第10話 テクテク

 赤い空の下、暗緑色の葉が茂る森に挟まれた道の上。

 つぎはぎのできた幌を被せた荷馬車の荷台の側で、黒猫が腕を組んで目をつむっている。


「殿下達、大丈夫かしら……あのワンちゃんも、のっぴきならない事情があったってことだし……」


 細い切れ込みの入った片耳をピコピコと動かしながらクロが呟くと、バッタの台帳を確認していたチョロが顔を上げ細長い指で頬を掻いた。


「うーん……イヌ科の奴らは普段は気のいい奴らでございやすが、いざ戦闘にでもなれば恐ろしいくつえーでございやすからね……」


 チョロが心配そうに呟くと、両肩に乗った忠一と忠二がピョンピョンと飛び跳ねる。


「でも、ヴィヴィアンいるから平気ー!」

「平気ぃ!」


「コラ!だから肩で飛び跳ねると危ねぇって、いつも言って……ん?」


「うわぁぁぁ!?」


 忠一と忠二に注意をしていたチョロが、何かに気づき顔を上げると、赤い空からシーマとはつ江とモロコシを抱えたヴィヴィアンが猛スピードで地上に接近していた。


「うわっ!?」


「わー!?」

「わぁ!?」


 チョロと忠一と忠二が驚いていると、ヴィヴィアンは木々の梢のあたりで翅を開き、バサバサと音を立てながらゆっくりと地面に脚をおろした。


「親方ぁ!空から殿下達が降ってきやした!!」


「親方ー!降ってきたー!」

「親方ぁ!降ってきたぁ!」


 慌てふためく三人に対して、クロは組んでいた腕を解きながら、尻尾を縦に大きく振った。


「アンタ達!どっかで聞いたことのある言い回しで、親方って呼ぶんじゃないわよ!マダムと呼んでちょうだい!」


 叱責に肩を落とす三人に向かって軽くため息を漏らしてから、クロはパタパタと足音を立ててシーマ達のもとに向かった。


「お帰りなさい、みんな。お怪我はない?」


「あ、ああ……大丈夫だ」


「平気だぁよ!」


「ぼくも平気だよー」


 膝を屈めて首を傾げるクロに対して、シーマは耳を伏せヒゲと尻尾を垂らしてグッタリとしながら答え、はつ江はカラカラと笑いながら答え、モロコシは耳をピコピコと動かしながらのんびりと答えた。クロは安堵のため息を漏らしてから、硬い肉球のついた手で、シーマとモロコシの頭をなでた。


「よかったわ。ヴィヴィアンもありがとうね」


 クロが目を細め真っ赤な口を開いて笑いかけると、ヴィヴィアンは首をカクカクと動かした。モロコシはヴィヴィアンに振り返ると、フンフンと鼻を鳴らしながら頷く。


「えーとね、バッタ屋さんの一員として当然のことをしたまでですわ!、だって!」


 元気よくヴィヴィアンの言葉を通訳するモロコシに向かってクロは微笑み、ヴィヴィアンの首をそっとなでた。


「じゃあ、ヴィヴィアンには荷物を運ぶ手伝いをしてもらうけど、荷馬車用のハーネスをつけても大丈夫かしら?」


 クロが首を傾げて尋ねると、ヴィヴィアンはバサバサと翅を広げた。


「全く問題ございませんわ!、って言ってるよー」


「ウフフ、それは頼もしいわね。頼りにしてるわよ」


 クロはモロコシとヴィヴィアンに微笑むと、踵を返し荷馬車に向かって歩き出した。ヴィヴィアンも翅をバサリと動かしてから、クロの後に続く。

 二人と入れ替わるように、忠一と忠二を肩に乗せたチョロがシーマ達に向かって、スルスルと駆け寄ってきた。チョロの手には、小さな紙袋が二つ持たれている。


「殿下、モロコシの坊ちゃん。先ほど飴屋の姐さんに事情を説明しやしたら、代わりの飴をいただきやした!道に落ちちまった飴は、洗ってご自分で召し上がるそうです」


 チョロはそう言ってシーマとモロコシに紙袋を差し出すと、円らな目を細めて笑った。


「ありがとうチョロさん!」


「ああ、ありがとう」


 シーマとモロコシは耳と尻尾をピンと立てながら紙袋を受け取ると、二人揃ってペコリと頭を下げる。はつ江は二人が喜ぶ姿を見てニッコリと笑うと、優しく二人の頭をなでた。


「二人とも、良かっただぁね!」


「うん!」


「そうだな!」


 三人の様子を見て満足げに頷くチョロの肩の上で、忠一と忠二がピョンピョンと跳ねる。


「ワンちゃんのことも姐さんから聞いたー!」

「ワンちゃんのお母さん大丈夫だったぁ?」


「シマちゃんがお砂糖を譲ってあげたから、もう大丈夫だぁよ!」


 はつ江がカラカラと笑いながら答えると、忠一と忠二はチョロの肩から身を乗り出して顔を見合わせた。そして同時に頷くと、チョロの肩からスルスルとおりて、シーマの頭の上までスルスルと登った。


