第41話 ドーン

 謎の縦穴にはまってしまっていたポバールの救出に、シーマ十四世殿下一行は頭を抱えていた。しかし、ハーゲンティ……もとい、バッタ仮面ウイングの登場により、事態は大きく動いていた。


「では、殿下。魔術で、ボウラック博士を凍らせていただけますか?」


 バッタ仮面ウイングがそう言うと、シーマは目を見開き黒目を大きくさせて驚いた。


「え?凍らせるんですか?地面を隆起させて押し出す方が早いんじゃ……」


 シーマが戸惑っていると、バッタ仮面ウイングは、うふふ、と笑い声を漏らした。


「ボウラック博士のお話だと、この穴は盗掘でできた可能性が高いのですよね?ならば、出来る限り現状を維持しておいた方がよろしいでしょ?」


 バッタ仮面ウイングの問いかけに、シーマは、あー、と声を漏らしながら、コクコクと頷いた。しかし、今度ははつ江が不安げな表情で、首を傾げながら挙手をした。


「でも、バッタ仮面ういんぐさんや、それだと、ぼうらく先生はえらくしんどいんじゃないかね?」


 心配そうなはつ江の言葉を受けて、ポバールがプルンと震えた。


「森山さん、大丈夫ですよ。先ほどのように体が薄まっているときは多少危険ですが、ここまで回復しているのなら、多少凍結しても、命には関わりませんから」


 ポバールが答えると、はつ江は安心したようにニッコリと笑った。


「そんなら、よかっただぁよ!ぼうらく先生は強いんだねぇ!」


「いえいえ、そんな滅相もありません!ご心配いただき、ありがとうございます」


 カラカラと笑うはつ江に対して、ポバールはクニャリと体を曲げて頭を下げる仕草をした。しかし、今度はチョロが眉間にしわを寄せて、首を傾げながら挙手をする。


「しかし、バッタ仮面ウイングの姐さん、ボウラック先生を凍らせても、こっから引っこ抜くにゃどうすりゃ良いんでございやすか?」


「樫村さんにロープを借りてきて、みんなでひっぱるの?」


 チョロに続いて、モロコシも首を傾げながら尋ねた。すると、バッタ仮面ウイングは口元に手を当てて、うふふ、と笑い声を漏らした。


「その必要はありませんわ。ね、蘭子?」


 不意に声を掛けられた蘭子は、ビクリと身を震わせた。


「えーと、局長……?何故、私に話を振るのですか?」


 困惑した表情で首を傾げる蘭子に対して、バッタ仮面ウイング口元に人差し指を当てて、うふふ、と笑った。


「私は、魔界水道局局長ハーゲンティではなくて、バッタ仮面ウイングですわよ」


「え、あ、はい……すみ……ませ……ん?」


 ハーゲンティ……もとい、バッタ仮面ウイングの言葉に、蘭子は混乱して俯いてしまった。しかし、バッタ仮面ウイングは気にとめることなく、シーマに顔を向けて首を傾げた。


「さ、殿下。あとのことは蘭子に任せて、魔術をお願いいたしますわ」


「う、うん!分かったよ、バッタ仮面ウイングさん!」


 シーマは白々しい口調でそう答えると、ポバールに向けて腕を突き出し、むにゃむにゃと呪文を唱え出した。すると、ポバールの体はみるみるうちに凍り付き、鉛色の硬い塊ができあがった。


「ぼうらく先生や、大丈夫かい?」


「はい。ちょっと寒いですが、問題ありませんよ」


 はつ江が声を掛けると、ポバールはカタカタと震えながら返事をした。バッタ仮面ウイングはその様子を見て、うふふ、と笑うと、蘭子に顔を向けて首を傾げた。


「さ、蘭子。あとは、お願いね」


「え!?きょくち……ではなく、バッタ仮面ウイング様!急にそんな事をおっしゃいましても!」


 蘭子がアタフタしながら叫ぶようにそう言うと、チョロが不安げな表情をバッタ仮面ウイングに向けた。


「バッタ仮面ウイングの姐さん、流石に緑川のお嬢ひとりにゃ荷が勝ちすぎるんじゃございやせんか?」


「樫村さんも呼んだ方がいいんじゃないかな?」


「ボクも、その方が良いと思います」


 チョロに続いて、モロコシとシーマも蘭子をフォローすると、バッタ仮面ウイングは、うふふ、と笑いながら首を傾げた。


「あら?心配には及びませんわ。だって、彼女は河童族ですもの。ね、森山様」


 そう言ってバッタ仮面ウイングがラバーマスクの下でウインクをすると、はつ江はキョトンとした表情を浮かべた。しかし、すぐにバッタ仮面ウイングが言わんとしていることが分かったらしく、はつ江はニッコリと笑いながら頷いた。


