第76話 到着

 イチバンの訓練が終わり、コーニャさんも復活したころ、ようやく目的の場所が見えてきた。

 遠目から見える村は、ウッドランド村とはまた違った趣があり、夕日を背にする村はどこか幻想的だった。

 そして、こちらを歓迎するためか、村の港には多くの人だかりができて、僕たちは慌てて下船する準備に取り掛かった。


「よー来んさった。ワッチはこの村の領主、ミーシェ・パディーだでよ」

「お招きいただきありがとうございます。ウッドランド領主名代、カレン・ウッドランドと申します。領主家一同のお出迎え感謝致します」


 僕たちが船を降りて、最初に声を掛けてきたのがこの村の領主であるミーシェ様だった。

 癖のあるパーマのかかった髪にベレー帽、腫れぼったい瞼で鼻は少し上向きになっていて、頬が驚くほど盛り上がっている。シンプルなシャツにチェックのスカートと自己主張の激しいスカーフを巻いていて、顔の作りも合わさり四半世紀前のファッションを醸し出している。

 それに相対して、カレンが最新のファッションをしているから、そのイメージが余計に強く残る。

 どちらも身から溢れ出す自信が感じられる綺麗な所作で挨拶をかわしているから余計に違和感が多い。

 それにしても、カレンも普段の粗雑な喋り方が鳴りを潜め、普段忘れがちな良い所のお嬢様なのだと改めて認識させられた。こんなカレン初めて見たよ。


「ワッチの家族を紹介するでよ。右から旦那のカール、娘のナーシャ、末娘のマリナでよ」


 ミーシェ様が紹介した順に、それぞれカレンに挨拶をするパディー領主家の面々。

 夫と紹介されたカール様はミーシェ様と同じような顔立ちで、体格の違いが無ければ男女の見分けがつかないような容姿をしている。そして、ナーシャ様もこれまたミーシェ様の娘だと一目見ただけで分かる程そっくりだ。

 でも、最後に紹介されたマリナ様だけ系統が違っていて、大きな瞳にぷっくりとした下瞼、少し小ぶりだけど筋の通った鼻と小さな可愛らしい唇。ナナミお姉ちゃんやシーラ姉ちゃんも美人だけど、マリナ様は僕やカレンの一つ上らしいけど、醸し出す雰囲気が大人らしい。

 こうしてみると、人類の神秘を強く感じる。四人の子供のうち、三人は親の面影をみじんも感じさせない不思議だ。


「さあ、堅苦しい挨拶はここまでだでよ。食事の前に、面倒ごとは終わらせるでよ」

「はー、やっと肩の力を抜けるわ。コーニャ、リストを渡してあげて」


 僕たちの事も簡単に紹介され、一通り挨拶が終わった処で、二人の雰囲気ががらりと変わった。

 先程までは貴族然とした立ち振る舞いをしていたのに、ミーシェ様はベレー帽とスカーフを外して、何処かから取り出した手ぬぐいを首に巻いている。

 カレンも普段と変わらない粗雑な振舞いに戻っているし、パディー領主家の面々もどこか佇まいを崩している。

 貴族の時間は終わったらしい。所詮田舎貴族に宮廷貴族のような所作を求める物ではないのだろう。

 それでも、貴族としての役目は果たせるし、現に仕事を後回しにしないように到着早々役目を果たそうとしている。パディー村への贈り物が大量にあったから、それの受け取り作業でもするのだろう。ウッドランド領主名代として赴いているカレンが立ち会わなければ話が先に進まない。


「ほいじゃ、さっさと済ますでよ。……みんな揃って来るで?」

「そうね……コーニャとミーニャ、イチは……使え無さそうだからアルムとアリスさんと一緒に村でも案内してもらいなさい」

「それじゃ、マリナを付けるでよ。それじゃ行くでよ」


 挨拶をしていたと思ったら、何時の間にか仕事の話が進んでいてミーシェ様がカレンを連れて行ってしまった。

 シーラ姉ちゃんもそれに付いて行ってしまったので、この場に取り残されたのは僕と姉さん、それに訓練によって疲労困憊のイチバンに加え、僕たちの案内をしてくれるというマリナ様だけであった。一応、周りには船乗り達が居るが、到着後の作業で忙しなく動き回っている。


