第42話 キラリ

 深紅に染まった空。


 絶えず叫喚に似た鳥達の鳴き声が響く黒々とした森。


 奇っ怪な魚がびちゃりと音を立てながら飛び跳ねる血の大河。


 ここは魔界。


 魔のモノ達が住まう禁断の土地。


 その一角に聳える岩山に築かれた白亜の王宮の中……


「ふふふーんふんふーん♪」


 クラシカルなメイド服を身に纏った老女が、某ヒーローの初代主題歌を鼻歌で奏でながら、アイランド型のシステムキッチンで朝食用に炒り卵を作っていた。


 パーマのかかった短い白髪頭。


 黒目がちの円らな目。

 

 目元と口元に深く刻まれた笑い皺。


 節と血管が目立つ細く白い腕。

 

 彼女の名は、森山はつ江。

 四日前にこの魔界へ召喚された御年八十八のハツラツばあさんだ。


「痛たたた……はつ江も、魔界の生活に慣れてきたみたいだな……痛たたた」

 

 ダイニングテーブルでは、漆黒の服を身に纏った青年が、腕をさすりながら感心したように呟いた。


 赤銅の長髪と側頭部から伸びた堅牢な角。


 髪と同じ色の瞳を持つ憂いを帯びた目。


 陶器のようにきめの整った白い肌。


 全身に残る筋肉痛。


 彼は魔王。

 この魔のモノ達が住まう地を統べる王だ。


「まあ、初日から別に戸惑ったりはしてなかったけどな。それより兄貴、まだ筋肉痛なのか?」


 魔王の隣では、襟にフリルのついたシャツに蝶ネクタイを締め、サスペンダーつきのバミューダパンツを履いた仔猫が首を傾げた。


 艶はあるがフカフカとした手触りのサバトラ模様をした毛並み。


 内側にフワフワとした白い毛が生えたペラペラの大きな耳。


 空色の瞳を持つアーモンド型の大きな目。


 ピンク色をした小さな鼻。


 透明な細いヒゲが生えた思わず触りたくなる口元。


 その他の筆舌に尽くしがたい魅力。


 彼の名は、シーマ十四世殿下。

 魔王の弟にして、補佐役を務めるキューティーマジカル仔猫ちゃんだ。


 シーマに声をかけられた魔王は、口元に手を当てると、ふぅむ、と呟いた。


「まだ少し痛むが……昨日、ボウラック博士から連絡があった『超・魔導機☆』の件で、関係者各位と遠隔会議しないといけないからな。本当は恥ずかしいから、あんまり会議とかしたくないけど……」


 魔王がため息まじりに答えると、シーマは尻尾をゆらゆらと揺らしながら、そうか、と呟いた。それから、むにゃむにゃと呪文を唱えると、手の中に「よい子のニコニコお手伝いボード(仮称)」を呼び寄せた。そして、プニプニの肉球がついた指先で画面を操作し、ボードを魔王の方に向けた。


