⑤
斎藤奈緒と須田真理恵の関係、若槻寛子という須田真理恵の協力者、山岡幸太郎という最初の犠牲者が未だ生きていてさらに意識を取り戻したらしいということ、三名の犠牲者、金町タキオのお祓いの顛末、毎晩見る悪夢、訪ねてくる黒いモヤ、一滴の漏れもないように話をした。笠島は口を挟むことなく熱心に聞いている。
佐々木るみは話を聞きながら、逐一書き留めて時系列に並べている。彼女とは3年くらいの付き合いになるが、突拍子もない言動からは考えつかないほど非常に丁寧で思慮深いアプローチをする。分かりやすく言えば頼りになるのだ。その頼れる能力を俺のために使ってくれるかどうかは定かではないが。
「この訪ねてきたモヤの話やけど」
笠島はパソコンのモニターに顔を近づけて言った。画面には家の監視カメラの映像が映っている。俺も何度か確認したのだが、インターフォンが鳴っているのは間違いないが、俺が見たモヤは映っていない。
「直接見たわけやないからなんとも言えんのやけど、これだけなぁ、引っかかる」
「と言いますとなんですかな?」
佐々木るみが目を輝かかせる。
「確かに私が見た奈緒ちゃんの後ろにいたアレ……とんでもない見た目やったけど、真理恵ちゃんやと思う。けどなぁ、これは真理恵ちゃんとは違うと思うんよな」
「じゃあこれ、なんなんですか」
「あくまで推測やけど、かがせおさまかもしれん」
「へ?!」
突然かがせおさまの名前が出てきて素っ頓狂な声を上げてしまう。かがせおさまは金町タキオによって誤って祓われてしまった(神に対してこの表現が正しいのかは分からないが)はずではないのか。
「じゃあ俺、これ応えて出た方が良かったんですかね」
言ってしまってから神様のことは人間に分からないという主張をしている人に対して随分マヌケな質問だったと思う。
「神様が何を考えとるんか私ら人間にはわからんのよ……やから、出ないのが正解やったと思うわ」
やはり返ってきた答えは同じだった。そのまま、促されて喫茶店でかかってきた電話の録音をふたたび再生する。かすれてはいるもののしっかりと録音できている。斎藤奈緒が言ったであろう言葉が流れてくる。
『いや私もびっくりして。隣見たらあったんで。私もまさかって思ったし、信じたくないですけど。でも実際カメラがあったから、やっぱり須田さんがやったんだろうなと思います』
斎藤晴彦先生が悲しそうに顔を歪めている。個人的に調べたところ、斎藤奈緒は女子更衣室のロッカーに監視カメラを仕掛け、その映像を盗撮ものとして高値で売っていたらしい。それが発覚しそうになったとき須田真理恵に全ての責任を負わせた、というのがことのあらましだ。それ以外にも色々と斎藤奈緒についての醜悪な事実が出てきたが、父である斎藤晴彦先生にとっては聞くのが辛い話だろう、そこまでは言わないでおいた。この検証に立ち会っていることだけでも相当精神力が強いと思う。オカルトへの興味が直視しがたい娘の姿を見させられる不快感を上回っているのだとしたら、この人は壊れていると思う。
「そういえばワシらには奈緒殿の言っていたかがせおさまの声とやらは聞こえませぬな」
唐突に佐々木るみが言った。
「あ、それはそうだね。ホラ、笠嶋くんにも話したじゃない、おえんな、おえんわというやつ」
「おえん、ってやっぱり一部の地域で使ってるダメだとかいけないとかっていう意味で解釈していいんでしょうか」
「せやな、あれはかがせおさまが奈緒ちゃんに発した警告なんやと思う。奈緒ちゃんとかがせおさまのチャンネル、波長がたまたま合ってしまった。そんで奈緒ちゃんだけにその声が聞こえた。金町タキオの守られてる、というのも合っていたかもしれん、守られてたのがあのオバハンが祓ってしまった側の存在いうのが問題やけど」
