第11話 キッカリ
赤く染まった空。
絶えず響く叫喚に似た鳥達の鳴き声。
奇怪な枝ぶりの木々が生い茂る森。
血の川が流れる大地。
ここは魔界。
魔のモノ達が住まう世界。
その一角に聳える岩山の山頂に築き上げられた城の中……
「ふんふんふふーん」
パーマをかけた短髪の白髪頭がチャーミングな老女、森山はつ江が、クラシカルなメイド服を着て鼻歌交じりに上機嫌で味噌汁を作っていた。
はつ江が料理をしている場所は、白を基調としたアイランド型のシステムキッチンとなっている。シンクやコンロがはつ江が元の世界で使っていた物と相違ない物になっているばかりか、キッチンカウンターの高さまでもが無理なく作業が出来る高さに設計されていた。
そんな快適なキッチンではつ江が味噌汁の味見をしていると、入口の扉がゆっくりと開いた。
はつ江が振り返ると、耳がスッポリと隠れるサイズの白地に青い魚の模様をしたナイトキャップを被り、同じ柄のパジャマを着たサバトラの子猫、シーマ十四世殿下が古びたネズミのぬいぐるみを片手に抱えて立っていた。
「シマちゃん!おはよう!」
はつ江がカラカラと笑いながら挨拶をすると、シーマはフカフカの手で目をこすりながら、大きなあくびを一つした。
「ふぁあ。はつ江、おはよう。昨日はちゃんと眠れたか?」
「良く眠れたよ!お陰様で今日も元気いっぱいだぁよ!」
はつ江が言葉に違わずハツラツと答えると、シーマは再びフカフカの手で目をこすった。そして、ヒゲの先から尻尾の先まで、全身をほぐすように伸びをした。
「それなら良かった。まだ色々と慣れないこともあるだろうから、何か困ったことがあったら、すぐボクに言うんだぞ」
寝ぼけ眼のまま気取るシーマに向かってはつ江は微笑み、コンロの火が消えていることを確認してからキッチンの入口に向かった。そして、シーマの前で膝を屈めると、フカフカの喉をそっとなでた。
「ありがとね、シマちゃん。じゃあ、もうちょっとで朝ごはんが出来るから、ヤギさんを起こして来てくれるかね?」
シーマは目を細めて喉を鳴らしながら、分かった、と返事をして、キッチンを出て行った。シーマを見送ったはつ江が、システムキッチンに戻ろうとすると、廊下からパタパタという足音が聞こえ、入口の扉が勢いよく開いた。
そして、慌てた様子のシーマが再び現れた。
「あれまぁよ!?どうしたんだいシマちゃん!?」
はつ江が心配して駆け寄ると、シーマは鼻の下を膨らませて、尻尾を縦に大きく振った。
「はつ江!い、今のは寝ぼけていただけだ!別にゴロゴロなんてしてないんだからな!」
律儀に照れ隠しに来たシーマに向かってはつ江はニッコリと微笑み、ナイトキャップごしにフカフカの頭をポンポンとなでる。
「そうかい、そうかい。じゃあ、目が覚めたみたいだから、ヤギさんを起こすついでに、お着替えをしておいで」
「もー!子供扱いするなよ!」
シーマは尻尾の先をピコピコと動かしながら不服そうにそう言うと、古びたネズミのぬいぐるみをギュッと抱えて出て行った。はつ江は再び笑顔で見送ると、システムキッチンに戻った。
はつ江が食卓に朝食を並べていると、入口の扉が勢いよく開いた。そこには、襟と袖にフリルのついた水色のシャツを着て、サスペンダーがついた七分丈のバルーンパンツを履いたシーマと、黒地に白い猫の模様が入ったパジャマを着た魔王が並んで立っていた。
「はつ江!バカ兄貴を叩き起こして来たぞ!」
「……もう少し、優しく起こして欲しかった……」
得意げな表情をするシーマとは対照的に、魔王は赤銅色の長い髪に寝癖をつ、物憂げな表情で
「ヤギさんも、おはよう!朝ごはんが出来たけど、食べられそうかい?」
はつ江が魚の干物を食卓に置きながら尋ねると、魔王は鳩尾をさすりながら、いただこう、と返事をして食卓に向かった。そして、席につくと、ハッとした表情を浮かべてから、はつ江のつぶらな目を覗き込んだ。
「うん?どうしたんだい、ヤギさん?」
「だから、何度も言っているように、私はヤギさんではない」