「兄貴、これ昨日の夜に受注手続きをした依頼なんだけど……何か関係あったりするかな?」


 シーマが尋ねると、魔王は目をこらして「よい子のニコニコお手伝いボード(仮称)」を覗き込んだ。


「ふぅむ……確かに、こっちはこっちで対処が必要だが、『超・魔導機☆』とは無関係だろうな」


 魔王の答えに、シーマは黒目を大きくして驚いた。


「兄貴、なんで分かるんだ?」


「だって、この依頼内容は……」


 シーマの質問に魔王が答えようとすると、ガラガラという音が近づいて来た。二人が音の方に顔を向けると、朝食を載せたワゴンを押して、はつ江がニコニコと笑っている。


「これこれ、ヤギさんもシマちゃんも、ご飯のときはピコピコはやめておくれ」


 はつ江が諭すように声をかけると、シーマは片耳と尻尾の先をパタパタと動かしながら、むー、と呟いた。


「悪かったよはつ江。でも、今日の仕事はちょっと緊急事態かもしれないから、兄貴と確認してたんだ」


 不服そうにしながらもシーマが素直に謝ると、はつ江は、どれどれ、と呟きながら、「よい子のニコニコお手伝いボード(仮称)」を覗き込んだ。


「えーと……『警備員の募集!博物館に、怪盗からの予告状が届いたので、助けて☆』……あれまぁよ!泥棒さんが出るのかい!」


 はつ江が目を見開いて驚くと、魔王が、うむ、と呟いて頷いた。


「予告状の送り主は、俊敏な略奪者、と名乗っている怪盗でな、魔界中の博物館や美術館で展示品を盗んで回っているんだよ。まあ、別に怪我人が出るわけでもないし、しばらくすると展示品がこっそり帰って来るしで、今まではそこまで大事にはなっていなかったんだ」


 魔王の説明にはつ江が、ほうほう、と言いながらコクコク頷くと、シーマが片耳をパタパタと動かして尻尾の先をクニャリと曲げた。


「ただ、今回予告状が出されたのが、魔界で一番大きな王立博物館だから、流石に簡単に盗まれちゃったらまずい、っていうことで館長から依頼があったんだ」


 シーマはそう言い終えると、むにゃむにゃと呪文を唱えて、手元から「よい子のニコニコお手伝いボード」を消した。


「ほうほう。そうなのかい」


 シーマの説明をうけて、はつ江はコクコクと頷きながら、ワゴンから朝食を取りテーブルに並べだした。テーブルに朝食を並べ終えると、はつ江はハッとした表情を浮かべた。


「博物館ってことは、今日はゴロちゃんに会えるかもしれねぇんだね?」


「そうだな……非番じゃなければ、五郎左衛門も一緒だろうな」


 はつ江の問いにシーマが答えると、魔王が、うむ、と言いながら頷いた。


「柴崎君が一緒なら、怪盗相手だとしても安心できるな」


 魔王の言葉に、はつ江もニッコリと笑いながら頷き、席に着いた。


「そうだぁね!ゴロちゃんが一緒なら百人力だぁよ!じゃあ、しっかり朝ご飯を食べて力をつけねぇとね!」


 はつ江の言葉にシーマと魔王はコクリと頷いて、胸の辺りで手を合わせた。


「いただきます」

「いただきます……」


 二人が声を合わせてそう言うと、はつ江はニッコリと笑った。


「どうぞ、召し上がれ!」


 そうして、三人はしばらくの間黙々と食事をしていた。しかし、不意にはつ江がキョトンとした表情で、めざしを掴もうとしていた箸を止めた。


「どうしたんだ?はつ江」


 シーマも炒り卵を炒り卵をご飯に載せる手を止めて、キョトンとした表情で首を傾げた。


「さっきの泥棒さんっていうのは、昨日ぼうらく先生が言ってた、あの、なんとかなんとかっていうのを盗んだのと同じ人なのかね?」


「はつ江……何のことを言っているかは分かるけど、もうちょっとヒントがあった方がいいと思うぞ……」


 はつ江の質問にシーマは、ヒゲと尻尾をダラリと垂らして脱力した。はつ江は、悪かっただぁよ、と言いながらカラカラと笑い、めざしを頭から食べ始めた。すると、魔王が目をきつく閉じて紅白なますを飲み込んでから、懐紙を取り出して口を拭った。


「……いや、さっきシーマにも聞かれたが、それは違うだろうな」


 はつ江がめざしを頬張りながらうんうんと頷くと、炒り卵をかけたご飯を飲み込んだシーマが首を傾げて、尻尾の先をクニャリと曲げた。


「そうだ。さっきも聞こうとしたけど、なんで違うって思うんだ?」


「ああ。あの怪盗は、主に装飾品とか美術品とかキラキラした物を狙っているからな。『超・魔導機☆』を狙うとは考えられない、と思ったんだ」


 魔王はそう言うと、麩の味噌汁の入った椀を手に取り、箸で器用に具を支えながら静かに啜った。


「ほうほう。じゃあ、その超なんとかっていうのは、どんな物なんだい?」


「あ、ボクもそれは、気になってた。あれは一体、何なんだ?」


 シーマとはつ江が炒り卵をご飯にかけながら尋ねると、魔王は椀から口を離し、そうだな、と呟いた。

  