「そうだぁね!バッタ仮面ういんぐさんの言うとおりだぁよ!」


 はつ江がバッタ仮面ウイングに同意すると、蘭子は目を丸くしながらアタフタと手を動かした。


「も、森山様まで!?一体何をおっしゃ……」

「構えて!見合って!」


 蘭子の言葉は、はつ江の大きな声にかき消されてしまった。


「は、はつ江!?急に、どうしたんだよ!?」


「大丈夫ですわよ、殿下。蘭子をご覧ください」


 はつ江の声に驚いたシーマが、尻尾の毛を逆立てて問いかけたが、バッタ仮面ウイングはそっと蘭子の方を指さした。


「緑川さんが一体どうしたと言うので……」


 そう言いながら蘭子に目を向けたシーマだったが、思わず言葉を止めてしまった。


 シーマの目には、しゃがみ込み鋭い目つきでポバールを睨みつける蘭子の姿が映った。


「み、緑川のお嬢?」


「蘭子さん、どうしたの?」


 蘭子の豹変ぶりに、チョロとモロコシがおろおろしながら声を掛けた。それでも、蘭子は鋭い目つきでポバールを睨みつけだままだった。どうやら、二人の声が、耳に届いていない様子だ。

 一同がおろおろとする中、はつ江は動じることなく、蘭子とポバールに掌を見せるような形で右手を突き出した。


「時間です!見合って……」


 はつ江はそう言うと、息を大きく吸い込み……



「はっけよい!のこった!」


 

 声を張り上げて、かけ声を叫んだ。

 かけ声が上がると同時に、蘭子は無言のまま、低い姿勢でポバールにつかみかかった。


「え!?あ、あの、緑川さん!?」


 カタカタと慌てふためくポバールをよそに、蘭子はポバールを両手でつかんだまま腰を落とした。

 そして……


「ふんっ!」


 膝を伸ばすと同時に背中を反らせ、ポバールを背後に放り投げた。


「うわぁぁぁぁぁ!?」


 一気に引き抜かれたポバールはそのまま蘭子の後方へ吹き飛び、ドーンと大きな音を立てて森の中に落下した。

 


 決まり手は、居反り、であった。


 シーマ、モロコシ、チョロが呆然とする中、バッタ仮面ウイングはパチパチと拍手をしながら、蘭子に近づいた。


「蘭子、よくやったわね」


「蘭子ちゃん、格好良かっただぁよ!」


 続いてはつ江もニコニコとしながら拍手を送ると、蘭子はハッとした表情を浮かべた。そして、辺りを見渡して、ポバールを投げ飛ばしてしまったことに気づくと、顔を赤らめながら俯いた。


「わ……私としたことが……なんて、乱暴な真似を……」


「い……いえ……おかげで……助かりましたか……ら……」


 蘭子が手で顔を覆って嘆いていると、森の方からポバールが弱々しくフォローをする声が響いた。

 

「蘭子さん、すごかったねー」

 

「そうだな……そういえば、河童族は相撲が得意だったな……」


「水道局のお仕事がなけりゃ、バッタ屋さんにスカウトしてぇ人材でございやすね……」


 モロコシ、シーマ、チョロが思い思いの感想を口にすると、蘭子は背中を丸めて更に赤面した。


 その後、一行はポバールのもとへ向かい、シーマの魔法で凍った体を解凍した。


「……良かった。お怪我はなさそうですね」


 蘭子がペタペタと体に触りながらそう呟くと、ポバールはプルンと震えて苦笑いの表情を浮かべた。


「ええ、スライムは打撃や斬撃などの、物理攻撃には強いですから。これくらいは平気ですよ」


 ポバールが体に着いた枝や葉をプルプルとふるい落としながら答えると、ハーゲン……もとい、バッタ仮面ウイングが、うふふ、と笑い声を漏らした。


「ボウラック博士がご無事でなによりですわ。それに、これで樫村様のお宅の井戸も、徐々に水位が戻ることでしょう。なので……」


 そう言うと、バッタ仮面ウイングは背中の翼をバサリと広げた。


「私の役目はここまでですわね。それでは、皆様、ごきげんよう」


 バッタ仮面ウイングはその言葉と共にふわりと飛び上がり、森の上空に出ると湖の方角へ向かって飛び去っていった。


「バッタ仮面ういんぐさん!ありがとうねぇ!」


「バッタ仮面ウイングさん!ありがとう!」


「あ、ありがとー……」


 はつ江、モロコシ、シーマが手を振りながらバッタ仮面ウイングを見送っていると、ポバールがプルリと震えた。


「それでは……私は超魔導機が盗掘された恐れがある旨をいち早く関係各位に知らせなくては行けないので……本来でしたら、樫村さんにお詫びに行かないといけないのですが……」


