④
「よかった。斎藤さん私のこと嫌いだと思ってたから、頼ってくれてよかったよ」
歩きながらヒロは何度もそう繰り返した。本当はお礼を言わなくてはいけないのは私の方なのだが、なんだか恥ずかしくて言えない。実を言えば今でもヒロのことも、ヒロのツテとやらも全く信用できないでいる。
でも、あのあと目覚めても、脳には夢で会った真理恵の姿と声が焼き付いていた。あまりにもリアルだった。引きずり倒されたときに感じた顎の痛みさえ残っていた。
それにもう私には他に手段が残されているとは思えなかった。ヒロにメッセージを送ると快諾してくれ、早速放課後に彼女の知り合いの霊能者、金町タキオのいる喫茶店に2人で行くことになった。
タキオはどこにでもいる普通のおばさん、といった感じの容貌で、細木数子みたいな人を想像していた私は少し驚いた。金町タキオというのも仮名で、普段は本屋で働き結婚もしているらしい。
「寛子ちゃん、この子が奈緒ちゃんね」
タキオはメガネの奥の小さな目をさらに細めて微笑んだ。
「だいたいのことは寛子ちゃんから聞いてるわ。こういうことに興味があるの?」
「興味なんかありません」
タキオの言葉を遮るように言った。突然の強い口調にタキオが目を丸くする。少し失礼だったかな、と思って私は謝った。
「ごめんなさい、でも私そういうのにハマる人嫌いなんです」
これは、私にとっては大事なことなのだ。心霊現象とかそういうのはまやかしで、くだらなくて、そんなものに没頭するのは馬鹿な人と病気の人だけ。
「あら、じゃあなんでその変な家と結びつけているの?」
タキオがタバコに火をつけた。
「案外勘違いかもしれないわよ。病気の分野はあなたたちの方が詳しいかもしれないけれど、同級生の男の子が具合が悪くなったのも、変な夢を見たり変な電話がかかってきたのも、ストレスが原因だと説明することもできるんじゃない?私に相談してきたのはなぜ?」
「それはヒロ……若槻さんがどうしてもと言うから。それに勘違いなんかじゃありません」
なにが勘違いだ。勘違いであるはずがない。私がこんなに疲弊しているのに、何も分からないなんてやはりインチキなんだろうか。椅子を蹴ってタキオに詰め寄った。
「結局何もしてくれないんですか?何もできないの?こんなに困ってて、だから頼んでるのに」
タキオは眉一つ動かさず、
「あなたさぁ、中途半端に信じて、中途半端に信じてないでしょう。普段はバカにして全然信じてないのに怖いことがあったから信じる、そういうのが一番ダメよ、心にスキマができちゃうの。そういうスキマに悪いものは入ってくるから」
大きく煙を吐いた。煙は雲のような形になり、私の体を覆うように充満する。
「本当に勘違いなら良かった。勘違いだって安心させてあげようとしたんだけどね。事態はとっても深刻みたい。奈緒ちゃんにぴったり張り付いてるの、すごいのが。あなたを見つけられるように目印が」
空気が澱んでいる。さっきまで五人ほどいた客はもう帰ってしまったのだろうか。隣に座っているはずのヒロの気配すらしない。それよりも煙が、目を覆って何も見えない。コツコツと、タキオが指輪を机に打ち付ける音だけが響く。
「変な宗教の神様ってだいたいどうでも良くて弱い存在が固まっているだけで神様じゃないことの方が多いし簡単だと思ったんだけど……怖がらせたくはないけど私もすごく怖い。それくらい強いの、今はまだ、少し離れたところにいるけど」
地鳴りのような音が聞こえる。それにうっすらと人の声が混じっている。か細い、女のような、あの声。肩に、首に、重苦しくまとわりついてくる。
『さいとうなおですか』
目の前に大きな顔がある。
『さいとうなおですかさいとうなおですか』
口を忙しなく動かして私を呼んでいる。
『おえん』
目を開こうとしている。その顔は、まるで
「ダメよ」
タキオの声が響いた。冷たい手が私の手の下に差し込まれる。
「耳を貸してはダメ。目を奪われてはダメ。目をつぶって、私の手を握って、何も考えないで」
私は差し出された手を強く握り、目を固くつぶってできるだけ体をちぢこめた。
突如何かが破裂したような音がした。フッと肩が軽くなったように感じ、私の周りを覆っていたタバコの煙も徐々に薄れていく。