「もの凄く凄いものだ」


 魔王が凜々しい表情で答えると、シーマが耳を後ろに反らして尻尾を勢いよく縦に振った。


「だから、それがよく分からないって言ってるんじゃないか!何なんだよ、もの凄く凄いものって!?」


 シーマが尻尾をパシパシと縦に振りながら憤慨すると、魔王はションボリとした表情を浮かべた。


「そんなに怒るなよ……まあ、なんとも説明が難しいんだが、少なくとも危険な物ではないな」


 魔王がそう言って小松菜のごま和えを箸でつまむと、シーマが炒り卵載せご飯を頬張りながら、ふーん、と呟いた。


「そうか。ボクはてっきり、古代の兵器か何かだと思ってたよ」


「物騒なもんじゃなくて、よかっただぁよ!」


 シーマの言葉に続いて、はつ江がカラカラと笑いながらそう言った。すると、魔王は、そうだな、と呟いて、コクリと頷いた。


「まあ、魔界には本気を出せば、街一個くらい軽く吹き飛ばせるような奴が沢山居るからな。兵器の類いには、皆あまり興味がわかなかったんだよ……」


 魔王はそう言うと、めざしの頭を箸で器用に外した。しかし、不意に何かを思い出したような表情を浮かべて、箸を止めた。


「兄貴?どうしたんだ?」


「めざしが生焼けになっちまってたかい?」


 シーマとはつ江が心配そうに声をかけると、魔王はふるふると首を横に振った。そして、赤銅色の瞳をキラリと輝かせると、口角を吊り上げて不敵な笑みを浮かべた。


「いいか、シーマ、はつ江……魔界には、強大な魔力を持つ者がごまんと居るんだ」


 そして、魔王はいつもよりも低い声で、まるで脅すようにシーマとはつ江に語りかけた。いつになく魔王らしい魔王の様子に、二人は目を丸くして息を飲んだ。


「つまりだな……本気を出しさえすれば……」


 魔王は静かにそう言うと、突然カッと目を見開いた。




なんてなくてもだったんだ!」




 そして、胸元で箸を握りしめると、高らかにそう叫んだ。


「……」

「……」

「……」


 三人の間には、気まずい沈黙が訪れる。


「……あ、あのー……二人とも?」


 沈黙に耐えかねて、魔王はオドオドとしながらシーマとはつ江に声をかけた。すると、シーマが耳を反らしながら、プルプルと肩を震わせた。


「……朝から、下らないこと言うなよ!この、バカ兄貴!ちょっと怖かっただろ!」


 そして、シーマは若干涙目になりながら、渾身の力で尻尾をバンと縦に大きく振った。


「わはははは!ヤギさんはお茶目さんだぁね!でも、シマちゃんを怖がらせちゃだめだぁよ?」


 シーマに続いてはつ江も、カラカラと笑いながらも魔王を諭した。すると、魔王はシュンとした表情を浮かべて、肩を落とした。


「そうだな……シーマ、はつ江、すまなかった……」


 魔王が素直に謝ると、シーマは、ふん、と鼻を鳴らしながら、腕を組んで尻尾をパシパシと縦に振った。


「そんなことすると、もう口聞いてやらないんだからな!」


「そ!そんな!?」


 シーマの言葉に、魔王は驚愕の表情を浮かべて身を反らした。


「まあまあシマちゃんや、ヤギさんは私らを楽しませようとしてたんだから、そんなに怒らないでおあげ?」


 はつ江がカラカラと笑いながらフォローを入れると、シーマはぷいっと顔を背けた。


「ふん!今回ははつ江に免じて許してやる!でも、また今みたいに脅かしたら許さないからな!」


「そうだな……肝に銘じておこう……」


 はつ江はシーマと魔王のやり取りをみると、ニッコリと笑った。

 かくして、魔王が盛大に叱られながらも、仔猫殿下とはつ江ばあさんの博物館防衛大作戦が幕を開けるのだった

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