第75話 食後の訓練(強制)
「……女性の尊厳が、女性の尊厳が、女性の尊厳が……うっぷ」
「調子に乗って食べすぎるからよ」
美味しい昼食を終えて。食後のお茶を楽しもうと準備を始めたあたりからコーニャさんの様子が不穏な物になり、気が付けばいつぞやの舟に乗っている時の様な顔色になっていた。
彼女はあれ以来船酔い対策に様々な事を試して、今回のパディー村行きに同行できるまでに船酔いに強くなったみたいだけど、満腹感は彼女の努力を凌駕してしまったようで今は死に体だ。
これも一つの幻の魚の魔力とでも言うべきだろうか。
「おいおい、コーニャ嬢は大丈夫なのか?」
「……おそらく?」
現状、彼女の忍耐に任せるしかない。取り敢えず寝かしつけるのが一番だろうか?
「仕方ねぇ、部屋で休ませてやりな」
「ご迷惑をおかけするわ」
完全にグロッキー状態のコーニャさんはここで退場。船酔いには姉さんの治療魔法も殆ど意味が無いらしく、一応魔法をかけていたけど後は船の船員に任せるしかない。
「コーニャって完璧なメイドってイメージだったけど、結構抜けてるのね」
「本当っすね。屋敷だと隙の無いメイドさんって感じっすけどね」
やっぱり屋敷ではできるメイドさんの印象を作っていたらしく、同僚も驚きを隠せないらしい。今後の仕事に差し支えない事を祈ろう。
「でも姉さんの治療魔法も効かないって船酔いって病気じゃないのかな?」
「そうね。酷くなり過ぎた船酔いの緩和は出来るけど、完全には治せないわね。魔法も万能じゃないのよ」
「そうなんだね。それでも魔法が使えるのは羨ましいよ」
魔法は生まれ持った才能だから、やっぱり持たない側からしたら、万能でなくても羨ましく感じる時もある。
特にハンスさんみたいに、狩りで使える魔法が使える人は羨ましい。
「私からしたらアル君の魔力量も羨ましいけどね」
「そうっすよね。ゴモンさんが認める腕なんて警備隊でも両手の指で数えられるくらいっすよ」
「ゴモンのおっちゃんが?」
実質的に警備隊を纏めているゴモンのおっちゃんが、僕の腕を認めているなんてちょっと信じられない。
警備隊では正面からの戦闘に重きを置いてるから、僕みたいに狩人の戦い方は合わない。
「そうよねー。アル君の強さを考えたら、コーニャを抜いたらイチが一番弱いかもね」
「ミーニャさん、それはないっすよ。いくら何でも……」
イチバンは一人ずつ順番に顔を見ていく。
まず最初にミーニャさん。彼女は警備隊でも先輩だし、実際イチバンより数段格上だ。
次に、その隣にいた僕を見る。僕としては比較する対象だとは思わないけど、何故かイチバンは納得した顔で次に移る。
そして、もう片側に座っているカレン。でも、ここは殆どスルーだった。まあ、カレンと言うか、領主一族が強いのは皆が知っている事だから考慮するまでもないだろう。
最後に姉さんに視線が止まる。そして、小刻みに震えだすイチバン。そういえば警備隊の中で姉さんは特別視されていた。それがどんなものか分からないけど、この反応で何となく察しが付く。
実際、姉さんはその細腕からは信じられない程の剛力を発揮するし、コロニー討伐で森を移動している時も警備隊が疲弊している中顔色一つ変えてなかった。
これだけでも警備隊との差は分かる。
それに、不定期で行われる村人向けの護身訓練では何時の間にか生徒側から教師側に立場を変え、そのうち師範と呼ばれるようになった。
噂では領主家の人よりも強いなんてものもあるくらい姉さんが強いのは有名らしい。僕はその姿を見たことが無いので人からの又聞きなのであまり実感はない。
「……何でこんな強い人ばっかり集まってるっすかね?」
「護衛も兼ねてるからじゃないの?」
「護衛は私とイチだけよ……」
「じゃあ……お目付け役?」
立場的にカレンに強く出られる人は少ないけど、その少ない中で例外の一人に姉さんがいる。
今も笑顔を絶やすことなく微笑んでいる姉さんも、怒る時は本気で怖い。例え相手がだれであろうと、相手に非があれば容赦なく追い詰めていく。しかも、正論の理詰めだから言い返すのも難しいし、暴力に訴えたが最後、力尽くでねじ伏せられた上で誰もが納得のいく理由で説き伏せられてしまう。
我儘が目立つカレンにとっては天敵に近いかもしれない。
まあ、普段はお淑やかだし、優しいから怒らせなければいいだけなんだ。うん、悪い事はできないね。
「……あんたアタシを馬鹿にしてるの?」
「滅相も無い」
今日一番のドスの効いた声でカレンに睨まれてしまった。こんな時は下手に逆らっても碌な事にはならない。両手を胸の前で広げて、他意が無い事をアピールしておく。
こんな事で公務が務まるのだろうか?
