第43話 ゴクリ
魔王城の玄関先で、外出用の外套を身に纏ったシーマ十四世殿下が、「よい子のニコニコお手伝いボード(仮称)」を覗き込んでいた。
「えーと、受注手続きは問題無くできてそうだな」
シーマがそう呟くと、白いポシェットを肩からさげたはつ江が、ニコニコと笑いかけた。
「じゃあ、そのピコピコはしまっておこうね」
そう言ってはつ江が手を差し出すと、シーマはコクリと頷いた。
「あ、うん。お願いするよ」
そして、フカフカの手で「よい子のニコニコお手伝いボード(仮称)」を差し出そうとしたその時、魔王が、そうだ、と声をかけた。
「シーマ、『よい子のニコニコお手伝いボード(仮称)』についてだが、ちょっと補足がある」
魔王に声をかけられたシーマは、ボードをはつ江に手渡すのを止めると、尻尾の先をクニャリと曲げた。
「ちょっと補足?一体、どうしたんだ?兄貴」
「このピコピコ、壊れちまったのかい?」
シーマとはつ江が訝しげな表情で尋ねると、魔王は、そうじゃない、と言ってからコホンと咳払いをした。
「いや、壊れてはいないんだが……昨夜、ちょっとアップデートをしてみてな。シーマ、画面の左下にある緑の絵を触ってみてくれ」
「画面の左下……緑の絵……あった!これだな!」
シーマはフンフンと鼻を動かしながら、緑色のアイコンにタッチした。すると、画面には白い背景に緑色の文字とウインクをしたバッタのイラストが大きく表示された。
「えーと……『ドキドキ☆魔界・直翅目大図鑑!』……兄貴、なんなんだよこれは……?」
「あれまぁよ!バッタさんの図鑑かね!?」
ヒゲと尻尾をダラリと垂らしたシーマと、目を見開いたはつ江が尋ねると、魔王はコクリと頷いた。
「ああ。最近、シーマは色んなバッタに遭遇することが多い気がしてな。魔界直翅目学会が、バッタやイナゴの画像を募集してたから丁度いいと思って」
魔王が答えると、シーマは片耳をパタパタと動かしながら、尻尾の先をクニャリと曲げた。
「うーん……ボクっていうか、モロコシが一緒だからって気もするけど……まあいいや。じゃあ、今日もバッタを見つけたら、画像を撮っておくよ」
「うむ。ありがとうシーマ。猫耳の部分を同時に押し込むと、画像を撮れるようになっているから」
魔王が操作方法を説明すると、シーマはコクリと頷いて、分かった、と答えた。すると、はつ江がニッコリと笑って、シーマの頭をポフポフと撫でた。
「シマちゃんや、今日もモロコシちゃんと、バッタさんに会えるといいね」
「そうだな……でも、今日はバタバタしそうだから、ちょっと難しいかも」
シーマがヒゲの先を下げて呟くと、はつ江は、大丈夫だぁよ、と言いながら再びシーマの頭をポフポフ撫でた。シーマは目を細めてゴロゴロと喉を鳴らしたが、急にハッとした表情を浮かべて、尻尾を縦にパシパシと振った。
「子供扱いするなって、いつも言ってるだろ!」
「わははは!悪かっただぁよ!」
鼻の下を膨らませてシーマが抗議すると、はつ江はカラカラと笑いながら頭から手を放した。
「もう……ともかく、『よい子のニコニコお手伝いボード(仮称)』の使い方も教わったから、そろそろ博物館に向かうぞ!」
シーマがそう言って「よい子のニコニコお手伝いボード(仮称)」を手渡すと、はつ江はニッコリと笑って受け取り、ポシェットにしまった。
「はいよ!じゃあ、ヤギさんや出掛けてくるね!」
「兄貴、行ってくるよ」
「うむ。二人とも、気をつけてな」
二人がそう言って手を振ると、魔王も薄く微笑みながらコクリと頷いた。そして、シーマは魔法の扉を呼び出し、はつ江と共に博物館へと向かっていった。魔王は二人を見送ると、うんうんと頷いてから、一人城の中へ戻って行った。
魔法の扉をくぐり抜けて二人がたどり着いた先には、立派な円柱の建ち並ぶ三角屋根の博物館が聳えていた。日の光を受けて白く輝く博物館を眺めると、はつ江は、ほう、と声を漏らした。
「随分と立派な博物館だぁね」
はつ江が感心していると、シーマは得意げにフフンと鼻を鳴らした。
「そうだろ!なんたって、魔界中の美術品、宝物、発明品、化石、その他諸々の文化財が納められているんだからな!建物も、魔界の中でも凄腕の建築家が作ったんだぞ!」
シーマが説明すると、はつ江はニッコリと笑ってシーマの頭をポフポフと撫でた。
「そうかいそうかい!そんな凄い所のお手伝いをできるなんて、シマちゃんはお利口さんだねぇ」
「もー!子供扱いするなって言っただろ!それより、早く中に入るぞ!」
