

 そんな事を思いながら窓の外を覗いていると、美しい田園風景が青い空を背景に流れていく。若草色をした大地や農作業をする人々、途中には森の木々を鏡の様に反射する美しい湖面も見えてなんだかこれから冒険の旅にでも行くのではないかと錯覚してしまう程美しい風景が続いていた。

「流石田舎、都会とは違って空気も美味しく感じる。…そうだ、せっかくだし写真でも撮っておこうかな。リリーさんも本当なら自分が先生の家に行きたかったって言ってたし」

 俺とは違って忙しそうな先輩のささやかな願い事を思い出し、俺は鞄にしまってあった携帯のカメラを開いた。

「あ……ここ、圏外なのか」

 写真を撮る事自体には問題いらないが、この写真を今すぐリリーに送ってあげる事はできないらしい。確かに携帯のカメラは最近画質が向上したとはいえ、お土産として写真を見せるには少し物足りない。それに新聞記者でもある自分が先輩に対して携帯の写真を見せるというのは何というか…ちょっと如何なものなのか。

いい思い付きだったのに残念だと少し肩を落としたが、自分がこれ以外にも品物を持ってきた事を思い出し改めてそちらを手にする。

「あったあった、ポラロイドカメラ!普段の取材だと会社支給の重いヤツ使ってるからな、案外自分だと使う機会が無かったし、たまにはのんびりとこんな風景写真を撮ってみるのもいいよね!」

 外の風景を捉え、カシャリとカメラのシャッターを切る。今回は広い平地を試に撮ってみたのだが、考えてみれば汽車の速度からでもブレないまま写真が現像されるのか少し不安である。

 とはいえカメラから吐き出された写真の現像には少し時間がかかる様だ。フィルムにも限りがあるので残りはこの写真がどうなったかを見てからの撮影の方がいいだろう。

 窓を眺めながらガタゴトと揺れる車内で思いを馳せながら暇を潰そうとも思ったのだが、流石に一時間同じ様な状態で揺られているので正直に言えばちょっとこの風景にも飽きてきた。写真を撮る分には美しくていい風景なのだが、ここまで穏やかな風景が続いていくのも少し退屈である。

 こんな時に何か暇を潰せるものがあれば、もし携帯の電波が繋がっていれば友人や本社のリリーに電話を掛けたりちょっとした事ができるのだろうけど、いかんせんここは電波が届いていない。ならばせめて仕事で使う記事を編集しようとも思ったのだが、せっかくの遠出でもあるし、結局帰った後に何かあったらまとめて編集しようと考え仕事道具は本社に置いてきてしまった。その為鞄も肩に掛けられる程度の大きさの物しか持ってきておらず、カメラと多少の筆記用具を入れてしまったらもう後は売店で買ったお菓子と飲み物ぐらいしか入らない。

 そうなると後は弁当などをつまみたくなる頃合いではあるが、あいにく鞄の中に入っているのは小さめの袋に入ったチーズ味のスナックとペットボトルの炭酸ジュースだけだ。

なんとも言えず絶妙に暇をもて余す汽車の旅、諦められず何か他にもないかと鞄の中をガサゴソと探している内、慣れない感触が手元に広がった。

これは……紙?の束、丁寧にホチキスで留められたであろう書類の束の様な物が入っている。

 まさかこれは仕事の書類……?いや、仕事道具はすべて本社に置いてきたはずだ。だが仕事用の物だったらと考えると少々悪寒が走るのだが……意を決し、恐る恐る書き込まれていた内容に目を通す。


「第三十五章 鐘」


 これは……もしかしてシュテンビルトの原稿?そういえば昨日リリーに作家先生の住所を訪ねる際こんなやり取りをしていた……



「という訳でリリーさんの代わりに俺がその先生の所まで原稿を直接取りに行く事になりました、住所はそのリストに載っている物で間違いないでしょうか?」

「ええ、毎回ここから原稿は送られてきているわ。実は私も三年間この小説に携わっているのに一度も直接お会いしたことがなくて…文通ぐらいでしかやり取りした事ないの。いいなぁジョン、最終回だから気合い入れてレイアウトしろって社長に言われたりしてなければ絶対に私が原稿取りに行ってたのに」

本社の二階では記事の編集や検閲、そして紙面のレイアウトを決める会社の要と言える編集室がある。この新聞社で最も多くの記者達が出入りする場所であり、もちろん売れっ子の担当であるリリーも二階でよく作業をしていた。

「シュテンビルト」を担当している編集者の名前は「リリー・アンダーソン」、ここでは五年程働いており、入社したての俺に会社についての業務や仕事の仕方なんかをとても丁寧に教えてくれた良き先輩である。そして可愛いらしいショートカットのブロンドヘアや白い肌、それに栄えるコバルトブルーの瞳が美しい社内の男子が描く彼女にしたい女性社員ランキングでもトップクラスで人気の編集者だ。

「先生と文通してるなんて俺初めて聞きましたよ」

「そりゃあ言ってなかったもの。ふふっ、でもそれもこれで最後だって思うとちょっと寂しいけどね」

 彼女は編集者でもあるが、この小説の一ファンでもある。当たり前ではあるが社内では一番シュテンビルトの事に詳しく、隙あらば新規読者を増やそうとするハマりっぷりだ。

「じゃあ先生がどんな感じの人かなんていうのも知ってらっしゃるんです?」

「それがね、私も最初は作家の人っていうと少し変わった人なのかなって思ってたんだけど……掲載の為のやり取りを手紙でしている内に、とっても優しくて強くて、気品のある女性っていう印象を受けたわ。それに…つい悩みを相談した事もあったのだけれど、とても真摯に答えてくださって本当に嬉しかった。それに大好きなお話の作者なんだもの、一度は直接会ってお話がしたかったのだけれど…ね」