 ポバールの言葉に、チョロがニカッと笑顔を向けた。


「気にしねぇでくだせぇよ、ボウラック先生!樫村の旦那にゃあ、アッシらで事情を説明しておきやすから!」


「それに、今回の件は故意ではなく事故なのですから、樫村様もお怒りにはならないとおもいますよ」


 チョロに続いて蘭子もフォローを入れると、ポバールはプルリと震えた。


「ありがとうございます。では、お言葉に甘えさせていただきます。樫村さんには、後日改めてお詫びに参ります、とお伝えください」


「はーい!分かりましたー!」


 ポバールの言葉に、モロコシがニッコリ笑いながらフカフカの手を挙げた。


「気ぃつけて行くだぁよ!」


「今度は、穴に落ちないでくださいね」


 続いて、ニッコリと笑ったはつ江と苦笑を浮かべたシーマが声を掛けると、ポバールは、気をつけます、と呟いてプルンと震えた。そして、森の中へ入ると、木々をウネウネと避けながら進んでいった。ポバールの姿が見えなくなると、はつ江はニッコリを笑って一同に声を掛けた。


「そんじゃあ、ぼうらく先生も帰ったことだし、私らも樫村さんの所に帰るとするかねぇ!」


 はつ江がそう言うと、四人は同時にコクリと頷いた。


 その後、一同はけもの道を引き返し、無事に樫村家の裏庭にたどり着いた。そこでは、樫村が井戸の縁に腰掛けて、腕を組んでいた。

 樫村は五人に気づくと、井戸の縁から立ち上がり伸びをしてからのそのそと近づいた。


「おう、お前らどうだった?」


 樫村が尋ねると、蘭子が目を輝かせながら笑顔を浮かべた。


「はい!井戸の水位が下がった原因は取り除くことができました!しばらくすれば、元通りになりますよ!」


 蘭子が答えると、樫村は目細めて、そうか、と嬉しそうに呟いた。それを見た、シーマ、はつ江、モロコシ、チョロもニッコリと微笑んだ。

 それから、四人が井戸の水位が下がった経緯と、ポバールが後日お詫びに来ることを伝えると、樫村は、ほう、と呟きながら、ボリボリと後頭部を掻いた。


「そうだったのか……あの偉い先生がねぇ……」


 樫村が意外そうに呟くと、はつ江がカラカラと笑い出した。


「ぼうらく先生は、うっかりさんなんだぁね!」


「はつ江……あれでも、魔界考古学会の権威なんだから、うっかりさん、はやめてあげてくれ……」


 はつ江の言葉に、シーマはヒゲと尻尾をダラリと垂らしながら講義した。樫村はそんな二人を見てて、目を細めて笑った。そして、五人の顔を順々に見渡した。


「今日は本当に世話になったな。殿下、はつ江ばあさん、水道屋の嬢ちゃん、リンゴやの坊主、バッタ屋の嬢ちゃん」


 樫村はそう言うと、ペコリと頭を下げた。しかし、その言葉を受けて、シーマ、はつ江、蘭子は目を見開いた。


「バッタ屋の……嬢ちゃん……?」


 シーマが尻尾の先をクニャリと曲げて問い返すと、モロコシがキョトンとした表情で首を傾げた。


「え?そうだよ。チョロさんはカッコイイお姉さんだよ?」


「あれまぁよ!?」


「えぇー!?」


 モロコシの言葉に、はつ江と蘭子は驚きの声を上げた。すると、チョロは苦笑いを浮かべながら、細長い指先で後頭部を掻いた。


「いやぁ、紛らわしくてすみやせん。こんなナリで、このしゃべり方だからよく間違えられるんでございやすが、一応は女子なんでございやすよ。親方にゃ、せめてしゃべり方だけでも治しなさい、って叱られるのでございやすが」


 チョロの言葉に、はつ江は感心した表情で、ほうほう、と相槌を打ち、蘭子は、そうですか、と複雑な表情を浮かべて立ち尽くした。


「今日も色々あったけど……今の発言が一番衝撃的だった気がするな……」


 赤い空の下には、そう呟くシーマの脱力した声が響いた。

 


 ともあれ、かくしてシーマ殿下とはつ江ばあさんの、水道局お手伝い大作戦は幕を閉じたのだった。

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