⑥
どっと疲れた。母の「今日の分の勉強はどうしたの」という小言を無視して寝室のベッドに倒れこむ。いま寝たら、また黒いものに追いかけられるのだろうか。そしてそのまま、夢の中で死ぬかもしれない。夢の中では黒いものにつかまって死ぬ、のかもしれないけれど、現実では焼死かもしれない。あるいは、ズタズタに切り刻まれたり。
でもどうしようもない。あの爺さんも、金町タキオも、笠嶋も、誰も助けてくれなかった。もしかしたら父や、佐々木るみ、敏彦さんもどうにかなるかもしれない。
『あんた、悪い子ぉやな』
どこかから笠嶋の声が聞こえてくるような気がした。私は何もしていない。私は何もしていない。
それより、敏彦さんが死ぬのは嫌だなぁ。彼の夢みたいに綺麗な顔を思い出していると、少し恐怖が和らいでくる。
夢みたいに綺麗な、敏彦さん。
そうしていつの間にか眠ってしまった。
私はでこぼこの道を歩いている。あ、こないだの夢と同じだ、と気付く。やはりまた目の前に扉が出てきて、私はそれを開ける。
しかし、今度出てきたのは教室ではなく、女子更衣室だった。
「奈緒ちゃん」
声をかけられて振り向くと、ロッカーが少し揺れている。308番。これは前に私が使っていた大学のロッカーだっけ。登院してから病院の方のロッカーを使っていたのでよく覚えていない。
しかし同じ番号で開くようにしているので、私はいつものようにダイヤルを合わせる。
真理恵が壁に埋まるようにして、横向きに入っていた。
思わず後ずさる。それを見て真理恵はまた口の端を上げて微笑んだ。
「あんまり上手くいってないみたいだね」
真理恵はふぅ、とため息をついた。
「ヒロに頼ってって言ったじゃない。あんなおじさんに言ってもダメだよ」
「頼ったけど無理だったんだよ、どうせあんたも見てたんでしょ」
やはり真理恵と話すと無性にイライラしてしまう。この苛立ちの原因はよく分からなかった。真理恵は私に助言してくれているのに……面食いだから、あまり可愛くない真理恵にイライラしてしまうのだろうか。
「奈緒ちゃん、落ち着いて。とにかくヒロに相談するの。いま奈緒ちゃんが相談してる人たちは、なんにもできないからね」
「もっと何をすればいいとか、詳しく言ってよ」
「前も言ったけど私は夢に割り込むことしかできないの。とっても弱いから。ほんとだよ。ヒロには言ってあるから、ヒロに頼って」
真理恵が目を閉じると同時に、ロッカーの扉も閉じる。もう一度開こうとするとものすごい勢いで後ろに引っ張られ、目が覚めた。
起き抜けに電話がかかってくる。おそるおそる確認する。タイミングよく、ヒロだ。開口一番、深刻そうな声を出す。
『大丈夫かと思って』
「大丈夫ってなにが?」
『ああそっか、昨日斎藤さん、休んだもんね。通知も切ってたみたいだし、知らないか。とりあえず学年グループ見て』
学年グループ、というのは学年が変わる事に登録しているクラス全員のアカウントが参加しているグループチャットだ。主にクラス委員の松田さんが大学の日程表や連絡事項などの画像を添付していた。
不気味なメッセージが届いているのを見るのが怖くて、メッセージアプリ自体しばらく立ち上げていなかった。
メッセージを見ると、学年グループだけで236件も溜まっていた。驚いて内容を確認する。マジ?とかそういうどうでもいい反応やらスタンプやらを無視して遡ると松田さんのメッセージが目に入った。
――鈴木博之くん、笹岡良平くん、田村翔太くんが亡くなりました。クラス全員で押しかけるのは迷惑なので、お通夜は私と角田くん、豊元さんで分担して行きます。お金は後で集めますので、用意しておいてください。
そのメッセージの後に続くのは、やはりほとんどがうわーとか三人同時?とかそういうものだったが、堀江が送ったメッセージから目が離せなかった。
――次、奈緒じゃね?
