第54話 クルン
赤い空の下、魔王城の玄関先で、シーマ十四世殿下は「よい子のニコニコお手伝いボード(仮称)」を覗き込んでいた。
「えーと、依頼書に書いてあった廃墟の場所は……あ、ここから割と近いな」
シーマがそう呟くと、はつ江が、ほうほう、と声を漏らしながらコクコクと頷いた。
「そうかい、そうかい。そんなら、お散歩がてら歩いて行くかい?」
はつ江の言葉に、シーマは尻尾の先をピコピコと動かして、そうだな、と呟いた。
「さすがに山を降りるところまでは、魔法で行った方がいいと思うけど……依頼の時間には間に合うだろうし、そこから先は歩いて行こうか。でも、膝が痛んだりしないか?」
シーマは不安げな表情を浮かべて、「よい子のニコニコお手伝いボード(仮称)」を手渡しながら、はつ江に問いかけた。はつ江は「よい子のニコニコお手伝いボード(仮称)」を受け取ってポシェットにしまうと、カラカラと笑いながら自分の膝をポンポンと軽く叩いた。
「わはははは!徒野さんが出掛ける前に、よく効く湿布をくれたから大丈夫だぁよ!」
はつ江が答えると、シーマは安心した表情を浮かべて、そうか、と呟いた。二人のやり取りを見ていた魔王は、うむ、と呟いてコクリと頷いた。
「ときには適度に運動することも、健康で長生きするための秘訣だからな」
魔王がそう言うと、シーマは片耳をパタパタ動かしながらジトッとした視線を向けた。
「それが分かってるなら、兄貴もたまには外で体を動かせよ」
「おっと!もうこんな時間ではないか!では、私は執務に戻らなければ!二人とも、気を付けて行ってくるんだぞ!」
魔王はあからさまに話をはぐらかすと、赤い霧となってどこかに消えていってしまった。すると、シーマはヒゲと尻尾をダラリと垂らして、深いため息を吐いた。
「まったく、兄貴もいい歳なんだから、もうちょっと健康に気を遣ってくれればいいのに……」
シーマが不服そうに呟くと、はつ江はニッコリと微笑んだ。そして、シーマの耳の後ろをなでながら、優しく声をかけた。
「シマちゃんは、お兄ちゃん思いだねぇ」
はつ江になでられたシーマは、目を細めてゴロゴロと喉を鳴らした。しかし、すぐに目を見開くと、腕を組んでそっぽを向いた。
「べ、別にリッチーが留守の間に体を壊されたら、看病が面倒だなって思っただけだ!」
シーマが耳と尻尾をピンと立てながらツンデレな発言をすると、はつ江はカラカラと笑い出した。
「わはははは!それは違いないだぁね!そんなら、私も二人が元気でいられるように、今日も美味しいお夕飯を作らないとね!」
「そうか!なら、今日はお魚にしてくれ!」
シーマが目を輝かせながらそう言うと、はつ江はニッコリと笑った。
「任せるだぁよ!じゃあ、お夕飯を美味しく食べるために、今日のお仕事も頑張らないとね!」
はつ江の言葉に、シーマはニコリと笑顔を浮かべて頷いた。
「ああ、そうだな。じゃあ、行くとしようか」
「分かっただぁよ!」
はつ江の返事にシーマは再びコクリと頷いて、フカフカの手を前に突き出しながらムニャムニャと呪文を唱えた。そして、二人はシーマの魔法のドアを通って、岩山の麓まで移動した。
岩山の麓まで辿り着いた二人は、手を繋ぎながらテクテクと歩き出した。平然とした表情で道を進んでいたシーマだったが、目的地が近づくにつれて尻尾の毛を徐々に逆立てている。はつ江はシーマの尻尾を見ると、フカフカの手を握る力を強めニコリと笑った。
「ところで、シマちゃんや」
はつ江が声をかけると、シーマはヒゲをピクリと動かして尻尾の先をクニャリと曲げた。
「ん?どうしたんだ?はつ江」
「徒野さんは骸骨なのに動いているけど、お化けなのかい?」
はつ江の質問に、シーマは片耳をパタパタと動かして、うーん、と唸った。
「リッチーは本来、空に昇るはずの魂を魔術で骸骨にくっつけている状態だから……たしかに、幽霊に近いといえば近い……のかな?」
シーマが説明すると、はつ江は、ほうほう、と声を漏らしながらコクコクと頷いた。
「魔法の力ってのは、凄いことができるんだねぇ」
はつ江が感心したように呟くと、シーマは片耳をパタパタと動かして、そうだな、と呟いた。
「でも、魂を地上につなぎ止める魔術は相当難しいから、兄貴とリッチーの他には数人くらいしか使えないし、基本的には禁止されてるんだ」
「そうなのかい。じゃあ、徒野さんは何か特別な事情があったんだね」
「そうみたいだな。ボクもあまり詳しい話は教えてもらってないけど、兄貴が魔王の座に就く前に色々あったらしいぞ。でも、なんで急にそんなこと聞くんだ?」
シーマが尻尾の先をクニャリと曲げて尋ねると、はつ江はニッコリと笑った。
「徒野さんがお化けなら、ずっと仲良くしてたシマちゃんが、今日のお仕事のお化け相手に、緊張することもないと思ってよ」
はつ江がそう言うと、シーマは尻尾の毛をほんの少し落ち着かせて、片耳をパタパタと動かした。
「……それもそうだな。ただ、リッチーは性格が楽天的すぎる特殊な例だから、あんまり参考にならない気もするけど」
シーマがそう言うと、はつ江はカラカラと笑い出した。