「分かっただぁよ!ヤギさん!」
「だから、ヤギさんでは……」
何が、分かっただぁよ、なのか全く分からないはつ江の台詞に魔王が混乱していると、隣に座ったシーマが慰めるように腕をポンポンと叩いた。
「……はつ江は自分の中で呼び名が決まってしまうと、変更するのが難しいみたいだから、許してやってくれ。ヤギさん」
シーマは悪戯っぽい笑みを浮かべながら、はつ江がつた呼び名に便乗した。すると、魔王は一瞬だけしょげた表情を浮かべたが、すぐに何かを思いついたようで、シーマに向かってにこやかな笑みを浮かべた。
「そうだな、シマちゃん」
「誰がシマちゃんだ!?」
「そんなに怒るなよ……」
耳を反らして尻尾を縦に大きく振りながら憤慨するシーマに対して魔王が再びしょげていると、味噌汁の入った椀とご飯の盛られた茶椀の乗ったお盆を両手にはつ江がやって来た。
「これこれ、二人ともケンカしないでおくれ」
イザコザの根源ともいえるはつ江が困惑気味にそう言ったため、シーマと魔王は顔を見合わせて頬を掻いた。
「……それもそうだな。からかって悪かったよ、バカ兄貴」
「バカ兄貴は改めてくれないのだな……ともかく、気分を害するようなことを言ってしまったなら、すまなかった」
はつ江は二人を見てニッコリ笑うと、うんうんと頷いて味噌汁を食卓に置いた。
「仲直りできたなら良かっただぁよ。さて、ご飯にしようかね」
はつ江がそう言いながらお盆を食卓の隅に隅に置いて席につくと、二人は待ってましたとばかりに目を輝かせて手を合わせた。
「いただきます!」
「いただきます」
「はいよ、どうぞ召し上がれ」
はつ江はしばらくの間ゆっくりと食事をしながら二人がガツガツと食事をするのを眺めていたが、不意に魔王に声をかけた。
「ヤギさんや、素敵な台所を用意してくれてありがとうね」
はつ江の言葉通り、システムキッチンはシーマ達が市に出かけている間に、魔王が作り上げた物だ。
「……いや、気にするな。雇い主として、当然なことをしたまでだから」
急に話しかけられた魔王は厚揚げの煮物を喉に詰まらせかけたが、なんとか味噌汁で流し込むと頬を赤らめてぶっきらぼうに答えた。
「それに、はつ江の世界の物を魔術で再現するのは、結構楽しいから」
そう言いながら、魔王はほうれん草のおひたしに箸を伸ばした。その横でシーマが魚の干物に箸を入れながら相槌を打つ。
「兄貴は昔からそういうこと好きだもんな。はつ江の世界の調味料を再現してみたり、変な機械を作ってみたり」
「あれまぁよ!ヤギさんは凄いんだねぇ!」
ご飯を飲み込んだはつ江が感心すると、魔王は再び頬を赤らめて、大したことじゃない、と呟いた。その隣でシーマが、何故か得意げにフフンと鼻を鳴らした。
「そうだ、はつ江。兄貴がこの間作った変な機械はちょっと楽しいんだぞ!朝ごはんが終わったら特別に見せてやる!」
「そうかいそうかい!それは楽しみだねぇ!」
カラカラと笑うはつ江の向かいで、魔王は耳まで赤く染めながらうつむいた。
魔王が盛大に照れながらも朝食はつつがなく終了し、はつ江はシーマに手伝われながら洗い物と片付けを終えた。魔王とシーマが一度自室に戻ると、はつ江は竹箒を手に廊下の掃除を始めた。掃除がシーマの部屋の前まで差し掛かったとき、タイミングよく部屋の扉が開いた。
竹箒を手にしたはつ江の姿を見たシーマは、尻尾の先を曲げて耳をパタパタと動かしながら不思議そうな顔をする。
「はつ江、箒なんか持って何してるんだ?」
「何って、廊下のお掃除だぁよ!」
カラカラと笑いながら答えるはつ江に、シーマは耳と尻尾をピンと立てて得意げな表情を向けた。
「はつ江、掃除はそこまでで大丈夫だ!そろそろアレが来るからな!」
「アレ?」
シーマの言葉にはつ江がキョトンとした表情で首を傾げていると、どこからともなく軽快な調べの音楽が聞こえてきた。はつ江が音のする方に振り向いて目を凝らすと、厚さ十センチほどの白くて四角い物体が四分の二拍子の曲を奏でながらジグザグな軌道で二人の方に向かって来ていた。
