第120話 のんびりな一日・その五
シーマ十四世殿下とはつ江ばあさんは、歴代魔王の肖像画が飾られた部屋を後にして、再び廊下の水中散歩へと戻っていた。
廊下では相変わらず、窓から差し込む光がユラユラと揺れ、魚たちのウロコやヒレや、珊瑚や海藻などがキラキラと光っている。
そんな中で……
「はつ江、あそこに泳いでるお魚が、オパールモチノウオだ!」
「ほうほう、虹色できれいなお魚だねぇ」
「そうだろう! それで、あっちに泳いでる小っちゃいお魚たちは、セイギョクカジカの群れだ!」
「ほうほう、青い宝石みたいできれいだねぇ」
……シーマが得意げな表情で魚の説明をし、はつ江がニコニコと微笑みながら感心する、という穏やかなやり取りが続いていた。
「シマちゃんは、お魚のことをよく知ってるんだねぇ」
「ああ! 小っちゃい頃から、図書室でお魚図鑑をたくさん読んでたからな!」
はつ江の言葉に、シーマは耳と尻尾をピンと立てながら答えた。すると、はつ江は、ほうほう、と声を漏らしながらコクコクと頷いた。
「このお城には、図書室があるんだねぇ」
はつ江の言葉に、シーマは片耳をパタパタと動かしながら頷いた。
「ああ。魔界中の出版物を集めた王立図書館は別の場所にあるんだけど、城の中にも歴代魔王が趣味で集めた本を保管してる図書室があるんだ」
「ほうほう、そうなのかい」
「ああ、ちょうどこの棟の奥にあるんだ。案内したいところだけど、日によっては開いてなかったりするから、無駄足になっちゃうかもしれないか……」
シーマが尻尾の先をピコピコと動かしながらそう言うと、はつ江はニッコリと笑った。
「大丈夫だぁよ、シマちゃん。開いてなくても、お散歩の時間がちょっと長くなったと思えば、楽しいもんさね!」
はつ江が答えると、シーマは耳と尻尾をピンと立てた。
「そうか! なら、さっそく行ってみよう!」
「わははは、楽しみだぁよ!」
そんなこんなで、シーマとはつ江は魔王城図書室を目指すことになった。
それから二人は、シーマが魚の解説をしてはつ江が感心する、というやり取りを繰り返しながら廊下を進んだ。そして、十字と丸と台形を組み合わせたような紋章が描かれた扉の前で足を止めた。
「はつ江、ここが魔王城図書室だ」
シーマがそう言いながら、ポフポフと扉を叩くと、はつ江はコクコクと頷いた。
「ほうほう。やっぱり、この間のおおれるさんの図書館くらい、本が一杯あるのかい?」
はつ江が訪ねると、シーマは尻尾の先をクニャリと曲げて首を傾げた。
「うーん、どうだろうな。歴代魔王の中には、本に全く興味がなかったり、王立図書館があれば充分って考えたり、灰門さんみたいに任期が短すぎたりして、本を集めてなかったひともいたらしいから……同じくらいかもしれないな」
「ほうほう、そうなのかい」
「ああ。そのへんの話は、ダンタリオンさん……あ、えーと、この図書室の司書さん的なひとな、そのひとがいれば分かるかも」
シーマの言葉に、はつ江は目を丸くした。
「あれまぁよ! このお城には、シマちゃんと、ヤギさんと、徒野さん以外の人もいたのかい!?」
「ああ。ただ、ボクたちと違って、城に住んでるわけじゃなくて、自宅から通勤してきてるんだけど……あのひと、来たり来なかったりで、かなり気まぐれだからなぁ……」
「へぇ、そうなのかい」
シーマははつ江の言葉に、ああ、と返事をしながら、扉をポンポンとノックした。
「ごめんくださーい」
「はーい、今日は開いてるのでー、中へどうぞー」
シーマが声をかけると、扉の中からのんびりとした男性の声が返ってきた。
「ありがとうございまーす」
シーマは扉に向かってそう言うと、はつ江に顔を向けて尻尾の先をピコピコと動かした。
「はつ江、今日は開いてるみたいだ」
「それは良かっただぁよ!」
「ああ、そうだな。じゃあ、さっそく中に入ろうか」
「分かっただぁよ!」
そうして二人は、重い扉を開いて図書室の中へ入った。
扉の中は最上階まで吹き抜けになっていて、四方の壁には背の高い本棚が備え付けられていた。そして、部屋の中央には読書用のまるいテーブルと……
「殿下ー、えーと、ご婦人ー、いらっしゃいませー」
「あれまぁよ!? 本がしゃべってるだぁよ!?」
……ふよふよと宙を浮かぶ、古めかしい革表紙の本があった。
はつ江が、驚いていると、シーマはヒゲと尻尾をダラリと垂らした。
「流石に、はつ江も驚いたか……。ともかく、このひとがさっき言った、この図書室の司書さん的なことをしているダンタリオンさんだ」
シーマが脱力しながら説明すると、ダンタリオンはふよふよと浮かびながら、ページをパラパラとめくった。
「はい、ご紹介にあずかりました、ダンタリオンですー。よろしくおねがいしますー」
ダンタリオンが挨拶をすると、はつ江も呼吸を整えてペコリとお辞儀をした。
「私は森山はつ江だぁよ! よろしくね、段田さん!」
「はい、よろしくですー、はつ江さーん」
すぐさまニッコリと笑って挨拶を返すはつ江と、名前の前半を名字と勘違いされても気にしないダンタリオンのやり取りを見て、シーマは片耳をパタパタと動かした。
「二人とも、適応力がすごいな……」