シーマが尻尾をパシパシと振って抗議すると、はつ江はカラカラを笑いながら、はいよ、と返事をした。そして、二人はトコトコと歩き出し、博物館の従業員出入り口へと向かっていった。
授業員出入り口のドアにたどり着くと、シーマはフカフカの手で呼び鈴のボタンを押した。
「おはようございます。警備の手伝いに来ましたー」
シーマが声をかけると、ドアの上に備え付けられた鳥の形をした拡声器から、ザザというノイズが響いた。
「これは!シーマ殿下!お待ちしておりましたでござる!」
ノイズに続いて響いたのは、五郎左衛門の声だった。
「ゴロちゃん!おはよう!お手伝いに来ただぁよ!」
シーマに続いてはつ江も声をかけると、拡声器から、なんと!、という声が響いた。
「はつ江殿もご一緒でござったか!では、ただ今館長をお連れいたします故、中に入ってお待ちくださいでござる!」
五郎左衛門がそう言うと、従業員出入り口のドアがガチャリと音を立てた。
「よし、じゃあ行こうか」
シーマがドアノブに手をかけながら声をかけると、はつえは、はいよ!、と元気よく返事をした。そして、二人が博物館の中に入ると、玄関ホールには五郎左衛門が凜々しい表情で敬礼をしていた。
「お二人とも!今日は宜しくお願い申し上げるでござる!」
「こちらこそよろしくね!ゴロちゃん!」
「ああ、よろしくな、五郎左衛門。ところで、今日は忍び装束じゃないんだな……」
シーマはそう言うと、五郎左衛門の衣装をしげしげと見つめた。
頭には制帽。
体には薄い水色をした長袖のシャツと、濃紺のネクタイ。
手には白い手袋。
脚には濃紺のズボン。
今日の五郎左衛門は、どこからどう見ても、忍者ではなく警備員の格好をしている。
シーマに服装を指摘された五郎左衛門は、照れ笑いを浮かべながらポリポリと頭を掻いた。
「いやあ、拙者としては忍び装束の方が落ち着くのでござるが……博物館の規程に、制服を必ず着用しろ、とあるもので、仕事のときはこの格好なのでござるよ」
恥ずかしそうに五郎左衛門が答えると、はつ江はニッコリと笑顔を向けた。
「こっちのお洋服もとっても似合ってるだぁよ!とっても格好いいね!」
「そうだな、忍び装束のときとはまた違った頼もしさがあるな」
はつ江とシーマがそう言って頷き合っていると、五郎左衛門は首をブンブンと横に振った。
「そ、そんな!滅相もないでござるよ!」
謙遜しながらも尻尾をブンブンと振る五郎左衛門を見て、シーマとはつ江はニコリと微笑んだ。そんな中、廊下の奥から、カツカツという足音が響いてきた。
「柴崎。殿下たちがお見えになったのか?」
「よもや、失礼なことはしておらぬだろうな?」
「五郎左衛門!はつ江ばあちゃんって人も来てる!?来てる!?」
足音と共に響いた声に三人が顔を向けると、薄暗い廊下の奥から声の主が姿を現した。
鶴に似た鳥の足。
七分丈の天鵞絨でできた黒いズボン。
丈の長い天鵞絨製のジャケットの下に、白いチョッキ。
そして、赤いネクタイを巻いた首は三つに分かれ……
向かって左から、ボクサー、パグ、シベリアンハスキーの顔がついていた。
「これは、ナベリウス館長!お待ちしておりましたでござる!」
五郎左衛門が声をかけると、ナベリウスは声を合わせて、うむ、と言いながら頷いた。
「お久しぶりです。ナベリウス館長。本日は宜しくお願いいたします」
シーマがペコリと頭を下げて挨拶すると、ナベリウスもうやうやしく片膝をつき、腕を胸に当てながら三つの頭を下げた。
「これはこれは、殿下。こちらこそ、本日はご協力いただき、感謝いたします」
中央のパグがそう言うと、ボクサーも頭を下げたまま口を開いた。
「従業員一同、殿下のご到着を心よりお待ちしておりました」
そして、ボクサーに続いて、ハスキーが目を細めてニッコリと笑った。
「オレたちなんか、楽しみでいつもより二時間も早く来ちゃったんだ!」
ハスキーの言葉を聞くと、シーマは片耳をパタパタと動かしながらフカフカの頬を掻いた。
「あー……なんか、気を遣わせちゃったみたいで、すみません」
シーマが気まずそうにペコリと頭を下げると、ハスキーは顔を上げて、いいよー、と言いながらニッコリと笑った。すると、中央のパグが、なれなれしいぞ、とハスキーを咎めた。目くじらを立てるパグとシュンとするハスキーにチラリと視線を送ると、ボクサーが苦笑を浮かべながら顔を上げた。
「失礼いたしました。えーと、殿下のお隣にいらっしゃるのが……」
ボクサーがそう言って顔を向けると、はつ江はニッコリと笑顔を浮かべた。