「へぇ、作家先生って女性の方なんですか。」

話を聞く限り随分と人当たりのよさそうな人で安心した、もしこれがどうしようもない変人とかだったりしたら、道中常に憂鬱な気分で先生の自宅に向かうことになっていただろう。

「ところで先生のご自宅って具体的にどんな場所なんですかね?話題にはなってるのにテレビにも出たりしていないし…割と先生って謎が多い人ですよね」

「えっと…それがね……」

急に明るかった彼女の声がくぐもる。うぅんと少し悩む様な表情を見せるものの、意を決したように自身の携帯を取り出しその画面を俺に見せる。

「…今回ジョン君が直接お家に伺うって聞いたから原稿が送られてきている住所を調べたんだけど、何回調べても…この森しか出てこないの」


彼女が携帯の画面で示した衛星マップには、一面の豊かな森の画像が映っていた。


「リリーさん、悪い冗談はやめてくださいよ!調べる住所間違えちゃったんじゃないですか?」

「いいえ、ここで合ってるはずよ。原稿の入った封筒にも全部同じ住所が書かれているわ。ほらこれ」

そう言って自身の使用している仕事用机の引き出しを開くと、同じ素材でできた白い封筒がびっしりと縦に並べられていた。続けてその封筒をいくつか取り出し住所の書かれている面を見せると、それは確かに携帯が指し示している住所と全く同じである事がわかった。

「少し離れた場所に小さな町はあるみたいなんだけど、先生の住所は何回調べても町ではなくて森のど真ん中に表示されちゃうのよ。森の中に家を持っているのかもって考えたりもしたけど…、それにしたってどう考えても不自然じゃない?それに第一、そんな場所からどうやって原稿を送っているのかしら?」

「……」

 本当に先生は、この世界に実在しているのだろうか?そう思ってしまう程にはこの話は不気味で現実味がなかった。住所が一致しておらず少し違う場所が映し出されたり、また住所が未確定の為に近辺の何らかが映し出されている可能性もある。

 だがこれは違った、封筒には街の名前、区画の場所、郵便番号もしっかり書かれている。

 いま目にしている物は常日頃から自分が使い何気なく目にしている住所と差異のない、言われなければ気が付かなかった程にはしっかりとした書式で記されている。その事が逆にとても恐ろしくて仕方ない。

「でも原稿は今まで三年間休まず本社に送られてきているのよ、だからきっとここに先生は住んでるんだと思う」

 彼女は真剣な顔で俺を見つめる。俺は張り詰めた視線にすこしドキリとしながらも、文通だけとはいえども一番先生と言葉を交わしてきた彼女の言葉はきっと嘘ではないと、そう漠然とではあるが揺るぎのない確証を抱いたのだ。

「リリーさんが言うならきっと大丈夫です!多分そのマップがおかしいだけなんですって絶対!うん!」

 俺の言葉を聞いて先ほどの真剣な顔とは打って変わり、安心した様に緩んだ表情を見せる。なんにせよ結局この情報しか今は頼れるものがないのだし、どんな現場であってもまずは自分の目で確かめない事には真実は見いだせないのだ。

「ありがとうジョン君…私もね、編集者としてもファンとしても絶対この小説がどうなるかは見届けたかったから、そう言ってもらえてホッとしたわ…この大仕事、貴方に任せたわよ!」

「はいっ!未来の大物記者ジョン・コリー、絶対無事に原稿を取って帰ります!」

 ビシッと胸を張りカッコよく決めたのだが、そんな気張る俺を見ることもなくリリーは自身の机からもう一つある物を取り出した。

「そうだこれ、多分道中長旅になるだろうから……はいこれ!」


 そう言って渡されたのがこの紙束、リリーが自主的にコピーしたシュテンビルトの原稿であった。


「暇つぶしにとかで渡されたけど、三十五章って事はもしかしてこれラスト一歩手前の話かな」

 基本的にウチの新聞で小説を連載する時は一話分の話を隔週に分けながらの連載となるので、一か月で一話完結といった構成で物語が進んでいく。だが今回の最終話だけは別で、特別号を組み一話まるまる次号の新聞で掲載してしまうという事になっている。

 これはリリーの案であり、最終話ぐらいは隔週制ではなく一気に読んでみたいといった彼女なりの要望でもあるのだが、今回の特別号には大きな期待が寄せられている為ファンの間でも彼女の提案に対して称賛を送る者は多い。

 だがこれは原稿を丸々コピーした物なので途中で話が切れるという心配はない。つまりこれは最終話に向けての予習という事だろう、どうやら彼女なりに気を利かせてくれたらしい。

 しかしこれ良く見ればこれ、新聞の書面用に打ち出された物ではなく直筆の生原稿のコピーなのではないか?奇麗な文字で書かれているので一瞬気が付かなかったがインクの滲みや細かな紙の質感などが見て取れる。というかこのちょっとくすんだ紙の質感、これまさか羊皮紙?一体先生はどんな環境で原稿を書いてるんだ……?

 とはいえ、だ、かくいう自分も新聞の紙面へ印刷された状態でしか見た事が無かった為打ち出される前の原本を見るのは初めてである。静かに心臓が高鳴っているのが自分でもわかった。

 容姿も性格も、性別すらリリーに聞かなかったら全く知らないままであっただろう先生を唯一感じられる直筆の原稿。

 自然に湧き出ていた生唾をごくりと飲み干すと、俺は静かにページをめくった。

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