うそつき
病院中が慌ただしい。学生の私でさえ、あまり休む暇がないほどだ。
三人の学生の死。それだけでも大変なことだが、行方不明者もいるし、体調を崩し入院したきりの者もいる。全員が歯学部の5年生だ。
保護者からはクレームが殺到し、噂によると一部の週刊誌も目を付け始めているらしい。学校側がどう対処したかと言うと、「自主性に委ねる」である。つまり、歯学部の5年生は登院しても登院しなくてもいい。登院しなかった生徒の成績はレポートや実技試験で補填する。医学部の登院生たちや、大学にいる5年生以外の生徒は通常通りの授業が行われる。そういうことになった。
ひと学年100人以上いる生徒のうち登院している者は数えられるくらいにまで減った。
基本的に模型造りや、その他の雑用は学生に任せられることが多かったため、学生が減ったいまドクターの業務は増え、全体的にてんやわんやしているというわけだ。
家族にもどうせ進級に影響はないし心配だから休めと言われた。しかしその必要はない。私は真理恵に何もしていないのだから。
終業時間を迎え地下にある学生更衣室に入ると、人影があった。
「松田さん」
「ああ若槻さん、来てるんだ」
松田里美。彼女は31歳の、落ち着いた雰囲気の女性だ。調理師としてイタリアンシェフの夫とレストランを切り盛りしていたが、彼女の叔父にあたる男性歯科医師の息子が交通事故で死亡し、急遽叔父の経営する歯科医院の跡継ぎになるため歯学部に27歳で入学してきたという異色の経歴を持つ。
いつも冷静で、他の学生からは一歩引いた距離を保っているのに人望は厚く、先生方からも頼りにされていた。つまらない嘘ばかり吐く私とは大違いだ。
「わあ、やっぱり若槻さんってスタイルいいんだね。美容方法教えて欲しいわ。30過ぎるとなかなか下腹が引っ込まなくて」
ケーシーを脱いでいるとそんなことを言われる。松田さんこそ豊満で素敵なスタイルをしているのだが。
「いや、そんなこと全然。私は松田さんみたいになりたいし」
松田さんは照れ臭そうに笑うと、あ、そうだ、と何かを思い出したかのように呟いた。
「山岡くん退院したみたいだよ」
「えっ」
「いやそんな驚くことかな」
予想外に大きな声が出てしまい慌てて誤魔化す。
鈴木博之、笹岡良平、田村翔太、そして斎藤奈緒。真理恵にひどいことをした人間は全員消えた。かがせおさまの呪いなんていうありもしないものを信じて、動揺して、めちゃくちゃになって死んだ。
山岡幸太郎だって死ぬはずだ。死ななくてはいけない。真っ先に。家族ぐるみで仲がいいくせに、あんなひどいことを真理恵にした集団の仲間になっていたんだから。勝手な想像だが、近しい人間に裏切られるというのは一番悲しいことなのではないだろうか。そんなことをした山岡幸太郎を、真理恵は許すだろうか。
「まあでも、ビックリするかぁ。あの流れなら死ぬよね、不謹慎な言い方だけど」
松田さんは少し顔を顰めた。
「ああそっか、私だけだったね、お葬式行ったの。鈴木君のに行ったんだけど、死体、損壊がすごかったらしくて、顔も見せてもらえなかったの、お棺も顔のとこ閉じられてて……あっこんなこと言うべきじゃなかったね。不思議だな、今日は余計なことまで話しちゃう」
「忙しいもんね最近」
そんな話をしながら、ロッカーを開けてサンダルを取り出した。サンダルに足を入れるとカサカサした感触がして思わず飛びのく。
真っ黒な髪の毛がびっしりとからみついている。
「どうしたの」
そう言って私のロッカーを覗いた松田さんの顔が強張る。
ロッカーの底に敷き詰められたかのように髪の毛が溢れている。
真っ黒な髪の毛、染めた経験もなさそうな、長くて大量の黒髪、どうしても結び付けてしまう。これはあの子の髪の毛だと、そう思えて仕方がない。
「なんだろう、嫌がらせかな。とりあえず先生に言った方がいいよ」
松田さんはいつもどおり冷静な口調だったが、唇が青い。指先が震えているのが分かった。
そうだね、と言おうとして違和感に気が付く。足が痛い。ひどく痛い。
触ってみると手にベットリと血が付いた。ズタズタだ。
松田さんが誰か呼んでくると言って走り去っていくのが見える。
髪の毛は私の手に、足首に、顔に、絡みついて、離れない、お願い、
二人きりにしないで
お願い
二人きりにしないで
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