第55話 バタン

 魔界霊魂庁のビフロン長官と合流したシーマ十四世殿下一行は、林道を抜けて古い屋敷の前に辿り着いていた。

 屋敷は灰色の屋根と、白い石の壁で造られた洋館だった。シーマは屋敷の外観を見回すと、深いため息を吐いた。


「なんとも、不気味な見た目をした屋敷だな……」


 シーマの言葉通り、屋根の瓦は所々剥がれ、白い壁にはツタが這い、窓ガラスは中が見えないほど埃まみれになっている。いかにも、何かが出そう、といった外観だ。

 シーマがヒゲと尻尾をダラリと垂らしていると、ビフロンが苦笑を浮かべながら、左右にフワフワと揺れた。


「あはは、ご主人が幽霊になってしまってから、屋敷の手入れのために訪れた者も何人かいたのですが……全員、怒鳴りつけられて、追い返されてしまったんですよ」


 ビフロンが説明すると、はつ江は、ほうほう、と呟きながら、コクコクと頷いた。


「そんなら、お化けさんが落ち着いたら、お掃除もしていこうかね」


 はつ江がそう言うと、シーマは片耳をパタパタと動かしながら、眉間に浅くシワを寄せた。


「すんなりと、落ち着いてくれればいいんだけどな」


 シーマが弱音を吐くと、はつ江はカラカラと笑い出した。


「大丈夫だぁよ!シマちゃんなら、きっと説得できるさね!」


 はつ江はその言葉とともに、シーマの手を握る力を強めた。すると、シーマもフカフカの手で、はつ江の手をギュッと握り返した。


「そうだと、いいんだけど……」


 シーマが不安げに呟くと、ビフロンが困惑した表情を浮かべて、左右にフワフワと揺れた。


「申し訳ございません、殿下。本来ならば、私が諦めずに説得を続けるのが筋なのですが……」


 ビフロンが申し訳なさそうに呟くと、シーマはハッと目を見開いた。そして、ブンブンと素早く首を横に振った。


「そんなことないですよ、ビフロン長官!長官には、他にも沢山お仕事があるんですから!それに、今日はトビウオの夜に向けての会議もありますし」


「そうだぁね!お化けさんのことはシマちゃんと私に任せて、びふろんさんは安心して他のお仕事に行ってくるだぁよ!」


 シーマの言葉に、はつ江もカラカラと笑いながら続いた。すると、ビフロンは安心したように微笑んで、クルンと縦に一回転した。


「殿下、森山様、温かいお言葉、ありがとうございます。では、私はこれで失礼いたしますが、何かあったらすぐに駆けつけますので、ご連絡くださいね」


「ああ。ありがとうございます、ビフロン長官」


「ありがとうね!びふろんさん!」


 シーマとはつ江がペコリと頭を下げると、ビフロンは微笑みを浮かべて、いえいえ、と返した。そして、クルンと来た道に向き直ると、フワフワと浮かびながら去っていった。

 はつ江とともにビフロンの後ろ姿を見送っていたシーマだったが、その姿が見えなくなると、凜々しい表情を浮かべた。


「よ、よし!じゃあ、さっそく屋敷の中に入るぞ!」


「分かっただぁよ!」


 シーマの言葉に、はつ江はカラカラと笑いながら、元気よく返事をした。そして、二人は手を繋ぎ、屋敷の玄関扉に向かってトコトコと足を進めた。

 扉の前に辿り着くと、シーマは耳を伏せて尻尾の毛を逆立てながら、ドアノブに片手をかけた。


「じ、じゃあ、はつ江、今から扉を開けるからな」


 シーマが声を裏返しながらそう言うと、はつ江はニッコリと笑った。そして、安心させるように、シーマの頭をポフポフとなでた。


「そんなに怖がらなくても、大丈夫だぁよ、シマちゃん」


「べ、べ、べ、別に怖がってなんか……」



 シーマがひっくり返った声で強がりを言おうとした、まさにその時!



