第74話 幻の味
「わっはっはっ、こいつはスゲー、こんなサイズのイトウは初めて見たぜ」
船へと引き上げられた幻の魚、イトウは2メートルに迫ろうかというほど巨大であった。
銀白色の鱗が光を反射して、背中には斑点模様がある顔の鋭い魚だ。シャケの仲間と聞いていたけど、顔つきはそんなに似てないかな。
「す、す、す、凄いっす。こんな大物初めて釣ったっす」
「おー、予想以上の釣果だね」
確かにイトウは釣りたかった。でもこんなに大きなのが釣れるとは思わなかった。大きな魚って聞いてたけど、1メートルを超えるくらいって聞いてたから、もしかしたらこの辺りの主を釣り上げたのかもしれない。
それに、これだけ大きければこの船全員に行き渡るかも。
「これお昼に食べれるかな?」
「おう、任せとけよ。ウチのコックに旨いイトウ料理を作らせてやるぜ」
キャップは言うや否や、船員にイトウの処理をさせる。
これだけ大きな魚だと、血抜きなんかもしっかりしないと味を損なってしまうから、急いで下処理したほうがいいらしい。
普通、どんな獲物でも食べごろのサイズと言うものがある。魚は大きすぎるとアンモニア臭が強くなる事がある。でも、このイトウは大きければ大きい程美味しいらしい。食べ方も色々あるらしく、昼食が楽しみだ。
「あら、アルムったら何してるの?」
「うわっ、何この大きい魚。初めて見たわ」
さっきまでお茶をしていたカレンと姉さんが、騒ぎを聞きつけたのか近寄って来た。
そして、人の丈よりも大きな魚を見たら驚くのも当然だろう。釣り上げた本人ですら未だに信じ切れていないのだから。
「カレン様、見てくださいっす。幻の魚っすよ」
興奮を隠せないイチバンは前のめりでカレンに駆け寄って自分の手柄を主張する。流石のカレンもこれには引いてるけど、幻の魚って処に興味を引かれたらしい。自ら近寄ってその全容を確かめようとする。
樽に張られた水を赤く染め、それでも尚はみ出した身体を暴れさせるイトウを船員が数人がかりで抑え込んでいる。
「イチ、あんた仕事ほっぽりだして何してるのよ?」
「げっ、ミーニャさん!?」
そう言えば、イチバンはパディー村収穫祭の参加者というだけでなく、カレンの護衛も兼ねているから勝手に持ち場を離れたのは良くなかったかもしれない。
僕のせいかな?
「まあ、良いじゃない。この魚美味しいんでしょ?」
「それはもう美味しいらしいっすよ。ねっキャップ」
「ああ、そうだな。こんなサイズだから間違いなく旨いだろうよ」
「じゃ、この件は不問よ。お昼に食べられるのでしょ?」
キャップのお墨付きもあって、イチバンが持ち場を勝手に離れたのは無かったことになった。いやー、イチバンに責任が及ばなくて良かった。
「よっしゃ、ちょっと待ってろよ。昼飯はもう直ぐだからな」
キャップはイトウを船員に任せて、自分は何時までも仕事をほかっておけないからと言って戻って行った。
それでも、キャップの様子からしてもこのイトウが美味しいのは間違いないだろう。
否応にも期待が高まる。
◇
「へい、お待ちっ。フルコースとはいかねーが湖上レストラン最大限のもてなしだっ」
あれから暫らく、大物を見た後では釣りをする気分にも慣れなかったので大人しく皆とお茶を楽しんだ。
今度は収穫祭の話で盛り上がったので、こちらに被害が及ぶような事もなく、安心してお茶を楽しめた。
それに、なんだかんだ皆幻の魚が気になるのか、どこか会話も上の空。平和な時間が過ぎていった。
そして、キャップが気を利かせてくれたのか、船の甲板に用意されたテーブルで食事の流れになった。
柔らかい日差しに、どこまでも広がる湖をバックにする食事は女性陣から大好評のようだ。
「まってましたー。もう気になって仕方がなかったのよね」
「あら、カレンちゃんもまだまだ子供ね」
