2.小山内レイジの正体

 今日は開局七十周年ドラマ「帰ってこない黒猫探偵」の放送日でもある。


 凪人にとっては恥の上塗りになるかもしれないが、最後の出演作なので一緒に観たいと思っていた。下手な演技を笑われたとしても良い思い出になるだろう。


『どうせならアリスをびっくりさせてやれよ。ドラマを観ながら「実はここにおれも出演しているんだぜ、小山内レイジって知ってるか」って言ってな』


「――……え?」


 予想外の一言に凪人は凍りつく。


「ちょっと待ってください……アリスはおれが小山内レイジだってことを“まだ”知らないんですか?」


『少なくともオレは言ってないが? こういうことは本人から話すべきだと思っていたし』


 電話口の柴山は意外そうに声を固くする。


「なかなか時間が合わなかったのもあるし、おれ、柴山さんを通じてとっくに知っているものと思っていたんです。ドラマを一緒に観たいって言い出したのもアリスだったし」


 凪人が小山内レイジだという事実は柴山だけでなく共演した愛斗にも知られている。

 ドラマの収録後、出番が終わった凪人は気まずさからさっさと現場を後にしたのだが、後日押しかけてきた愛斗に半ば強引に拉致され、車で連れまわされている間にすべて白状した(ついでに車酔いして吐いた)。


 だから、アリスに近しい二人のどちらかの口から小山内レイジの正体が伝えられたと思っていたのだが。


(やっぱりおれの口から直接言わなくちゃダメなのか? あぁいや、本当はそれが筋なんだけどなんて言っていいか分からなくて)


 考えあぐねていると背中に声がかかった。


「凪人、お客様がお待ちかねよー」


 母だ。長電話にしびれをきらしたらしい。


「あ、いま行く。じゃあ柴山さん」


『おぉ、またあとでな』


 電話を切って店内に戻ると意外な人物が待ち構えていた。


「よぉ。ハッピーホリデー」


 頭から爪先までサンタクロースの衣装に身を包んだ愛斗が悠然とパンケーキを頬張っていた。白いひげもつけていたらしいが、いまは外して机の上に置いてある。


「その格好どうしたんですか? 仕事は?」


「済ませてきた。この姿なりなら俺だって分からないだろうしな」


「そうですか……なんか、久しぶりですよね」


 福沢には伝えていないが、SNSによる店の繁盛ぶりを嫌って足が遠のいた常連客も何人かいる。

 愛斗もそのひとりで、こうして姿を見るのは久しぶりだった。相変わらずの甘党らしく、切り分けたパンケーキを次々と口内に収めていく。そんな彼にキャラメルラテを振る舞いながら母が話しかける。


「あら、愛斗さんは時々来てくれたわよね。変装して」


「えっ」


 ぎょっとしたのは凪人だ。


「あら気づかなかったの? 先週も杖をついたお年寄りの格好で来てくれたじゃない。その前は外国人観光客を装って何人かと一緒に」


「えぇっ」


「俺も最初は演技の練習と思って変装していたんですけど、桃子さんは本当によく気づきますよね。いつも生クリーム増量してくださってありがとうございます」


「ちょ、母さん」


 まったく知らなかった凪人はパニックに陥る。

 杖をついた老人も外国人観光客も応対したのは凪人。まんまと騙された。


「クリスマスはいつもお母さんと凪人の二人きりだから、たまには賑やかにパーティーしたいと思ってお誘いしたのよ。安心して、二人の邪魔はしないから」


 と言いながらも母は店の残り物の処分と飲酒仲間が欲しいだけだったりする。

 しかし今更拒否できないのも事実。


「あ、凪人くん、あたし帰るね。では店長お先に失礼します」


 気まずくなってきたのか福沢が帰り支度を整えて店を出ようとする。すかさず愛斗が立ち上がって扉を開けた。


「もう外は暗い。駅まで送って行こうか?」


 福沢はどきりとしたように首を振る。


「あ、いえ、平気です。人通りの多いところを行きますから」


「じゃあ気をつけて。パンケーキ美味かった、ありがとう」


「どうも」


 そそくさと走り去っていく福沢の頬は心なしか赤い。

 一部始終を見守っていた母が感心したように声を上げる。


「さっすが帰国子女。惚れ惚れしちゃうわね。凪人も見習いなさい」


「母さん、人間には得手不得手があるんだよ。おれがやってもサマにならないだろう」


「そう謙遜するなよ。演技なら得意だろう」


 席に戻ってきた愛斗は隣に座るよう凪人を促す。

 表情こそ穏やかだが有無を言わせぬ威圧感があり、従わざるをえない。


「今売り出し中の実力俳優がなに言ってるんですか、おれの素人演技なんて恥ずかしくて見ていられないですよ」


「いや……恥ずかしいのは俺の方だ」


 小山内レイジを名乗って皆の前に姿を見せたときの愛斗の驚きようと言ったらなかった。

 撮影中はNGこそなかったが声や感情が上滑りして「らしく」なかった。それが逆に作中のイチハの驚きを強調しているとOKが出たのは良いのか悪いのか。少なくとも愛斗自身は納得のいく演技ではなかったのだろう。


「演技は六年ぶり、だったか。それだけブランクがあるのにああも簡単に切り替えられるんだな。すごい存在感だったよ」


「そんな持ち上げないでくださいよ、台詞をなぞるので必死だったんですから」


「いや……俺は負けたと思ったよ。呑まれた。あの瞬間は『イチハ』ではなく『イチハ役を演じている斉藤マナト』に戻ってしまった。くやしいな。もっと役にのめり込まないといけないと痛感させられたよ」


 サンタクロース姿でありながら愛斗の表情は真剣そのものだった。

 どこか思いつめているようにも見受けられる。


「あ、そうだ。愛斗さん、小山内レイジがおれだってことアリスに言って――……」


「なんだ、まだ話してないのか?」


「ですよね」


 案の定だ。アリスはまだ何も知らない。


(だけどなんて言えばいいんだ。おれ実は小山内レイジで――あぁだめだ、鼻で笑われる未来しか見えない)


「ちょうどいいじゃないか。ドラマを見せればイヤでも分かる」


「やっぱりそれしかないですよね」


「それが最良で最善。あとはほんの少しの勇気だけだ」


「……はい」


 アリスが来るまであと数時間。覚悟を決めるしかない。



 ※



 自宅玄関のチャイムが鳴ったのは八時半過ぎだった。出迎えた凪人の前にひんやりとした冷気をまとったアリスが現れる。


「うわっあったかーい、お邪魔しまーす」


 何重にも防寒着を羽織ったアリスは着ぶくれした雪だるまみたいだったが、血の気を失った頬に赤みが差したのが見えて屋外の寒さが痛いほど分かった。


「いらっしゃい、寒かっただろう。荷物と上着預かるよ」


「ありがとう。もぉ大変だったの。イベント中はずっと屋外で身を切るような寒さに震えたし、こんな日に限って柴山さんの車のエアコンが故障して冷凍庫みたいだし、全身凍りそうだった」


 立ったままブーツを脱ごうとするもアリスの指先はうまく動かない。


「手伝うか?」


 なにをどうすればいいのか分からなかったが申し訳程度に手を伸ばした。

 しかし。


「だめっ」


 拒絶するように距離をとってしまう。その態度に少なからずショックを受ける。

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