「あれー!?殿下とばあちゃんじゃん!」


「みー!」


 二人の背後から、どこかで聞いたことのある声が響いた。

 その途端……


「うわぁっ!?」


 シーマは尻尾の毛を逆立てながら、驚いてはつ江の腰あたりまで飛び上がり……


「あれまぁよ!?」


 跳び上がったシーマの姿を見て、はつ江は目を見開いて驚き……


「ちょっと!?殿下、大丈夫!?」


「みみー!?」


 声の主達は、シーマを心配して二人の元に駆け寄った。

 着地したシーマは、片手で胸をおさえながら声の方振り返った。すると、そこには……


「ごめん、驚かせちゃったみたいだね」


 ゼブラ柄のワンピースを着た、全身に白い羽毛の生えたヴェロキラプトル、バービーと……


「みみみー……」


 彼女の娘の、背中に翼のついた白いワンピースを着た三毛猫、ミミが申し訳なさそうな表情で立っていた。


「な、なんだ……バービーさんとミミじゃないか……」 


 シーマは呼吸を整えながら、安心したように微笑んで呟いた。すると、はつ江も二人に向かって、ニッコリと微笑んだ。


「ばーびーさん、ミミちゃんおはよう!」


「おはよう、ばあちゃん!」


「みみー!」


 二人もニッコリと笑って、はつ江に挨拶を返した。


「二人とも、おはよう。今日はどうしたんだ?」


 何とか呼吸を整えたシーマは、尻尾を毛羽立てながらも気取った表情で二人に尋ねた。


「今日はお店が定休日だから、本を借りに来たの。臨時修理師採用試験の一次試験は、筆記試験の他に論文の提出もあるから、その参考文献にしようと思って♪」


「みー!」


 バービーとミミは、楽しげにそう答えた。すると、シーマは気まずそうな表情でフカフカの頬を掻き、尻尾の先をピコピコと動かした。


「あー……それだと、王立大図書館とか、他の図書館に行った方がいいかもしれないな」


 シーマの言葉に、バービーとミミはキョトンとした表情で首を傾げた。


「え、どうして?」


「みー?」


 二人が問いかけると、シーマは気まずそうな表情のまま、片耳をパタパタと動かした。


「えーと、実は、ここの主が少し前に亡くなったそうなんだ……」


 シーマの答えに、バービーとミミは目を見開いた。


「うそ!?おっちゃん、亡くなってたの!?」


「みみー!?」


 二人が驚いて声を上げると、シーマとはつ江が同時にコクリと頷いた。


「しかも、何か気に障ることがあったらしくて、幽霊になってるらしいんだよ」


「だから、シマちゃんと二人で、何で怒ってんのか聞いてくることになったんだぁよ」


 二人が事情を説明すると、ミミは耳をペタンと伏せてバービーの脚にしがみついた。


「みー……」


 バービーはミミが怖がっている姿を見ると、ポフポフと頭をなでた。


「ミミちゃん、そんなに怖がらなくても大丈夫だよ。おっちゃん、見た目はいかついけど、なんだかんだで優しいから」


 バービーがミミを宥めていると、シーマとはつ江はキョトンとした表情を浮かべた。


「バービーさん、ひょっとしてここの主と、親交があったのか?」


「お化けさんが生きてた頃、お友達だったのかい?」


 シーマとはつ江は、同時に首を傾げた。すると、バービーは得意げな表情を浮かべて、コクリと頷いた。


「そうよ!学校に通ってた頃、よくここで本を借りてたから、仲良くなったの。本の修理の手伝いだって、したことあるんだから!」


 バービーが答えると、はつ江は、ほうほう、と声を漏らしながら、コクコクと頷いた。


「そうだったのかい」


「うん!あ、よかったら、一緒に説得に行こうか?昨日は、世話になっちゃったし」


 バービーの提案に、はつ江はニッコリと嬉しそうに笑った。


「本当かい!?そんなら、心強いねぇ。ね、シマちゃん」


 はつ江に声をかけられたシーマは、うーん、と唸りながら片耳をパタパタと動かした。


「たしかに、そうしてもらえるとありがたいけど……ミミが怖がってるからな……」


 シーマがそう言うと、ミミは耳を伏せながらも、鼻の下をプクーと膨らませた。


「みみー!!」

 

