短編「聖夜」
前篇
1.聖夜の黒猫カフェ
12月24日。
言わずと知れたクリスマスイヴである。
「おわ……ったぁ」
午後五時。黒猫カフェの扉にCLOSEの札をかけた途端、凪人は膝から崩れ落ちた。
クリスマスの特別メニューが好評を呼び、営業終了時間を一時間早めたにも関わらず目の回るような忙しさだったのだ。
(倒れるかと思った……)
どっと押し寄せる疲労感は発作とはまた違う負担をかけてくる。
「お疲れさま。凪人くんの手作りケーキ大人気だったね」
労いの声をかけてきたのはエプロン姿の同級生、福沢七海だった。
「ありがとな。福沢がうまく客を回してくれたお陰で大きな混乱もなくて助かったよ」
彼女は数週間前からバイトとして働いており、持ち前の明るさと器量の良さでとても助かっている。
「いいのいいの。だって元はといえばあたしたちのせいなんだし」
店が繁盛している理由はクリスマスシーズンだから、だけではなかった。
一ヶ月前、かねてより店に来たいと熱望していた福沢やクラスメイトたちが黒猫カフェを訪れた。
これまで凪人が遠回しに断っていたのは女子高生特有の賑やかさが店の雰囲気に合わないと思っていたからだ。どうしてもと押し切られたときも「必要以上に騒がないこと」を条件にした。
『すごーい、おしゃれー、オトナな感じー』
客もまばらで静けさに満ちた店内に女子高生たちは驚いたようだったが、それが逆に刺激的だったらしい。その場では大げさに騒ぐこともなく静かにお喋りしていたが、落ち着いた店の雰囲気や女の子に嬉しい低カロリーケーキがあるとSNSで発信したのだ。
SNSに載せる許可を出した凪人自身たいした影響はないと考えていたが、母が手作りしたエプロンをつけていた黒猫クロ子の画像がまたたく間に拡散し、本物の黒猫がいるカフェとして連日長蛇の列ができるまでになった。
そうして、母と凪人ふたりではとても手が回らずバイトを雇わざるを得なくなったところ、負い目があった福沢が自ら名乗りを上げてくれたのだ。
「そのことはもう気にするなよ。いつも客足が少ないからってカウンターでクロスワードばっかりやっている母さんにも少しは働いてもらわないとな」
「その店長もだいぶお疲れみたいだけどね」
キッチンにレジ打ちにと大忙しだった母は疲れからかぐったりとカウンターに突っ伏し、遊び盛りのクロ子に髪の毛をオモチャにされている。
凪人も体を休めたいところだがそんな時間はない。なんと言っても今日はクリスマスイヴ。恋人たちが愛情を深めあう日だ。
(……なんて、アリスは当たり前のように仕事なんだけど)
夏休みのあの日。
互いの想いを確認した凪人とアリスは晴れて交際をスタートさせた。――が、実はほとんど進展していない。
(いまやアリスは超売れっ子だからな。バラエティー番組のレギュラーも決まったし、夏に撮った写真集も重版かかっているらしい。もう八刷だっけ)
必然的に学校も休みがちになり、出席しても取り巻きが多くて近づけない。送迎している柴山が気を遣って乗せてくれることもあるが話せるのはほんの短時間だ。
逢瀬場所となっていた店が繁盛してしまったため以前のように気軽に出入りすることもできず、メールや電話でのやりとりを除けば二人きりでゆっくり話をしたのは夏休み以降一回だけ。
今日も人気者のアリスはクリスマスのイベントに引っ張りだこだ。何ヶ所かハシゴしたあとこの店にやってくることになっている。
(アリスも頑張ってるんだ、おれだけ休んでいられるか)
外を出歩けばアリスは目立つし凪人は人酔いする。そんな事情からイルミネーションを見ながらのロマンティックなデートはできないが、頑張っているアリスを精いっぱいもてなしてやりたい。そんな気持ちでいた。
「とりあえずちゃっちゃと片づけよう」
気合いを入れて皿洗いをしようと思ったら、横から伸びてきた手にエプロンの先をくいと引っ張られた。