「アリスさんだって楽しみにしてたじゃない」
「そうね。アルムは美味しい物を食べてもらいたいものね」
「ぐっ、……この姉弟わ……」
姉さんとカレンが楽しそうに話す中、次々と料理が並べられてゆく。
一日の船旅ということで、どれも新鮮な食材をふんだんに使われた料理だが、どの料理にもイトウが主役だと言わんばかりに皿の上で主張している。
刺身に唐揚げ、ムニエル、フライに煮つけ、餡かけなんてのもある。イトウ尽くしのスペシャルランチだ。
「ごくっ」
誰の物かも分からない、生唾を飲む音がする。
分からなくもない。運ばれて来た料理からはどれも良い匂いを漂わせている。誰も腹の音を立てていないのが不思議でならない。
僕はもう我慢の限界だ。
「いただきますっ。——うっ、うまいっ!」
「あっ、アルム狡いわよっ。——んふー!?」
「カ、カレン様!?」
限界を迎えた僕は、目の前にある料理に齧り付いた。そして口内には、広がる爽やかな香りがする独特な匂いと、少しゼラチン質でねっとりとした舌ざわり、更にこれまで感じた事の無い旨味に支配される。
カレンも同じように目の前の食事に、作法も何も無い野生を思い浮かばせるような大口で齧り付く。それをコーニャが嗜めているが、まるで聞こえていないようだ。
女の子が人目に晒してはいけないような恍惚とした顔をして、噛みしめる様に咀嚼する。鼻の穴が開いていてちょっと不細工だと思ったのは秘密。
「あら、本当に美味しいわね。今までアルムが釣って来てくれた魚とは又違った味と食感で面白いわ」
「本当だね。幻ってだけあって食べた事無い味だよ。それに小骨もコリコリしてて美味しいね」
普通の魚は、小骨など硬くて食べられない。食べられるとしても小さな魚に火をよく通した時くらいだ。
それに比べて、イトウの小骨は鳥の軟骨の様に適度な硬さで、歯で簡単に噛み切れる。連続して噛み切ると小気味よい歯切りで顎に心地よい。
なにより丸ごと食べられるから、魚を食べる時の小骨の煩わしさがなくてストレスなく食べられる。
「す、凄いわね。こんな美味しい魚は初めてよ。——ほら、貴方達も座って食べなさいよ。今は仕事の事忘れなさい。こんな美味しい物食べないと損よ」
「しかし、カレン様……」
「コーニャは固いのよ。後ろの二人を見て見なさいよ。今にも涎を垂らしそうだわ」
カレンの指摘に、先程までだらしない顔を晒していたイチバンが表情を取り繕う。ミーニャさんも表情こそ変えてないが視線が移ろい気味だ。
「はぁ、仕方ありません。ここはカレン様のご厚意に甘えましょう」
「やったーっす。もう待ちきれないっすー」
「わ、私は後でもいいんですけど……カレン様の命とあれば仕方ありません。頂きますっ」
イチバンは兎も角、ミーニャもこの匂いに結構やられているみたいだ。真面目を装っても、その欲望を隠しきれていない。
「んっまーいっす。こんな旨い魚料理は初めてっす!」
「んー、美味しい~。普段魚ってあんまり食べないけど、こんなに美味しいなら毎日でも食べたいわ」
「本当ですね。脂の乗りもよく、ほろほろ崩れる身が口の中で解けて美味しいです」
早速とばかりに三人がテーブルに着いて、各々興味がある料理を口に運ぶ。それぞれ別の料理を選んだけど、どれも美味しそうだ。
因みに僕のお気に入りは、イトウのフライと新鮮な野菜をパンで挟んだ物だ。これなら手を汚さずに手軽に食べられるのが良い。
後は、生のまま食べる刺身も捨てがたい。淡いオレンジ色の肉質で、ゼラチンを多く含んだ身は舌ざわりがよく、喉の奥に滑るように消えて行く。歯ごたえも良く、程よい甘みで幾らでも食べられてしまいそうだ。
「んー、止まらないわー」
本当、これは止められない、止まらない!
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