「なぁに!今日のお化けも、徒野さんくらい明るいかもしれないだぁよ!」
「あそこまで脳天気な幽霊が多数いるってのも、それはそれで考え物だな……」
はつ江の言葉に、シーマはヒゲと尻尾をダラリと垂らして脱力した。
そうこうしているうちに、二人は目的地のそばまで辿り着いた。
「えーと、この辺に依頼にあった屋敷に続く脇道があるはずなんだけど……ん?」
シーマはあたりを見渡すと、不意に尻尾の先をクニャリと曲げて一点を見つめた。はつ江もシーマの見つめる先に顔を向けると、目を見開いて驚いた。
「あれまぁよ!?」
二人の視線の先には、林道の位置口に浮かぶ、白髪頭をした男性の巨大な生首の姿があった。生首は二人に気づくと、ニコリと笑みを浮かべてフワフワと浮かびながら近づいてきた。生首は二人の目の前で止まると、クルンと縦に一回転した。
「殿下、森山様、おはようございます」
生首が笑顔で挨拶をすると、シーマも笑みを浮かべてペコリと頭を下げた。
「おはようございます。ビフロン長官」
さすがのはつ江も暫くは驚いた表情を浮かべていたが、生首に敵意がないことが分かると、ニッコリと笑った。
「おはよう!生首さん!シマちゃんや、今日のお仕事のお化けってのは、この生首さんのことかい?」
はつ江に問いかけられたシーマは、尻尾を縦に勢いよく振った。
「こ、こら!はつ江、お化けとは失礼じゃないか!この方が、今日の依頼人だぞ!」
「あれまぁよ!?そうだったのかい!」
シーマの説明が憤慨しながら説明すると、はつ江は目を見開いて驚いた。そして、生首に向かってペコリと頭を下げた。
「生首さんや、驚いたりしてごめんなさい」
はつ江が謝ると、生首はフワフワと浮かびながら苦笑を浮かべた。
「あはは、お気になさらないでください。この通り、魔界の中でもかなり特殊な見た目をしていますから、住人達にもよく驚かれるんですよ。殿下が幼い頃にお会いしたときは、泣き出されてしまいましたし」
生首が苦笑しながらそう言うと、シーマは顔を洗う仕草をしてから、コホンと咳払いをした。
「あー、そういうわけで。この方が今回の依頼人、魔界霊魂庁のビフロン長官だ」
幼い頃の話をはぐらかすようにシーマが説明すると、ビフロンはクルンと縦に一回転した。
「亡くなった方々の魂が、安心して空に昇るためのお手伝いを生業としております。以後、お見知りおきを」
ビフロンが自己紹介をすると、はつ江はニッコリと笑顔を浮かべた。
「びふろんさん、よろしくだぁよ!ところで、びふろんさんや、今日のお仕事は何をすればいいんだい?」
「幽霊ってのは、どんな奴なんですか?」
はつ江とシーマが尋ねると、ビフロンはユラユラと左右にゆれた。
「はい、あちらの林道を抜けた先に、私立図書館がございます。そちらの主が、先日亡くなったのですが……きちんと葬儀をしたにもかかわらず、空に昇りたくない、と言って気を荒立てておりまして……」
ビフロンは事情を説明すると、落胆した表情でため息を吐いた。すると、はつ江は、ほうほう、と言いながらコクコクと頷いた。
「そんなら、その貸本屋さんのお化けとは、お話ができるんだね?」
はつ江が問いかけると、ビフロンはクルンと縦に一回転した。
「はい。もともと聡明な方だったので、なんとか対話で解決したかったのです。しかし、今回ばかりは、とにかく嫌だ、の一点張りで……」
ビフロンはそう言うと、再び深いため息を吐いた。
「私の魔術で、強制的に空に昇らせることは可能なのですが、ご本人やご遺族の気持ちを考えると心苦しく……魔王陛下の弟君にして、魔王城のキューティーマジカル仔猫ちゃんのシーマ殿下ならば、なんとか説得できるのではないかと思い、依頼をした次第です」
ビフロンが説明すると、シーマはフカフカの頬を掻きながら、うーん、と唸った。
「ともかく、怒っている理由を聞いてみるしかないようですが、ビフロン長官の説得にも応じないのに、ボクに話をしてくれるでしょうか?」
シーマが不安げな表情で尋ねると、ビフロンは自信に満ちあふれた表情を浮かべた。
「心配はご無用です!シーマ殿下のように、可愛い仔猫ちゃんが説得してくだされば、大抵の者は心を許すはずですから!」
「そうだねぇ。シマちゃんは可愛いからねぇ」
ビフロンの説明に、はつ江もシミジミとした表情を浮かべて同意した。すると、シーマは耳を後ろに反らして、尻尾をパシパシと縦に振った。
「別に可愛くはない!」
シーマは不服そうな表情で抗議をすると、コホンと咳払いをした。
「ともかく、尽力はしてみます」
「私も頑張るだぁよ!」
シーマの言葉に、はつ江もニッコリと笑って元気よく同意した。すると、ビフロンはニコリと微笑んで、クルンと縦に一回転した。
「お二人とも、まことにありがとうございます!では、現場までご案内いたします」
ビフロンはそう言うと、クルリと振り返り、林道の入り口までフワフワと飛んでいった。シーマとはつ江は、手を繋ぎながら、ビフロンの後を追っていく。
こうして、一行は問題の私立図書館に向かっていくのだった。
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