シーマがそう呟くと、はつ江はカラカラと笑い出し、ダンタリオンはパラパラとページをめくった。
「わははは! ちゃんと挨拶をしてくれる人に、悪い人はいねぇからねぇ!」
「そうですねー。それに私も、異界にお邪魔するときは、段田リオンという偽名でメガネっ娘になってますからねー。あながち、間違いでもないのですよー」
二人の言葉を受けて、シーマは再びヒゲと尻尾をダラリと垂らした。
「はつ江の発言はともかく、なんで異界に行くときは女の子になるんですか……」
「ふふふー、なんか偽名の響き的に、女の子の方がいいかなーって思いましたからー」
ダンタリオンが答えると、シーマは脱力したまま、そうですか、と呟いた。すると、ダンタリオンがパタパタと表紙を動かした。
「それでー、本日はどんな本をお探しなのですかー?」
ダンタリオンが問いかけると、シーマはハッとした表情を浮かべた。
「あ、いや、今日は本を読みに来たというより、はつ江に城の中を案内していて……」
「ああー、お城の中の見学ツアーだったのですねー」
「はい、そんなかんじです」
シーマが答えると、ダンタリオンは裏表紙をパタパタと動かした。
「分かりましたー、それならこの図書室について知りたいことがあれば、何でも答えますよー。ああ、そうそう、私への質問も、何でも答えますよー」
ダンタリオンがそう言うと、はつ江が、はーい、と言いながら元気よく挙手をした。
「はーい、はつ江さーん、なんでしょーう?」
「この図書室と、おおれるさんの図書館なら、どっちの方が本の数が多いんだい?」
はつ江が尋ねると、ダンタリオンはパラパラとページをめくった。
「そうですねー。実は、おおれるさんの図書館の方が、一冊だけ蔵書が多いんですねー」
ダンタリオンが答えると、はつ江とシーマはコクコクと頷いた。
「ほうほう、そうだったのかい」
「ああ、やっぱり、同じくらいだったか。こっちは縦長で、向こうは横長ってかんじだったものな……」
二人がそれぞれに納得していると、ダンタリオンは紐状のしおりをウネウネと動かした。
「あの方の私立図書館も、中々のものでしたねー。さて、それでは他に質問はありますかー?」
ダンタリオンが尋ねると、はつ江が再び挙手をした。
「はーい、はつ江さーん、どうぞー」
「段田さんは、どうやってお城に来てるんだい?」
はつ江が再び尋ねると、ダンタリオンはパラパラとページをめくった。
「私はですねー、転移魔法でこの部屋まで来てるんですよー」
ダンタリオンの答えに、はつ江はコクコクと頷いた。
「ほうほう、そうなのかい」
「ああ。ダンタリオンさんは、転移魔術が得意だからな。ボクの転移魔術も、ダンタリオンさんに教えてもらったんだ」
シーマが説明を補足すると、はつ江は軽く目を見開いた。
「あれまぁよ! そうだったのかい!」
はつ江が驚いていると、シーマはコクリと頷き、ダンタリオンは表紙をパタパタと動かした。
「そうなんですよー。殿下は飲み込みが早くて、助かりましたー」
「いや、まあ、べ、別にそれほどでも……」
シーマが照れていると、はつ江がニコニコとしながら頭をポフポフとなでた。そんな二人の様子を見て、ダンタリオンはページをペラペラとめくった。
「殿下ー、ご謙遜なさらないでくださいー。転移魔法の腕は、既に今の私を超えているほどですからー」
「え、いや、そんなことは……」
「そんなことは、あるんですよー。なんたって、私、今の身体になってから、湿気が多い日には体調がグズグズになってしまうのでー、一ミリも動けなくなってしまいますからー」
ダンタリオンがそう言うと、シーマとはつ江はコクコクと頷いた。
「ああ、それで、城に来たり来なかったりなんですね」
「ほうほう、身体が本だと大変なんだぁね」
二人の言葉を受けて、ダンタリオンは表紙と背表紙をパタパタと動かした。
「そうなのですよー。この身体はいいところも沢山あるんですが、湿気にはめっぽう弱いのでー。ちなみに、今日はお天気だったので、絶好調でここまで来たのですがー……」
ダンタリオンはそこで言葉を止めると、ポトリと机の上に落ちた。
「あれまぁよ!? 段田さん! 大丈夫かね!?」
「ダンタリオンさん! どうしたんですか!?」
はつ江とシーマが慌てて声をかけると、ダンタリオンはプルプルと震えだした。
「すみませんー。さっきから、急に城内の湿度が上がったみたいでー、なんだか疲れやすいんですー」
ダンタリオンの言葉に、はつ江とシーマはハッとした表情を浮かべた。
「湿っぽくなったってことは、廊下が水の中になったのが原因かね?」
「ああ、多分そうだろうな……、すみませんダンタリオンさん。今すぐ元に戻すよう、兄貴に連絡しますので……」
「はいー、よろしくおねがいしますー……」
ダンタリオンが弱々しく答えると、シーマはコクリと頷いて、ポケットから通信機を取り出した。
かくして、魔王の悪ノリのおかげで微妙な緊急事態になりながらも、仔猫殿下とはつ江ばあさんの、のんびりな一日は続いていくのであった。
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