「うおっ」
はらりと床に落ちたのはエプロンだけだが、妙に恥ずかしい気持ちになる。
文句の一つでも言ってやろうと思ったが犯人の福沢はケロッとしている。
「片付けはあたしがやるから先に上がっていいよ」
「もう上がりの時間だろ。バイトにやらせるわけにはいかないよ」
「遠慮しないで。このあと兎ノ原さんが来るんだよね? 冷蔵庫にデコレーション前の生地あったし、手作りしてあげるんでしょう」
どきっとした。すっかり見抜かれている。
「兎ノ原さん大忙しだよね。朝の生放送でも見たよ。目充血させて疲れた顔していたけど美味しいケーキが待っているから頑張るって言ってた」
言いながら早速皿洗いにとりかかる福沢。
せめてそれくらいは、と凪人も隣に立って手伝い始めた。
「そっか、じゃあ腹減らしてるな」
考えようによっては大衆の面前で愛を叫ばれているようなものだ。恥ずかしさもあるが嬉しいのも事実。疲れているのならたっぷり甘えさせてやりたいとも思う。
ふと福沢の手が止まる。
「……凪人くんも、そんな顔するんだね」
「え? おれどんな顔してた?」
「言わない。兎ノ原さんが知ったらうげーって幻滅すると思うよ」
「ちょ、もったいぶらないで教えろよ」
「やーだ」
そんなやりとりをしていると凪人のケータイが鳴った。アリスかと思って相手を確認すると柴山の名前が表示されている。
「悪い、ちょっと話してくる」
そう告げて自宅へと消えた凪人。
さっさと皿を洗い終えた福沢はエプロンを外しながら悪態をついた。
「凪人くんってば相変わらずあたしのこと名字で呼ぶし、あんな幸せそうな顔されたらもう一ミリも見込みないって分かっちゃうじゃん。ばーかばーか」
今日はクリスマスイヴ。
親友の真弓や他のクラスメイトたちは各々彼氏と過ごすらしいが、自分は例年通り家族と過ごすことになりそうだ。
「別にいいもん。賄いのケーキもらったからワンホール独り占めしてやるもん」
などと意気込んでいると突然チリリン、とドアベルが鳴ったので反射的に顔を上げた。
「すいません、お店はもうおしま――――あっ!」
※
「え、前の仕事が長引いて遅くなるんですか?」
『あぁ。予定していなかった取材やサイン会があってな。ふだん文句言わないアリスもさすがに顔が引きつってきたからオレが電話入れておくって宥めたんだ。早くても九時前になると思う』
「そうですか……」
アリスとディナーを囲みたいと思っていたが九時前となるとそうもいかない事情がある。
例のドラマ収録をきっかけに嘔吐する回数は劇的に減ったものの、変わらず薬の服用は続けている。医師の指示の下、食事のタイミングや栄養をきちんと考えて料理を作るほか、胃の負担を考えて夜遅くには食事をとらないように心がけているのだ。
それらはすべてアリスのため。
いつか外で堂々とデートするためだ。
(デート中に吐いたらシャレにならないからな)
嘔吐して自分ひとりが後ろ指さされるのは構わない。けれどアリスに迷惑をかけるのはイヤだ。そのために完治を目指して治療を受けている。
「柴山さん、連絡ありがとうございます。あんまり無茶しないよう言っておいてください。おれのことは気にしなくていいから、と」
すると笑い声が返ってきた。
『そんなこと言えるか。今日仕事を詰め込むかわりに明日どうしても休みが欲しいって直訴してきたのはアリスなんだぞ。きっと這いつくばってでも行くさ』
髪をふり乱したアリスがホラー映画のように這ってくる光景を想像して一瞬笑ってしまった。
「分かりました、じゃあこう伝えてください。おれは何時でも待っているから『帰ってこない黒猫探偵』を観ながら一緒にケーキを食べようって」
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