「アタシだって時と場所は選ぶわよ。それに、ここでヘマすると王都に行かないといけなくなるから下手はうたないわ」
「……その言い方だと下手をうたなければ大丈夫に聞こえるよ?」
そんな僕の一言に、カレンは普段見せないような妖艶な表情を浮かべ微笑する。彼女は偶に普段とは違う一面を不意に見せてくる。こんな時、カレンは普段以上に大人びて見えてドキドキさせられる。
「ふふふ、カレンちゃんも分かって来たわね」
「ええ、これもアリスさんのお陰です」
「この二人が笑ってると怖いっす」
イチバンの云いたい事は痛い程理解できる。でも、それをこの場で口にする勇気は僕にはない。
ほら、二人の目が笑っていない笑顔がイチバンに突き刺さってるよ。
「そもそも、イチが弱いのがいけないのよね。護衛とかいいから訓練でもしてきたら?」
「そうね。警備隊が一般女性より弱いってのわ問題よね。安心して、怪我をしても治してあげるわ」
「うえっ!?」
不用意なイチバンの言葉が、一瞬にして彼を窮地に追い込んだ。口は災いの下とはよく言ったものだ。
先程から口を噤んでいたミーニャさんは、哀れみの視線でイチバンを見ながら静かにお茶を飲んでいる。
「ど、ど、どうしたらいいっすかっ。アルム君!?」
カレンと姉さんが黒い笑みを浮かべてイチバンの訓練内容を話し合い、助けを求めようとミーニャさんに視線を向ければ顔を反らされ、最後の頼みとばかりに僕に詰め寄ってくる。
その表情は、今までに見た事無い程必死なものだった。イチバンとの付き合いは短いけど、それでも彼が本気で困っているのは分かる。
「いい方法があるよ」
「ほ、本当っすか!?」
イチバンが何に慌てているのか分からないけど、この先の事を考えたら選択肢はそんなに多くない。
そもそも切掛けはイチバンの不用意な発言なのだから、どうにかして許しを得るしか無いと思う。
こんな時は下手に逆らうのは得策じゃない。限られた条件の中で最善を目指すのが一番だ。
「うん、二人の訓練メニューを完璧に熟すんだ!」
「んっ、なんっにも解決してないっす!」
一瞬期待したイチバンの、溜めの入った突っ込みは中々鋭かった。
そもそもあの二人が結託した時点で、僕たちにはどうしようもない。それに、あの二人はなんだかんだ優しいから、無茶な訓練はさせないはずだ。そして、見事訓練を乗り越えることができればイチバンは部隊長を任せられるくらいの力を手に入れるだろう。
「んー、でもそれ以外選択肢はないよ?」
「どうしてっすか!?」
イチバンがさらに詰めよってこようと席を立とうとしたが、それは両肩に乗せられた手によって遮られた。
「え?」
「さっ、逝きましょう」
「イチでもできる簡単な訓練を考えてあげたわ。寒中水泳ってしってる?」
それから、日が暮れるまでイチバンの悲鳴が途絶えることが無かったので死んではいないみたいだ。
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