「シマちゃんのお手伝いの、森山はつ江だぁよ!ナベさんや、今日はよろしくね!」
はつ江がペコリと頭を下げると、ナベリウスはまるで渡辺さん向けのあだ名のような呼び名に、戸惑った表情を浮かべた。しかし、ゆっくり立ち上がると、目を細めてニッコリと笑った。
「これはこれは、森山様。ご活躍は私たちも耳にしております。私たちは、王立大博物館の館長を務めております、姓はナベリウス、名は……」
ボクサーがそう言うと、パグが凜々しい表情で口を開いた。
「それがしが、長男のアハトでございます」
続いて、ボクサーが口を開く。
「私が、次男のシュタインです」
最後に、ハスキーがニッコリと笑ったまま口を開いた。
「オレが、三男のシャロップシュだよ!」
三人が自己紹介をすると、はつ江は、ほうほう、と声を漏らしながら頷いた。
「あっ君、しゅうちゃん、しゃっ君だね!」
なんともフレンドリーな呼び名に、アハトとシュタインは戸惑った表情を浮かべ、シャロップシュはニッコリと笑いながら、うん、と元気よく返事をした。ナベリウス一同の反応を見て、シーマはヒゲと尻尾をダラリと垂らしながら脱力し、五郎左衛門はオロオロとした表情を浮かべた。
「すみません、館長……はつ江は誰に対してもこんな感じなので……」
「わ、悪気はないのでござりますよ!」
シーマと五郎左衛門がフォローをすると、アハトとシュタインは声を併せて、構いません、と苦笑した。そして、シャロップシュはニッコリと笑って、いいよ、と元気よく答えた。はつ江はその様子を見て、何かに気づいたような表情を浮かべた。
「はつ江、どうしたんだ?」
「何か、不穏な気配でも感じたのでござるか?」
シーマと五郎左衛門が問いかけると、はつ江はふるふると首を横に振った後、真剣な表情をナベリウス一同に向けた。
「ところで、ナベさんや」
はつ江の眼差しに、ナベリウス一同はゴクリと唾を飲み込んだ。
「な、何でありますかな?森山様」
「何か、失礼をしてしまったのでしょうか?」
「なーに?はつ江ばあちゃん?」
ナベリウス一同が緊張した面持ちで尋ねると、はつ江はすぅっと息を吸い込んだ。そして……
「やっぱり、ナベさんは引力を光線にして吐き出せるのかね?」
……宇宙からやってきた某怪獣を連想したであろう質問を口にした。
一同の間には、気まずい沈黙が訪れた。
「はつ江!何を訳の分からない質問をしてるんだよ!?」
「や、やっぱり、ということは、何か思うところがあったのでござるか?」
沈黙を打ち破ったのは、尻尾を縦に振りながら抗議するシーマの声と、オロオロした五郎左衛門の声だった。二人の声に、はつ江は苦笑を浮かべながら、ポリポリと白髪頭を掻いた。
「わははは、悪かっただぁよ。頭が三つある子だと、聞いておかなくちゃいけない気がしてよぉ」
はつ江が答えると、アハトがコホンと咳払いをしてから、苦笑を浮かべた。
「いやいや、お気になさらずに、森山様。それがし達も、その質問には慣れておりますから」
続いて、シュタインもポリポリと頬を掻いた。
「そうですね。特に、森山様がいらっしゃった異界から召喚されてきたり、転生してきた者たちには、良く聞かれますね」
最後に、シャロップシュがニッコリと笑った。
「引力は扱えないけど、悪名を消したり地に落ちた名声を引っ張り上げることはできるよ!……あれ、兄ちゃんたち!これも、引力の一種かな!?」
楽しげに尋ねるシャロップシュに対して、アハトとシュタインは脱力した表情で、どうだろうな、と同時に答えた。
「ほうほう、ナベさんたちは凄いことができるんだねぇ」
はつ江が感心しながらそう言うと、アハトとシュタインは、それほどでも、と言いながら照れ笑いを浮かべた。一方のシャロップシュは、得意げな表情を浮かべ、えっへん、と言いながら鼻を鳴らした。そして、アハトとシュタインに、こら、と声を合わせて叱られた。
はつ江はそんなナベリウス一同のやり取りを微笑みながら見つめ、シーマはヒゲと尻尾をダラリと垂らしながらどこか遠くを見つめた。
「館長の力で、魔王城のキューティーマジカル仔猫ちゃん、という異名がなんとかならないかな……」
「殿下……それは別に悪名ではないと思うのでござるよ……」
王立大博物館の玄関ホールには、淋しげなシーマの声と、困惑した五郎左衛門の声が響いた。
かくして、ワンちゃん成分が大増量しながら、博物館での一日が幕を開けたのだった。
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