「金町タキオさんは今入院されてます。家族以外の面会も拒否ということで、どんな状態なのか確認はしていませんが」
金町タキオという霊能者の話をすると、笠嶋は斎藤晴彦先生と同様にそこそこホンモノやのに、と言った。
「ホンモノですかあ、ワシにはインチキとしか思えませぬがねえ」
佐々木るみが冷え冷えとした声で言った。
彼女もインチキ霊媒師なりにやれることはやったのかもしれない。全く的外れなことを言っていたわけではなかったのだから。それでも正直な感想としては、余計なことをしてくれたな、でしかない。
ただ、笠嶋が言うには「かがせおさまを祓った」ということ自体も勘違いであるらしい。神様という強大な存在とのコミュニケーションは基本的にお願い、お祈り、という形になるらしく、例え残りカスであったとしても消し去るなどということは出来ないそうだ。確かに金町タキオは「お引きでございます」と言った。お引き、というのは引き下がるという意味かもしれない。どうか引き下がって下さい、とお願いしていたのかもしれない。第一、かがせおさま=
それと、あの焼け落ちた東都大学の裏の家の老人はかなり有名な自称神官だったそうだ。たびたび雑誌「百鬼夜行」に神を冒涜するな、という旨の投書を行なっていたらしい。あの家についても雑誌で取り上げようとしたことは何度かあるが、本人だけでなく東都大学からも激しく拒否されていたそうだ。
「御神体が星というだけ……かがせおさまと呼んでいただけで、果たして本当にかがせおさま、がいたのかどうか分からないしね」
斎藤晴彦先生が言った。
「そもそもかがせおさまは日本書紀にしか登場しない神様だから、後の世でどんどん設定が付け足されていったし、原文の解釈も様々なんだ。かがせおさまを懐柔したとされる神は織物の神である、ということから、織物の神は女性、つまりかがせおさまはハニートラップで懐柔された、と解釈する人もいるしね」
斎藤先生は指で宙に星のマークを書いて、
「笠島くんと同じで、私はそれがなんであれ、なんらかの警告を片山君にしているんだと思うよ」
突然部屋が暗くなる。天気が曇りであることも相まって、夕方にしてはとても暗く感じる。目の前の斎藤晴彦先生の顔がはっきりと見えないほどだ。
それに、なんだか肌寒い。プツプツと鳥肌が立っている。
鼻腔を塩素のような臭いが突き抜ける。猛烈な吐き気が押し寄せた。何故か暗い中にあって吐瀉物の色だけははっきりと分かる、なんでこんなに白いんだ。朝は白米と納豆と鮭とトマトを食べて昼にはピザをケータリングしてその前の晩飯は炊き込みご飯と煮物と青梗菜の炒めたやつとスイートポテトパイと夜食に味噌ラーメンとピスタチオアイスクリームを食べてそれはこんな白くない白くないはずなんだどうしたんだろう茶色に変わってきたなんだこれはなんで気道が塞がれる苦しい痛い苦しいおえん苦しいおえん痛いおえんおえんおえんおえんおえんおえんおえんおえん
――もろもろのまがごとつみけがれをはらひたまへきよめたまへともうすことのよしをあまつみくにつかみやをよろづのかみたちともにきこしめせとかしこみかしこみまをす――
笠嶋のしわがれた声が響いた。同時に頭の中に流れる陰鬱な映像が消える。
電気が点くと同時に激しくせき込んだ。喉がちぎれるような痛みと共に、口から吐瀉物の残りが出ていく。本当に窒息死するところだった。その前に、また。
二回目だ。あの脳がジャックされるようなひどく不快な感覚。
三人が大丈夫かと言って背中をさすり声をかけてくれるのが見える。まだ脳が支配されているのだろうか、声はどこか遠く感じるし、声も発することができない。
倒れる前に目に入ったのは佐々木るみのトレーナーについている、星のアップリケだった。
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