アイリスの円舞曲
「私は極力抗いましょう。ですのでクロレお姉様だけでも、生き残ってください」
アイリスは仏頂面のまま、そう残した。そして、彼女は耳に取り付けた機械を地面へと捨て踏み潰す。クロレに精神的な動揺をこれ以上与えないためだった。
アイリスの目には来る運命が見えている。それがもうすでに来ていることも知っている。アイリスはダンスホールで多数の物々しい足音を聞きながら、窓の外を見た。
「心地のよい日です」
アイリスの爪先は弧を描き、まるでバレリーナのようにくるりとその場で回る。その手には黒塗りの拳銃が二つ握られていた。
「そう思いませんか。……それともあなた方もこちら側なのでしょうか」
アイリスは周囲を見渡した。入り口は一つのみの舞踏場。上にはシャンデリアが飾ってありるが、このシャンデリアがなければきっと夜は星が見えるのだろう。
美しい星空を見れたのだろうか、アイリスは少しの間その事を考えて、やがてドアに目を向けた。同時にドアが開けられる。
と同時に、爆発が起きた。入ってこようとした数名は爆風に吹き飛ばされる。それはこれから戦争にでも行くのかとも思える装備をした軍人であった。
「お付き合いください」
銃声一つ。入ろうとした軍人の頭が即座に撃ち抜かれた。軍人たちの姿が見えないのは恐らく警戒をして隠れているゆえだろう。アイリスは可憐な声を響かせた。
「アンダーグラン家、三女。アイリス=アンダーグランが奏でます円舞曲に」
宣戦布告であった。ダンスホールに手榴弾が投げられるが、アイリスは容易く、そして優雅に足で蹴り返す。
ドア側で二度目の爆発。彼女には何がどう起きるかは分かりきっていることなのだ。ドアに仕掛けたトラップもここに入ってくると知った上での行動だ。アイリスは銃をおもむろに向けて撃った。また、誰かの頭に命中する。
アイリスにとって生きるとは作業であった。先に何があるかを知っている彼女にとって人生は大変味気のないものであっただろう。それを重ねる内に彼女はいずれ感情を失っていった。ある意味の諦念であったが、それでも生き続けてはいた。彼女の中には明らかな姉妹愛が根付いていたのだ。二十数年と共に過ごしてきた姉妹に対して。
アイリスは一歩、二歩と踊った。窓が割れ、彼女の鼻先を銃弾が掠める。お返しとも言うように銃弾を一発。確認するまでもなく、また一人殺す。
アイリスは殺しのパズルを解くだけの存在なのだ。どうすれば最大効率で人を殺せるか。それだけしか彼女の頭にはない。生まれついてからずっとそうしろと教え込まれた思考であった。彼女はまた引き金を引く。隙が出来た彼女と、それを察知し侵入してきた十数人もの兵士達との間にシャンデリアが割って入った。同時に誰かの悲鳴が聞こえた。それはそうだろう、誰か潰れたのだから。
アイリスは無感情に人間の成れの果てを眺めながら、弾の残っている拳銃の弾倉を取り外し、弾を補給した。リロードなどすればすぐにでも打ち負けてしまうだろう。それほどまでに遮蔽物のない、開放的な空間だった。踊るには丁度いいのだろうが戦略的なアドバンテージなど一つもない。アイリスはシャンデリアへと駆け出した。と、その前にまた一発。窓の外の誰かが死んだ。
アイリスはシャンデリアに近づき、その全身をあまりに頼りない硝子細工へと寄せた。寄せながら時計回りで走りゆく。このままいけばぶつかるであろう兵士三人の頭を流れるように撃ち抜いて、遮蔽物にした。怯む兵士にアイリスは首を傾げた。
「死が、恐ろしいですか」
その手に拳銃とナイフを握りながら、アイリスは怯む兵士の合間に紛れ、右手側に来た喉笛を切り裂いた。赤い尾を引くナイフが掌でくるりと回転する。
アイリスにも弱点がある。それは多数の敵だ。アイリスはなにがどこにあるべきかを知っている。銃弾がどう飛んで来るかを知っている。しかし、それを知っているのと避けるのは別の話である。掃射でもされればアイリスは簡単に死んでしまうのだ。
だから敢えて、彼女は敵の懐へ潜り込んだのだ。ナイフを使い、銃を放ち、彼女は本当に踊っているのと見紛う殺しを魅せていた。寸分の無駄もない動きではあったが、時たま見せるターンや祈りの姿勢などが彼女を彼女たらしめた。赤い噴水が、彼女の舞台を派手に彩り続ける。おぞましい光景ではあるが、彼女がそこにいるだけでそれは芸術と化していた。
彼女は円舞曲が一つ終わる頃に、十八人もの相手をいとも簡単に亡き者とした。アイリスの時間感覚は少しも狂っていなかった。円舞曲一つ分。幼少期に姉たちを喜ばせようと覚えた踊りであった。
彼女は演目の終了と共に目を伏せた。応援に駆けつけてきた兵士たちはその姿を見て、その手を止めた。その可憐さに、その場の誰もが気を持っていかれた。
「これにて、終演で御座います」
その芸術に拍手の雨が降り注ぐことはない。しかし彼女は満足だった。今兵士達が凍りついているこの時間、この時間こそが運命に抗っている時間だと肌身でしっかりと感じていた。
アイリスの恭しいお辞儀が終わると同時、銃弾の雨が彼女に降り注いだ。
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