 そして、短い尻尾をピコッと動かすと、はつ江の手をしっかりと握ったシーマの手を指さした。


「みみ!みみみみー!」


 ミミの言葉は、相変わらず、みー、という声だけだった。しかし、指をさされた方向から、何を指摘しているかがシーマには伝わったようだ。


「な、べ、別にボクだって、怖がってる訳じゃないぞ!」


 シーマが尻尾をパシパシと縦に振りながら抗議すると、ミミはジトッとした視線を向けた。


「みみー?」


「ほ、本当だぞ!」


 ミミに疑いをかけられたシーマは、アタフタしながらも怖がっていることを否定した。二人のやり取りを見て、はつ江とバービーは、ニッコリと微笑んだ。


「じゃあ、私も一緒に行くね!大丈夫!何かあっても、キックの一発くらい入れれば、おっちゃんも大人しくなるから!」


「そうかいそうかい!それは、頼もしいだぁね!」


 はつ江とバービーがカラカラと笑っていると、シーマはヒゲと尻尾をダラリと垂らした。


「バービーさん、今回は説得するのが目的なんだから、あんまり手荒なマネはしないでくれよ……」


 シーマが力なく声をかけると、バービーはニッコリと笑ってウインクをした。


「あはは、ジョークジョーク!でも、いざとなったらちゃんと助けるから、安心してね!」


 バービーの言葉に、シーマはヒゲと尻尾をダラリと垂らしたまま、ありがとう、と呟いた。二人のやり取りを見たはつ江は、満足げな表情を浮かべながらコクコクと頷いた。


「じゃあ、ばーびーさんも一緒に来てくれることだし、そろそろお屋敷に入るとするかね」


 はつ江が声をかけると、一同はコクリと頷いた。


「そ、そうだな!」


「オッケー!任せなさい!」


「み……みー!」


 三人が返事をすると、はつ江もニッコリと笑ってコクリと頷いた。

 それから四人は、改めて屋敷の玄関扉に向き直った。


「おっちゃーん、お邪魔しまーす」


 バービーは呑気な口調でそう言いながら、玄関扉を押し開けた。

 扉の中に入ると、玄関ホールには埃とカビの臭いがまじった空気が充満していた。


「随分と空気が悪いな……」


 シーマが鼻をピクピクと動かしながら呟くと、はつ江がコクリと頷いた。


「そうだねぇ、ちょっと換気した方がよさそうだぁね」


 はつ江の言葉を受けて、バービーは扉を更に開き、ストッパーを下ろして固定した。


「よっと。これで、換気もできるでしょ」


 ドアが開いたまま固定されたのを見て、シーマはホッとため息を吐いた。


「これで、閉じ込められる心配もなさそうだな」


「みー」


 シーマに続いて、ミミも安心したように声を漏らした。はつ江はその様子を見るとニコリと微笑み、シーマとミミの頭をポフポフとなでた。


「二人とも、よかっただぁね」


 はつ江に頭をなでられた二人は、目を細めてゴロゴロと喉を鳴らした。バービーも、シーマとミミが安心したのを見ると、ニッコリと笑った。


「よーし!じゃあ、あとはおっちゃんを探して、ガツンと言ってやるだけだけど……」


 バービーはそこで言葉を止めると、腰に巻いた革製のポーチの蓋を開けて、中身をゴソゴソと探った。そして、白いマスクを取り出し、三人の前に差し出した。


「はい、これ。一応、換気はしたけど、空気が悪いのは確かだから」


「ああ、ありがとう、バービーさん」


 シーマはお礼の言葉を口にしながら、バービーからマスクを受け取った。


 まさにその時!


 突然ドアストッパーが跳ね上がり、扉がギーギーと音を立てながら動き出した。

 音に気づいた一同が一斉に振り向くと、扉はバタンと大きな音を立てて閉じてしまった。


「あれまぁよ!?」


「うわぁ!?み、み、皆大っ丈夫か!?ともかく、お、おち、落ち着くんだ!」


「殿下!取りあえず、自分が一番慌ててるから、マスクつけてちょっと深呼吸しなよ!」


「み、みみー!みー!」


 一同が慌てふためく中、玄関ホールは暗闇に包まれた。

 かくして、お約束な展開が発生する中、シーマ十四世殿下一行によるお化け退治大作戦は、本格的に幕を開けるのだった。

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