視界が完全に晴れると店内は元のとおり客の話し声で賑わい、隣にはヒロがいてこちらを心配そうに見つめていた。
「これで大丈夫、少しは時間がかせげた」
タキオは滝のような汗をかいていた。眼鏡は真っ白に曇り、何度も何度も荒い呼吸を繰り返す。
彼女は私の方に向き直って、
「これであれは、私の方に来る。私の方でどうにかやってみるわ。あなたはもう大丈夫だと思うけど……そうね、寝る時もトイレに行く時も、鏡を身につけてちょうだい、小さくても構わないけどできるだけ綺麗に磨かれたものがいいわ」
「ありがとうございます、タキオさん!」
私がお礼を言う前に、ヒロが分厚い封筒をタキオに手渡した。タキオは汗まみれの顔でうすく笑ってその封筒を受け取る。私はその光景を見て、金目当てのパフォーマンスだったのかな、という疑念が少しだけわいた。
彼女の力はどうやら本物だったらしい、と思い至ったのは夜になってからだった。その日はしばらくぶりにぐっすり眠れた。黒いものや真理恵は夢に出てこなかった。
――の疑いで捜査を進める方針です、現場の村井さん
母がつけたニュースの音で目が覚める。カーテンを開けると明るい光が差し込んでいて、それだけで私は笑顔になってしまう。こんなに清々しい朝はいつぶりだろう。ソファの上でスマホが震えている。ヒロからの着信だ。もう私は何も怖くない。電話だって普通に取れる。
「もしもし?昨日はありが」
『ニュース見て、8チャンネル。今すぐ』
「え、今見てるけど」
テレビの画面では村井キャスターが都内のマンションの前でなにか喋っている。マンションの周りに制止線が張り巡らされ、野次馬に取り囲まれていた。
『そのマンション……タキオさんの家』
ヒロの声が震えている。
『タキオさん、玄関で倒れてたんだって。刃物で切られたみたいに……死んじゃうかもしれないって』
思わず電話を切って床にへたりこむ。
途端に太ももに鋭い痛みを感じ、見る見るうちに寝巻きの白い生地が赤く染まっていく。
足を刺したものをポケットから取り出すと、買ったばかりのコンパクトミラーがハサミで切ったかのように中央から二つに割れていた。
「また新しい人探してみる、待ってて」
ヒロはそう言ったがまったく期待が持てなかった。あんなにお金を払ってもらったうえにまた、色々なツテで方々を探してくれているのかもしれないが――これはホラー映画やホラー小説のよくある展開だ、そうとしか思えない。バカな大学生たちが面白半分で入ってはいけない場所に入って呪われる。次々と仲間たちが殺されていき、知り合いの霊能力者とか坊さんとか神主さんとかに頼るが、その人はバケモノの強大な力によってあっけなくやられる。
これが創作物なら最後はより強力な最強のお助けキャラが出てきて解決してくれるか、主人公たちの友情パワーで倒すか、あるいは、
「全員死んでしまう」
ふと口に出すと体が芯から冷えた。確実にそうなってしまう気がした。
恐らく金町タキオは本物だった。その証拠にたった一晩だが悪夢を見ずぐっすり眠れた。その本物のタキオがやられてしまった。もうこのストーリーの流れは誰にも変えられないのではないか。
いつもの癖でメッセージアプリを立ちあげると「オ」とか「カ」とかいうカタカナ一文字の名前のアカウントから大量にメッセージが届いていた。それを見ないようにしながらブロックしていく。見なくたってわかる、おそらく何度も聞いたあの言葉が打ってあるのだろう。
私は覚悟を決めることにした。できればこの方法だけは避けたかったが、こうなってしまったからには仕方がないのだ。幸太郎に起きたこと、私に起きたこと、あの家が焼けて老人も死んだこと、霊能力者の金町タキオが死んだこと。それらを全て書き記して「彼」に送信した。
身支度を整えていると母が声をかけてくる。
「最近調子悪いみたいだけど、体調管理はしっかりしてよね。留年されても続けさせてあげるお金、うちにはないから」
わかった、と短く答えて家を出て、私は大学とは逆方面の電車に乗った。
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