第119話 のんびりな一日・その四
窓から差し込む陽射しがユラユラと揺れる水中の廊下を、シーマ十四世殿下とはつ江ばあさんはフワリフワリと歩いていた。
「はつ江、このあたりに生えているのは、キョッコウサンゴだ」
シーマが耳をピンと立てながら得意げな表情で説明すると、はつ江は感心したようにコクコクと頷いた。
「ほうほう、七色に光っててキレイだねぇ」
「そうだろう! 昔は、宝飾品に加工されたりもしていたんだ! 今は、採集は禁止されてるんだけどね」
「こっちでも、珊瑚は勝手に採っちゃだめなんだぁね」
「ああ。先代魔王のときに、キレイだからって乱獲させて数が減っちゃったから、らしいよ」
「ほうほう、そうなのかい」
はつ江がシーマの説明に再びコクコクと頷いていると、二人の頭上に長い影が現れた。二人が見上げると、そこには、絹のように滑らかな長いヒレをもつ、細長い白い魚が泳いでいた。
「あれまぁよ! キレイなお魚だねぇ!」
はつ江が目を丸くして驚くと、シーマは得意げな表情でふふんと鼻を鳴らした。
「ああ、キレイだろ! あれはハゴロモタチウオっていうお魚なんだ!」
「ほうほう、そうなのかい! こっちには、キレイなお魚がいるんだねぇ」
「ああ、ただ、あのお魚も、先代魔王のときにキレイだからって乱獲させて、数が減っちゃったんだって」
シーマが片耳をパタパタと動かしながら残念そうにそう言うと、はつ江はまたコクコクと頷いた。
「ほうほう、先代さんっていうのは、随分と欲張りさんだったんだねぇ」
「ああ、そうみたいだな。圧政もしていたらしいし、あんまり良い魔王じゃなかったみたいだぞ」
「あれまぁよ、そうだったのかい! ヤギさんはあんなに優しいのに、お父さんはそうじゃなかったのかねぇ……」
はつ江がそう言うと、シーマは尻尾の先をクニャリと曲げて首を傾げた。
「え? お父さん? はつ江、何の話をしているんだ?」
シーマが問いかけると、はつ江もキョトンとした表情で首を傾げた。
「え? 先代さんっていうのは、ヤギさんのお父さんじゃないのかい?」
はつ江が問い返すと、シーマは片耳をパタパタと動かして、ああ、と呟いた。
「えーとな、はつ江、魔王は世襲制じゃないんだよ」
シーマが説明すると、はつ江は目を見開いた。
「あれまぁよ! そうなのかい!」
「そうなんだ。魔界を統べる資格を持つ十六人が持ち回りで就任する、っていうことになってるんだ」
シーマが説明すると、はつ江はコクコクと頷いた。
「ほうほう、そうだったのかい」
「ああ、それで魔王になる順番と任期は、ずーっと昔にじゃんけんみたいなので決めたらしいぞ」
「あれまぁよ! じゃんけんで王様が決まったのかい!」
はつ江が再び目を見開くと、シーマはヒゲと尻尾をダラリと垂らして脱力した。
「まあ、たしかに、軽い方法ではあるよな。でも、なんだかんだで、上手くいってたみたいだよ。ただ……」
シーマはそこで言葉を止めると、深いため息を吐いた。
「先代魔王が、自分の番になる直前に、色々とケチをつけてきたらしい」
「ケチをつけた?」
はつ江がキョトンとした表情で問い返すと、シーマはコクリと頷いた。
「ああ。先代の任期がまだ残ってるのに、無理矢理魔王の座を奪ったり、ずっと魔王の座に居座ろうとしたり……」
「ほうほう、それじゃあ、先々代さんやヤギさんは大変だったんだぁね」
「そうみたいだな。兄貴も、詳しくは教えてくれないけど、魔王になるときは大変だった、って言ってたから」
「へぇ……」
「歴史の教科書で読んだけど、大きな戦になったらしいぞ……、ああ、そうだ」
シーマは不意に、豪奢な扉の前で足を止めた。
「ちょうど、この部屋に歴代魔王の肖像画があるから、見ていくか?」
シーマが扉をポフポフと叩きながら問いかけると、はつ江はニッコリと笑って頷いた。
「是非見ていきたいだぁよ!」
「そうか! じゃあ、中に入ろう!」
そんなわけで、二人は扉を開いた。
部屋の中に入ると、奥の壁に大きな肖像画がずらりと並んでいた。その肖像画は、人のような姿をしているものもあれば、カエルに似たもの、ヒョウに似たもの、馬に似たものもあった。
「ほうほう、色んな人がいたんだぁね……ん? これは、女の人かい?」
はつ江はそう言いながら、一つの肖像画を指さした。そこには、宝石の髪飾りをつけきらびやかな服を着た、長い黒髪の美しい人物が描かれていた。
「えーと、これは……、迷宮王パイモン。だから、フルメイクをした灰門さんだな……」
シーマがヒゲと尻尾をダラリと垂らして脱力すると、はつ江は目を見開いて驚いた。
「あれまぁよ! 源さんは、女の人だったのかい!?」
「あーいや、多分、この衣装が女性物っぽいから、そう見えるだけだけだと思うよ」
「ほうほう、そうなのかい……ありゃ? 次の絵は破れちまってるし、次の次の絵は黒塗りになってるねぇ」
はつ江はそう言いながら、キョトンとした表情で首を傾げた。
「ああ、そうだな。先々代魔王、友愛王ベレトの肖像画は先代魔王が破いて……、先代魔王、虚栄王ベリアルの肖像画は、兄貴が塗り潰したんだって」
「へぇ……色々あったんだねぇ……」
はつ江はそう言いながら、コクコクと頷いた。そして、一番端にかけられた肖像画に目を移した。
その視線の先には、赤銅色の髪の、どこか気弱そうな表情をした少年の絵が飾られていた。少年の頭には、一対の堅牢な角が生えている。
「ということは、髪の毛は短いけど、これがヤギさんの絵なんだぁね」
はつ江がそう言うと、シーマはコクリと頷いた。
「ああ、そうだな。恐怖の王バラム、兄貴の肖像画だ」
「恐怖の王? あの優しいヤギさんがかい?」
はつ江が問いかけると、シーマは、うーん、と声を漏らしながら、尻尾の先をピコピコと動かした。
「たしかに、いまでこそ兄貴は人見知りでひきこもりだけど……、魔王になるときの経緯がかなり壮絶だったみたいで、そんな二つ名がついちゃったみたいだよ」
「へぇ、そうだったのかい」
「ああ。本人はその二つ名、あんまり好きじゃないみたいだけどな」
「ほうほう」
二人はそんな話をしながら、若かりし頃の魔王の肖像を眺めていた。
一方その頃、魔王の自室では……
「あと一個音符を取れれば、ここのミッションはコンプリート……、うわっ! 取り損ねた! 久々だからカーブが上手くいかないな……。よし、気を取り直してもう一回チャレンジを……うわぁー!!?」
……魔王がコントローラーを握りしめ、大型液晶画面を覗き込みながら、爆走する石像から飛び降りたポンチョを着たヒゲのおじさんが勢い余って毒沼に落ちる姿を見送っていた。
かくして、水中を散歩したり、百二十話ちょっと目にしてはじめて魔王の名前が明かされたり、魔王が久しぶりのゲームで手を滑らせたりしながら、仔猫殿下とはつ江ばあさんの、のんびりとした一日は進んでいくのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます