第9話 キラキラ

 赤い空の下、暗緑色の葉をつけた木々に囲まれた小さな家の小さな庭。

 薪割り用の切り株に黒装束を身にまとった柴犬が肩をすぼめて腰掛けていた。その前には、シーマ、はつ江、モロコシ、ヴィヴィアンが並んで立っている。


「少年達よ、荷物を奪い、飴のビンを割ってしまい、誠に申し訳のうござった。拙者は柴崎しばざき 五郎左衛門ごろうざえもんと申す者でござる」


 五郎左衛門が頭を下げてから名乗ると、シーマも耳をパタパタと動かしてから自己紹介をした。


「こちらこそ、やり過ぎてしまってすまなかった。ボクはシーマだ」


「私は森山はつ江だぁよ!」


「ぼくはモロコシだよー。こっちはヴィヴィアンさん」


 シーマの自己紹介にはつ江とモロコシが続き、ヴィヴィアンがバサバサと翅を動かした。シーマの名を聞いた五郎左衛門は驚いて、小麦色をしたフカフカの毛並みを逆立てる。


「シーマ様!?つまり少年は、魔王城のキューティマジカル子猫ちゃん、の異名を持つ、シーマ十四世殿下であらせられるのでござるか!?」


「確かにシーマ十四世だけど、何なんだよその異名は……」


 シーマがヒゲと尻尾をダラリと垂らして脱力していると、五郎左衛門は勢いよく地面にひれ伏した。


「拙者としたことが、とんだご無礼を!!魔王城の方々に刃向かった場合は、一族郎党罰せられても致し方なきことではござるが、なにとぞ母上だけにはご慈悲を!」


 目を潤ませて懇願する五郎左衛門を見て、シーマは先ほど強力過ぎる魔法を使おうとしてしまったことを改めて反省した様子で、気まずそうにフカフカの頬を掻いた。


「あー……先代の魔王の時はそうだったみたいだけど、ウチのバカ兄貴はそういうの嫌いみたいだから。それよりも、さっき言ってた深い事情というのを教えてくれるか?」


 シーマの言葉に五郎左衛門はムクッと起き上がり、一礼してから口を開いた。


「実は……拙者は博物館の警備の仕事をしながら、母上と暮らしているのでござるが……その母上が2日前から寝込んでしまったのでござる……」


 うつむきながら話す五郎左衛門の顔を、はつ江が心配そうに覗き込んだ。


「あれまぁよ!ゴロちゃんのお母さんは大丈夫なのかね?」


 ゴロちゃんという呼び名に戸惑いの表情を見せながらも、五郎左衛門は耳を伏せながら軽く頷き答えた。


「はい……お医者様に診ていただいたところ、薬を飲めばすぐによくなると言われたのでござるが……その薬というのが物凄く苦いものでござって……」


「あー……五郎左衛門さん達は、苦いのが特に苦手な人たちだもんね……」


 納得するモロコシに、五郎左衛門は再びコクリと頷いた。


「モロコシ殿の言う通りでござる。母上も飲もうとはしていたのでござるが、どうしてもむせ返ってしまって。甘味の強い天然物の砂糖石でもあれば、味をごまかせると思って今日の市に足を運んだのでござるが……」


「飴屋さんもボクが買ったものが最後って言っていたし、天然の砂糖石は採りに行くのが難しいからあまり出回らないしな……」


「かと言って、砂糖石の他に薬草や香料も練りこんである他の飴を砕いて入れるわけにもいかず……悪事とは分かっていながら、殿下の荷物を……!」


 五郎左衛門は目に涙を浮かべ尻尾を下げながら、再び深々と頭を下げた。はつ江は心配そうに五郎左衛門を眺めてから、シーマの顔を覗き込んだ。


「シマちゃんや、砂糖石をちょっとだけゴロちゃんに分けてやれねぇかい?」


 はつ江の言葉に、モロコシも頷き、ヴィヴィアンもカクカクと首を左右に傾けた。


「殿下、お願い!ヴィヴィアンさんも、アタクシからもお願いしますわ、って言ってるよ!」


 二人の言葉に、シーマは耳と尻尾の先をピコピコと動かして困った様子で再びフカフカの頬を掻いた。


「うーん……ボクは構わないんだけど、兄貴がなんて言うか聞いてみないと……」



「その必要はない!」



 困った口調のシーマの声をかき消すように、よく通る男性の声がシーマ達の頭上から響いた。全員がその声に驚き上を見上げると、丸太で組んだ家の屋根の頂点に、誰かが腕を組んで仁王立ちをしている。

 その人物は……


 漆黒の乗馬服。

 

 首には赤いスカーフ。


 顔にはバッタの仮面をつけていた。


 頭からは堅牢な二本の角が伸び、赤銅色の長い髪を風になびかせている。

 仮面の人物は、とう!、と叫ぶと屋根の上を跳び立ち、空中で一回転をしてから一同の前に降り立った。


「正義の使者、バッタ仮面参上!」


 一同はしばらく唖然としていたが、目を輝かせたモロコシが耳と尻尾をピンと立てて、パチパチと拍手を送った。


「わぁ!かっこいい!!」


 モロコシとは対照的に、呆れ顔をしてヒゲと尻尾をダラリと垂らしたシーマが、フラフラとバッタ仮面に近づいた。


「あー、ちょっといいか?」


「ふむ、どうしたのだ?少年よ」


「いいから、ちょっとこっちに来てくれ」


 シーマはそう言うとバッタ仮面の手を引き、庭の隅まで移動した。


「ちょっと話があるから、耳を貸してくれ」


「分かったのだ!」


 バッタ仮面がそう言って身を屈めて耳を傾けると、シーマはひそひそ声で耳打ちをする。


「何やってるんだよ、バカ兄貴!?」


「わ、私は断じて魔王などではなく、バッタ仮面なのだ!」


「髪の毛と角でバレるだろ!?そんな髪の毛と角してるのは魔界中でもバカ兄貴しか居ないんだぞ!?」


「う……でも、素顔で来るのは恥ずかしいし……」


「だからって、なんでそんな格好なんだ?」


「いや……はつ江の世界のことを色々と勉強していたら、歴史ある正義の使者として、こんな感じの英雄が紹介されてたんだよ……だから喜ぶと思って……」


「……少なくともモロコシは喜んでるな」


「……本当か……!?」


「なんで嬉しそうなんだよ……」


「殿下ー!バッタ仮面さーん!お話終わったー!?」


 ヒソヒソ話をするシーマと魔王……もとい、バッタ仮面に向かってモロコシが声をかけた。


「もうちょっとだけ、待ってくれー!」


 シーマが叫び返すと、分かったー、と言う元気の良い返事が返ってくる。シーマはモロコシに手を振ってから、再びバッタ仮面に耳打ちをした。


「それで、何しに来たんだ?」


「こっちの方角からお前の魔力を感じたから……はつ江が叱ってくれたから良かったが、ダメだぞ、人に向かってあんな危ない魔法を使おうとしたら」


「う……悪かったよ」


「分かればいいんだ。後は俺が話をまとめるから、正体がバレないように話を合わせてくれ」


「難しこと言うな……でも、やってみるよ……」


 二人はヒソヒソ話をやめて頷きあうと、はつ江達の元に戻って来た。


「待たせたな、皆のもの!今日は魔王からの伝言を預かって来たのだ!」


 バッタ仮面の言葉に、モロコシが目を輝かせながら、フカフカの両手をブンブンと振った。


「バッタ仮面さん、あの優しいけど凄く人見知りの魔王様とお友達なの!?凄ぉい!!」


 モロコシの言葉にバッタ仮面は肩を落としながらも、シーマに慰めるように脚をポンポンと叩かれて、話を続けた。


「そうなのだ!まず、柴崎君!」


「は、はい!」


 バッタ仮面に指さされた五郎左衛門は、耳と尻尾をピンと立てて、緊張した面持ちで返事をした。


「盗みは罪だということは、分かっているな?」


「はい……」


「ただし、今回は親御さんの命に関わるかもしれないと言う事情もあったし、二度と同じことをしないと誓えるなら不問にする、とのことなのだ!」


 バッタ仮面がそう言い放つと、五郎左衛門は尻尾を振って目を輝かせた。


「誓って、こんなことは二度としないでござる!!」


 五郎左衛門の言葉にバッタ仮面はうんうんと頷くと、シーマの方に顔を向けた。


「そして、砂糖石のことだが……シーマ君!」


「な、なーに?バッタ仮面さん?」


 白々しく棒読みで反応するシーマに向かって、バッタ仮面は手を差し出した。


「ちょと砂糖石を貸して欲しいのだ!」


「うん!分かったよー!」


 シーマは相変わらずの棒読みで答えると、薪割り用の切り株の側に置かれた紙袋からガサゴソと砂糖石を取り出した。シーマから砂糖石を受け取ると、バッタ仮面は再びうんうんと頷いてから、もう片方の手で指をパチリと鳴らした。すると、バッタ仮面の前方に、ペンチと乳鉢と乳棒が乗った背の低いテーブルが現れる。


「あれまぁよ!凄いねぇ!」


「本当だぁ!バッタ仮面さん、魔法も使えるなんて凄いよ!」


 その様子を見たはつ江とモロコシは目を輝かせ、ヴィヴィアンもバサバサと翅を動かした。


「べ、別に、正義の使者ならばこのくらいは出来て当然なのだ!それよりも、皆のものテーブルの周りに集まるのだ!」


 バッタ仮面は仮面の下の素顔を赤くしながらテーブルの前に一同を集合させると、ペンチを手に取り砂糖石をはさんだ。


「とう!」


 バッタ仮面がそう言いながらペンチに力を込めると、砂糖石にはヒビが入り青白く光りだした。そして、星形の破片に砕けながらキラキラと光り、乳鉢に降り注いでいく。


「あれまぁよ、綺麗だねぇ」


 はつ江が感嘆の声を漏らすと、バッタ仮面は仮面の下に嬉しそうな表情を浮かべた。


「そう言ってもらえてよかったのだ!魔王は、はつ江さんを歓迎するためにこれを見せたかったらしいのだ!」


 はつ江はバッタ仮面に向かってニッコリと微笑むと、かすかに青い輝きを放つ乳鉢を指さして首を傾げた。


「ありがとう。ヤギさんは優しいねぇ。私は綺麗なもんが見られて満足したから、これはゴロちゃんにあげてもいいかい?」


「私はヤギさんではないのだ!ともかく、はつ江さんが満足してくれたなら、砂糖石は調合セットごと柴崎君が持って行くといい……と魔王から聞いたのだ!」


 バッタ仮面の言葉に、五郎左衛門は尻尾を大きく振りながら、深々と頭を下げた。


「バッタ仮面殿!誠にかたじけのうござる!」


「正義の使者として、当然のことをしたまでなのだ!では、さらばだ皆のもの!」


 バッタ仮面はそう言って跳び上がると、赤い霧となってどこかに去っていった。


「バッタ仮面さんありがとー!」


「あ、ありがとー……」


「ヤギさんによろしくだぁよ!」


 空に向かってモロコシが元気よく手を振り、シーマがやや脱力気味に棒読みで呟き、はつ江がニッコリと笑いながら手を振った。すると、どこかから、ヤギではないのだ!、という声が遠ざかりながら聞こえた。

 バッタ仮面の気配が完全になくなると、尻尾を大きく振って喜んでいる五郎左衛門に向かって、シーマが嬉しそうに目を細めて微笑んだ。


「よかったな、五郎左衛門!」


「これで、お母さんもお薬が飲めるね!」


「さ、ゴロちゃん、早くお母さんにお砂糖を持って行ってやんな!」


 モロコシとはつ江もニッコリと微笑み、ヴィヴィアンも首を左右にカクカクと動かした。


「ありがとうございまする!このご恩は、近いうちに必ず返すでござる!」


 五郎左衛門は勢いよく一礼すると砂糖石の入った調合セットを抱えて、母上、と叫びながら丸太で組まれた家の中に駆け込んでいった。五郎左衛門が転ばずに家に入ったのを見届けると、シーマがコホンと咳払いをした。


「さてと、じゃあボク達もマダムのところに帰るとするか!」


「そうしようかねぇ!」


「うん!じゃあヴィヴィアンさん、またよろしくね!」


 モロコシがそう言うと、シーマは耳を後ろに反らして全身の毛を逆立てた。


「モロコシ!?今度は場所がちゃんと分かるから、ボクの魔法で行こ……」


 シーマの言葉が終わる前に、ヴィヴィアンが立ち上がり三人を抱え込む。


「ヴィヴィアン!ちょっと、待て……ぇぇぇ!?」


 そして勢いよく跳ね上がりはるか上空で翅を広げると、市の方向に向かって猛スピードで飛んでいった。

 赤い空には、涙声の混じったシーマの絶叫が響いた。

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