「行っちゃったわね」

「うん、到着早々仕事だなんて貴族は大変だね。それに引き換え部下の方は……」


 降ろされた積荷の一画に、疲労の限界を突破して打ち捨てられたマネキンの様に転がっているイチバンが視界の片隅に入る。顔面は蒼白で、船酔いを起こしていたコーニャさんよりも顔色が悪い。

 寒空の下、ひたすら泳ぎ続けて冷え切った体を震わせているイチバンは、仕事は兎も角、村の案内に付いて来るのも無理そうだ。


「あの……改めて、案内を仰せつかったマリナ・パディーと申します。あちらの方はよろしいのでしょうか?」


 イチバンの現状に、姉さんと二人で呆れていると、この場に残された者の案内役を指名されたマリナ様から声を掛けてきた。


「あら、ごめんなさい。彼はそっとしておいてあげましょう」

「イチバンは意外と丈夫だからそのうち元気になるから案内の方お願いします」


 イチバンの復活を待っていては、折角村の案内をしてくれると言うのに何処にも行けずに終わってしまうから、ここは放置一択だろう。時間を置けば復活して勝手に追いついてくると思う。


「え……あ、はい、分かりました。よろしければアリス様とアルム様のご要望の場所を案内しますよ。尤も、田舎なのでそれ程見どころがあるわけではありませんが……」

「マリナ様。私達はただの平民ですので、敬称は必要ありませんよ」

「そうですか? あの有名なアリス様を呼び捨てになど恐れ多いですが、アリスさんとお呼び致しますね」


 隣村の貴族家にまで名前が知れ渡っているなんて、自分の姉ながら鼻が高い。普通の村娘としてはあり得ない程の知名度だ。


「私なんてそれ程大したことありませんわ。弟ともどもよろしくお願いしますね」

「まあ、アルム様はアリスさんの弟君でしたか。姉が危ない所を助けられたと窺っています。その節はありがとうございました」


 普通、立場が上の貴族が平民に頭を下げる事などしないのだが、マリナ様は綺麗な所作で深々と頭を下げた。その姿勢から、心からの感謝が込められているのが分かる。どうしても立場が上になると頭を下げる事に躊躇する人が多いが、それでも彼女は感謝を伝える為に頭を下げられる懐の広い人のようだ。


「お礼は受け取っておきます。でも、そんなに畏まらなくても大丈夫ですよ。堅苦しいのは慣れないし、貴族のマリナ様に丁寧にされるとどうしていいか分からなくなります。それに僕の方が年下なんで普通にアルムって呼び捨てにしてください」


 普段、敬語というものを使い慣れていない身としては、この話方が正しいのかもわからない。一応、余程酷い言葉遣いでなければ大丈夫だと言われているけど、やっぱり少し緊張してしまう。

 それに、ウッドランド村で僕に丁寧に話す人なんていないから、どう返事を返していいのかも迷ってしまう。貴族の間では、これが当たり前の様にできないといけないらしい。そう考えると、本当に狩人でよかったと思う。貴族より狩人の方が百倍簡単だね。


「……年上ですか?」

「はい、僕はカレンと同い年なので、マリナ様の一つ下ですよ」

「ええ!? 信じられません……」


 ああ、これは外から村に来た人と同じ反応だね。

 行商や護衛なんかで初めて村に来た人なんかは、僕の年齢を聞いても全然信じてくれないんだよね。大人扱いしてもらえるのは悪い気はしないけど、カレン達を遊んでいる時に変な目で見られるから正直嬉しくはない。


「うふふ、アルムは大人びでますから」

「あ、しっ失礼しましたっ。でも身体つきも確りしてますから、正直驚きですっ」


 狩人にとって身体は資本だから、褒められたら悪い気はしない。……ん? 今褒められたよね?

 マリナ様は興味深そうに、珍しい物に触れるかのように僕の身体をペタペタ触ってくるので少しくすぐったい。

 確かに僕は年齢に比べて身体が出来ているから、他の土地の人からしたら珍しいのかもしれない。

 マリナ様の小さな手が、僕の腕から始まって、お腹、胸とペタペタさわって、更に手が上に伸びてきた所で視線が重なった。

 その時、それまで興味深そうに見ていた瞳は大きく見開かれ、一瞬のうちに顔が真っ赤に色づいて視線を逸らされてしまう。

 うん、分かるよ。初対面の相手に、身体を弄るような事をしちゃったら真面に顔を合わせられないよね。

僕は経験ないけど。


「も、もう直ぐ日がくれますから、早速案内いたしますね。つ、ついて来てください」


 あ、逃げた。


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