『斎藤さん!斎藤さん!大丈夫?』
答えることができなかった。唇が震えて歯がカチカチと音を立てる。博之、良平、翔太。彼らは、私の。
『とにかく、今日さ、会おう。しばらく休校になるみたい。今斎藤さんが相談してる人たちも一緒でいいから。何でその人たちのこと知ってるかって言うと……また嘘って思われるかもしれないけど、夢で真理恵に聞いたの。三年のとき死んだ須田真理恵、覚えてるよね。あの子夢に出てきて。ごめん、斎藤さんに最初に声かけたのも、真理恵が斎藤さんのこと心配してたからなんだ……夢とかバカバカしいって思うかもしれないけど』
「信じる」
かすれた声が私の口から漏れた。全部信じる。信じるしかない。須田真理恵の言うことも、すべて。あれは近付いてくる。もうすぐ来る。夢と違って逃げられない。
私は障ってしまった。神と呼ばれている超越的ななにかは、明確に私を狙って苦しめようとしている。殺すのではなく、周りをジワジワと苦しめて、消耗させて、絶望させて、最後にやっと、私の番が来るのだ。
佐々木るみの両親が経営しているというこじんまりとした喫茶店で、私、ヒロ、佐々木るみ、敏彦さんは顔を合わせた。
三人の男子が死んだ、という話になると佐々木るみがウヒョッと声をあげた。
「これはすごい!最高のシチュ!次々死んでいくキラキラ大学生!かんっぜんにホラー展開ではないですか!サイコーですなぁ」
さすがに私もヒロも顔を顰める。佐々木るみは全く気にしている様子がない。
「不謹慎だよ猿……佐々木さん。まあでも、そうやって直接的には関係ない人が連続で死んでいくっていうのは不思議なことだね。山岡幸太郎くんの話は分かったけど、彼と斎藤奈緒さん以外はあの家に行っていないわけでしょ」
敏彦さんの薄茶色の目が探るように私を見つめる。私はドキリとして目を逸らした。
「三人とも、私と仲が良かったんです、すごく……敏彦さんたちのこととかも、話すくらい」
「そうなんだ。じゃあ斎藤奈緒さんが呪いのビデオってことかな」
突然出てきた言葉に驚いて、思わず聞き返す。
「いや勝手な解釈だからあんまり言わない方がいいのかなって思ってたけど、なんとなく、あの家に行ったから呪われたっていうのとは違うかなって思って」
敏彦さんはコーヒーを啜る。
「山岡幸太郎くんも仲が良かったんだよね。彼が最初で……まぁ死んでないけど、次に家の持ち主、霊能者のおばさん、学生三人。そうなると、斎藤奈緒さんがかがせおさまのことで関わった順番に死んでるってことになっちゃうんだよな」
ヒロは凍りついたようにティーカップを握ったまま動かない。
「順番的に若槻寛子さんが死んでない説明がつかないか、そうすると。だから仮定の話。忘れていい。でも、かがせおさま……と言っていいのかな、それ自体に一連の原因があるとはどうしても思えないんだ。その家は前から病院の裏にあったわけだろ?噂になるほどのボロ家なら、斎藤奈緒さん以外にも興味本位で侵入した人だって少なからずいたはずだよ。かがせおさま本体に人を殺せるくらい強い呪いの力があるなら、もっとコンスタントに学生とか、医師とか看護師とかが死んでないのはおかしいし……だから呪いの原因はかがせおさまというより斎藤」
「るみちゃーん!」
底抜けに明るい声で敏彦さんの話は遮られる。私は何故か安心していた。
佐々木るみそっくりの彼女の母親が笑顔で現れる。
「るみちゃんにお電話よ!はいどうぞ!」
「母上、かたじけのうござる!」
佐々木るみは子機を受け取ると元気よくもしもし、と言った。
「は?奈緒殿ですか?はぁ……」
敏彦さんが佐々木るみにキャッチフォンにして、と指示をする。佐々木るみが切り替えボタンを押すとすぐに声が響き渡った。
『どうしよう、あれがバレたら』
女の声だ。女の声。これは私の声。
『■■■ちゃん、あんたほんとに人間の顔じゃないよ。バケモノ』
『お茶を淹れようとお湯をわかして転んだだけ、はやく繰り返せよ』
『いや私もびっくりして。隣見たらあったんで。私もまさかって思ったし、信じたくないですけど。でも実際■■■があったから、やっぱり■■さんがやったんだろうなと思います』
『ほんと良かった死んでくれて』
「違うの!」
私は思わず大声を出した。
「違うっ!違うの、全部、こんなの違う、違う!」
敏彦さんが見ている。私のこと、そんな、キチガイみたいな、■■■を見るみたいな目で見ないで。
―――おえん
電話から低い声が聞こえる。それはノイズ混じりに何度も何度も繰り返される。
――おーーえんわおえーーーんわーーーーおえんおえんわおえんなおえんーーーーーーおえんーーーーーー
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