「うわっ!?な、何だ?」


 驚くシーマをよそに、忠一と忠二は小さな手でシーマのフカフカな頭をなでる。


「殿下ー、いい子いい子ー!」

「いい子いい子ぉ!」


「あ、ありがとう……」


 シーマが尻尾をゆらゆらと揺らしながら困惑気味に伝えると、チョロが慌てながら二人を掴んだ。


「コラ!殿下に対して失礼だろ!」


「だってー!」

「だってぇ!」


「だって、じゃねえ!」


 イザコザする三人に対して、シーマは脱力気味に、気にするな、と伝えた。その様子を荷馬車の側から見ていたクロは、楽しげに目を細めてからコホンと咳払いをする。


「さて、じゃあイザコザに方がついたみたいだし、アタシ達はこれでおいとまさせていただくわね。さアンタ達、帰るわよ!」


「かしこまりやした親方!」


「了解!親方ー!」

「了解!親方ぁ!」


「アンタ達!いい加減に覚えてちょうだい!」


 憤慨するクロにペコペコと頭を下げ下げてから、チョロは荷馬車の荷台に乗り込んだ。


「では、アッシらはこれで失礼いたしやす!皆様どうかご達者で!」


「またねー!」

「またねぇ!」


 手を振る忠一と忠二を抱えたチョロが頭を下げると、荷馬車はゆっくりと動き出した。


「ああ、君達も元気でな!」


「達者に暮らすだぁよ!」


「またねー!」


 シーマ達も手を振り返すと、バッタ屋さんの荷馬車は段々とスピードを上げてどんどんと遠くなっていく。

 シーマ達はイザコザしながらも楽しげに帰っていくバッタ屋さんの面々の姿が小さくなり、やがて見えなくなるまで見送った。


「さて、ボク達も市まで帰ろうか」


「はいよ!」


「はーい!」


 シーマの提案にはつ江とモロコシが元気よく返事をし、三人は市に向かって歩き出した。


 三人が街中の広場に戻ってくると、多くの露店は店じまいを始めていた。

 シーマは商人達の様子を眺めると、耳をパタパタと動かしながらフカフカの頬を掻き、はつ江の顔を見上げた。


「はつ江、今日はバタバタしたから、あまり市が見られなくて悪かった」


 気まずそうなシーマの表情を見て、はつ江はニッコリと笑った。そして、シワと血管が目立つ手でシーマの頭を優しくなでた。


「そんなこと無えだぁよ!珍しいもんも沢山見れたし、空も飛べたし、バッタ仮面さんにお祝いもしてもらったし、すごく楽しかっただぁよ!」


 はつ江がそう言うと、モロコシも耳と尻尾をピンと立てて頷く。


「ぼくも楽しかったよー!バッタ仮面さんカッコよかったよね!」


 モロコシの発言に、そうか、と困惑気味に呟いてから、シーマはコホンと咳払いをした。


「ともかく、二人が楽しんでくれたならよかったよ」


「モロコシー!」


 シーマが安心したように目を細めていると、遠くから女性の声が聞こえてきた。

 三人が声の方向を向くと、若草色のワンピースを着て黄色いエプロンをつけた女性が駆け寄ってきていた。


 純白の艶やかな毛並み。


 ほんのりと桜色をした耳。


 シーマよりも色の薄い水色の瞳。

 

 桜色の小さな鼻。


 女性はとても美しい白猫だった。


「あ、お母さーん!」


 モロコシがそう言って手を降っているうちに、白猫は三人のもとにたどり着いた。そして、シーマに向かって深々と頭を下げる。


「殿下、いつもモロコシがご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございません」


「いやいや!そんなことはないから、頭を上げてくれ!」


 シーマに促され頭を上げると、白猫ははつ江を見て首を傾げた。


「あら?そちらにいらっしゃる方は?」


「はつ江お婆ちゃんだよ!徒野さんの代わりに魔王城に来てもらってるんだって!」


 モロコシがはつ江を紹介すると、白猫は、まぁ、と感嘆の声を漏らして再び深々と頭を下げた。


「お忙しい中、息子とも遊んでいただきありがとうございます。私はモロコシの母のユキと申します」


 ユキが顔を上げると、はつ江はカラカラと笑いながら、滑らかな毛並みの頬に手を伸ばした。


「とんでもねー!こっちこそ、こんな年寄りと一緒に遊んでもらえて、ありがたかっただぁよ!」


 はつ江に頬をなでられ、ユキは目を細めてゴロゴロと喉を鳴らしていたが、手が離されるとハッと目を開き、気まずそうに咳払いをした。


「なにはともあれ、お二人とも今日はありがとうございました。さあ、モロコシ。もうすぐ夕ご飯の時間だから帰りますよ」


 ユキがそう言うと、モロコシは笑顔で頷いた。


「うん!じゃあ、殿下、はつ江お婆ちゃん、また一緒に遊んでね!」


「ああ!また遊ぼうな!」


「楽しみにしてるだぁよ!」


 モロコシとユキは、シーマとはつ江にペコリと頭を下げると、手を繋いで歩き出した。シーマはその姿を眺めながらずっと手を降っていた。そして、二人の姿が見えなくなるとゆっくりと手をおろした。それでも視線だけは、二人が去っていった方向に向けられていた。

 シーマのヒゲが下を向いているのに気づいたはつ江は、あたりをキョロキョロと見渡してから大げさに声を上げた。


「あれまぁよ!露店が片付いちまったから、道がよく分からなくなっちまったねぇ!」


 大声に驚いたシーマが振り向くと、はつ江がニッコリと笑いながら手を差し出していた。


「だから、シマちゃんが手を繋いでくれると、とっても助かるだぁよ」


 はつ江の言葉に、シーマは耳と尻尾を立てると目を細めて笑った。


「まったく、はつ江は仕方ないな!ボクがついていてやるから、はぐれるんじゃないぞ!」


 そう言ってシーマは、はつ江の手をギュッと握る。はつ江も目を細めてシーマに微笑んだ。


「ありがとね、シマちゃん。さあ、帰ろうかね」

「ああ、帰ろう」


 二人は手を繋いで歩き出し、帰路についた。



 赤い空はいつの間にか薄暗くなり、東側には先端が渦を巻いた三日月が浮かんでいた。

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