うそつき

 私は虚言癖を自覚している。

 本当に自然に嘘をついてしまう。どこに住んでるの、と聞かれて白金高輪だよ、と答えて終わらせるだけのことができない。出身地はアルザスなんだけどね、お母さんがフランス人なの、とかありもしないことを言ってしまう。

 陰で「うそつきさん」と呼ばれて笑われていることも知っている。しかし嘘がどうしてもやめられなかった。

 嘘をつき続けるというのは、泥を使って家を建設するようなものだ。一つ嘘をつくと、それがばれないようにするための嘘をもう一つつかなければいけない。そして一つでもバレると、私のすべてが崩壊していく。

 今では私が言っている本当のことなんて、住んでいる場所くらいしかなかった。

 自業自得と言ってしまえばそれまでだ。しかし私は毎日苦しんでいた。嘘で塗り固められたエピソードを面白おかしく話す。陰では笑われる。家では優しい両親が今日はどうだった?と尋ねてくる。それに対しても架空の友人と話した嘘のエピソードを話す。ねつ造。全部がねつ造。虚言。頭がおかしくなりそうだった。


「それ嘘でしょ」


 そう指摘してくれた女の子がひとりだけいた。

 須田真理恵。地味な顔をした背の低い女の子。私がドイツに行ったエピソードを話した時だ。ドイツなんて行ったことはなかったが、ガイドブックやネットで十分調べたつもりだった私はドキリとする。


「私あんまり言ったことないけど、小さい頃ドイツに住んでたの」


 真理恵は私の顔をまっすぐ見ていった。


「嘘なんてつかなくてもいいのに。皆を面白がらせようとなんかしなくていいんだよ。若槻さんは美人だし、スタイルもいいし、声も綺麗だし。男の子がクラスで一番美人なのは若槻って言ってたのも聞いたことある……多分若槻さんはサービス精神旺盛なんだね、優しすぎて、皆が笑ってないと辛くなっちゃうんだね」


「そんなこと」


「無理しないで」


 真理恵は私の手を彼女の小さな手で包んだ。その温かさが切なくて、泣いてしまった。嘘が指摘された気恥ずかしさや気まずさよりも、嬉しさで胸がいっぱいになった。

 グループが違ったため大学ではほとんど関わることがなかったが、それからというものたまに真理恵と二人で遊ぶようになった。真理恵は色々なことを知っていてお茶をしながら話すだけでも楽しかった。私は真理恵の前でだけは本当のことが言えた。飼っている犬のこと。従姉のこと。テレビで見たこと。下らない話ばかりだったが、真理恵は楽しそうに聞いてくれた。


 それもほんの数か月で終わってしまった。

 真理恵は三年生の冬に飛び降り自殺をしたのだ。

 成績のことで悩んでいた、と聞かされたが、真理恵の成績は真ん中くらいだった。勉強会もしたから知っている。

 それは誰でも方便だということを知っていた。真理恵は、二週間前クラスで起きた盗撮事件の犯人としてつるし上げられたばかりだったからだ。真理恵がそんなことするわけないと確信していたが、私にはそれを否定するだけの証拠がなかった。それに何より、嘘つきの私の言うことを誰が聞くというのだろう。

 クラス全員の前で複数人につるし上げられた真理恵は、犯罪者として大学を退学処分になった。そして自殺してしまった。誰もが罪を償うことが嫌で自殺したとそう思っただろう、私以外は。

 私は最初から真理恵をつるし上げたグループが怪しいと思っていた。

 斎藤奈緒、鈴木博之、笹岡良平、田村翔太。全員セフレ関係だとか、そういう噂も聞いたことがある。

 私は事件が起こる前の日に、斎藤奈緒と真理恵が言い争っているのを目撃していたのだ。

 虚言癖がある私が何を言っても信じてもらえるとは思えなかった。彼らと私どちらに分があるかは明白だった。これほど自分の虚言癖を呪ったことはない。結局何もできないうちに真理恵は死んでしまった。

 私は初めて両親に我が儘を言った。お金を貸してほしいと。様々な手を使って調べた結果、真実に辿り着いた。やはり真理恵は何もやっていなかった。しかし遅すぎた。半年も過ぎてしまった。なぜ真理恵が生きているうちに、彼女がつるし上げられた直後に、何もしてあげられなかったんだろう。私がつきとめた真実で彼らが退学にされたところで真理恵は帰ってこない。そう思うとやり切れなかった。


 その日から夢に真理恵が出てくるようになった。初めは牛に似たなにかが真理恵の声で私を呼ぶだけだったが、一か月もするとそれは真理恵の姿を取るようになった。

 夢の中の真理恵はいつも横を向いていた。もし私が顔を正面から見てしまえば、私も真理恵と同じ世界の住人になってしまうのだという。私は真理恵と一緒にいられるならそれでも良いと言ったが、真理恵はヒロにはやって欲しいことがあると首を振った。

 私は真理恵の言う通りに動いた。私は生きている真理恵を助けられなかった。だから今真理恵が何であっても、悪霊と呼ばれる種類の幽霊でも――そうだと分かっていても、嬉しかった。真理恵は私の唯一の理解者だから。

 両親は私が望めばいくらでも金を出してくれた。万が一にもシナリオが狂わないように、あの家に火さえ放った。


 斎藤奈緒が怯えている様子を見るのは楽しかったが、彼女が連絡を取った助っ人たちには肝を冷やしたものだ。彼女の親がそっち方面の学者だなんて全く知らなかった。まあそれも杞憂だったが。


 うまくいった。本当に笑えるくらい。もう斎藤奈緒を守るものはない。かがせおさまなんて最初からいない。

 最初から誰も嘘なんてついていない。

 真理恵は呪われている、と言ったが誰に呪われているなんて言っていない。勝手にかがせおさまだと思い込んだのは斎藤奈緒だ。金町タキオも助っ人たちも皆、自分のできることを精一杯やったのだろう。誰も嘘なんてついてなかった。私以外は。


 嘘つきは私だけでいいのだ。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る