「シマちゃんや、アレは何だい?」
はつ江が指をさしながら尋ねると、シーマはフフンと鼻を鳴らした。
「アレが朝ごはんのときに言った見せたい物だ!床の掃き掃除を自動でしてくれる機械、その名も『
胸を張るシーマに向かって、はつ江は大袈裟に驚いた表情を見せた。
「あれまぁよ!それは凄いね!」
はつ江はしばらく打楽器と弦楽器とホイッスルの音を奏でる全自動集塵魔導機祝祭舞曲を眺めていたが、シーマの方を向き首を傾げた。
「でも、なんで音楽を流してるんだい?」
はつ江の素朴な疑問に、シーマはハッとした顔をした後、片耳をピコピコと動かしながらフカフカの頬を掻いた。
「言われてみると、なんでだろうな……?」
「いや……シーマが面白がるかと思ったから……」
突如として聞こえてきた声に、シーマは尻尾の毛を逆立てながら飛び上がった。
「いきなり現れるなよバカ兄貴!ビックリするじゃないか!」
シーマが耳を反らし尻尾を縦に大きく振りながら振り返ると、魔王がしょげた表情で掌に魔法陣を浮かび上がらせながら立っていた。魔王の服装はパジャマから黒い詰襟のシャツと黒い長ズボン姿に変わり、手には薄手の黒い手袋が嵌められている。
「悪かったよ……」
魔王が謝ると、シーマは鼻の下を膨らませて尻尾を左右にブンブンと振った。
「まったく、もう!次から気をつろよな!」
はつ江はシーマの頭をなでて、まあまあ、となだめてから、魔王に向かって首を傾げる。
「ところでヤギさんや、急にどうしたんだい?」
「全自動集塵魔導機祝祭舞曲の調子がちょっと悪いみたいだから、確認しにきた……」
魔王ははつ江の問いに答えると、魔法陣に目を落としてから全自動集塵魔導機祝祭舞曲に目を向けた。
魔王の言葉通り、全自動集塵魔導機祝祭舞曲は段々と自走と音楽のスピードを落とし、三人の側で完全に停止してしまった。魔王は魔法陣を消すと、全自動集塵魔導機祝祭舞曲を持ち上げて、ふむ、と声を漏らした。
「あれまぁよ、壊れちまったのかい?」
はつ江が心配そうに尋ねると、魔王は、どうだろうな、と呟いた。
「魔法陣に出ていた情報によると、動力源に問題が発生したらしいが……」
魔王がそう呟いて指を鳴らすと、全自動集塵魔導機祝祭舞曲は部品ごとに分解されながら宙に浮かんだ。魔王はその中から、赤く輝く正八面体の石を摘まみ取り、掌に載せて凝視した。
「ああ、確かに少しヒビが入っているな」
魔王の言葉通り、赤く輝く石には頂点から中心部に向かう一本のヒビが入っていた。
「それは、直せるのかい?」
はつ江が再び心配そうに尋ねると、魔王は口元に手を当てながら答えた。
「このくらいならば、補修剤さえあれば、多分……」
魔王が補修剤の在庫があったかを思い出していると、不意に長い赤銅色の髪の毛が軽く引かれた。髪の毛を引かれた方に視線を落とすと、シーマが耳を伏せてヒゲと尻尾を下に向けていた。
「ごめん兄貴……ボクが上に乗ったりしてたから……」
「ち、違うぞシーマ!全自動集塵魔導機祝祭舞曲はお前が乗って遊ぶことを想定して造ってあるから、多分別の原因だ!」
慌てる魔王に向かって、シーマは、でも、と小さく呟いた。はつ江はシーマの小さな肩が震えているのを見て、膝を屈めてフカフカの頭を優しくなでた。
「大丈夫だぁよシマちゃん。こんな凄い機械を一人で造れるヤギさんが言ってるんだから、きっと別のことが原因だぁよ」
はつ江の言葉にシーマがフカフカの手で目をこすっていると、魔王は首を激しく縦に振った。
「そうだぞ!何と言ってもこの全自動集塵魔導機祝祭舞曲の耐荷重は、リンゴ三個分キッカリに設計してあるからな!」
三人の間に、しばしの沈黙が訪れる。
「ボクがそんなに軽いわけあるか!このバカ兄貴!」
設計ミスに対するシーマの抗議の言葉が沈黙を打ち破り、魔王城の廊下に響いた。
そんな魔王城に向かって走り寄る二つの人影があることを、三人はまだ知る由もなかった。
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