第12話 ポッカリ

 赤い空の下に聳える険しい岩山。

 その山頂に建つ石造の城の一室で、赤銅色の長い髪と堅牢なツノが特徴的な黒ずくめの服を着た青年が眉間にしわを寄せている。

 

 彼はこの魔界を統べる王。

 

 そんな魔王は目下、机や棚の引き出しを忙しなく開け閉めしている。


「兄貴、補修剤は見つかったか?」


 不意に、魔王の背後から、尻尾の先を曲げたシーマが心配そうに声をかけた。魔王は振り返ると、目を伏せて首を横に振った。


「ダメだな……しばらく使ってなかったから、他の使わない工具と一緒に物置にしまったのかもしれない」


「物置か……」


 シーマは黒目を大きくして呟くと、フカフカの手を口元に当てた。シーマの思いつめた声に、窓掃除をしていたはつ江がガラスを拭く手を止めて振り返る。


「物置が散らかってるんなら、私がお片づけして来ようかい?」


 はつ江が尋ねると、シーマは片耳をパタパタと動かし、尻尾をユラユラ揺らしながら答えた。


「いや、物置の中は整理整頓してるんだけど、物置に行くまでの道がちょっと入り組んでて」


「あれまぁよ!そうなのかい!」


 はつ江が目を丸くして驚くと、魔王が長い髪を結わきながら頷いた。


「ああ。数代前の魔王が造った地下迷宮の中にあるんだが、入るたびに迷宮の構造が変わってな」


 髪の毛を結わき終えると、魔王は部屋の隅に置かれた宝箱の前まで移動し、中から白銀の鎧を取り出した。


「一応、危険な罠は全て解除したし、迷宮担当の従業員達にも別の職を紹介したからそれほど危険は無いと思うが……まだ仕組みを全て解明したわけじゃないからな」


 そう言いながら、魔王は鎧を装備していく。


「私一人で行ってくるから、シーマとはつ江は待っていてくれ……!?」


 装備を調えた魔王が腰に剣を差して振り返ると、二人の姿は忽然と消えていた。一人残された魔王は涙目になりながら、二人を探しに部屋を出た。

 一方、シーマとはつ江は謁見の間に移動していた。二人は敷かれた赤い絨毯に膝をつき、しきりにポンポンと床を叩いていた。


「おかしいな……前はこの辺だったけど……」


 首を傾げながら尻尾の先を揺らすシーマに向かって、はつ江が少し離れた場所から声をかけた。


「シマちゃーん!あっただぁよ!」


 シーマが立ち上がり声の方を向くと、はつ江がニコニコと手を振っていた。はつ江の足元には絨毯の毛足に隠れるように、白い石が埋まっていた。


「良くやったはつ江!今そっちに行くから、石には触らないでくれ!」


「分かっただぁよ!」


 シーマははつ江の元に駆け寄ると、尻尾の先をピコピコと動かしながら足元を覗き込んだ。


「ふむ。ここで間違いなさそうだ。はつ江、危ないから少し下がっててくれ」


「はいよ!」


 シーマに促され、はつ江は数歩後ずさった。シーマははつ江を見て頷くと、自分も数歩後ずさり石に向かって、ピンクの肉球がついたフカフカの白い手を向けた。そして、ムニャムニャと口元を動かして呪文を唱えると、白い石は眩い光を放った。はつ江は眩しさに思わず目をつむったが、シーマにスカートを引かれてゆっくりと目を開いた。


「はつ江、眩しくして悪かったな。目は大丈夫か?」


 はつ江はパチパチと数回まばたきをすると、ニッコリと笑ってシーマの頭をなでた。


「大丈夫だぁよ、シマちゃん。ところで、あれがヤギさんの言ってた地下迷宮の入口かい?」


 はつ江が首を傾げながら指をさした先には、大人一人が入れる程度の穴がポッカリと空いていた。


 シーマは尻尾をユラユラと揺らしながら、こくりと頷く。


「ああ、そこを降りると迷宮が広がっていて、最深部の宝物庫が物置になっているんだ」


「へー!そうなのかい!」


 はつ江は目を丸くして驚いた後、心配そうにシーマの顔を覗き込んだ。


「でも、シマちゃん。本当に一人で平気なのかい?ヤギさんについて来てもらった方が、いいんじゃないかね?」


 はつ江に心配されたシーマは、鼻の下を膨らませて尻尾を縦に大きく振った。


「大丈夫だ!何度か一人で行ったこともあるんだから!……それに、全自動集塵魔導機祝祭舞曲を壊しちゃったのはボクだし……」


「いや、それは私の設計ミスが原因なんだから、気にするな」


「うわっ!?」


 背後から急に声をかけられ、シーマは尻尾の毛を逆立てて飛び上がった。そして、顔を洗う仕草をすると、キッとした目つきをしてフカフカの手を強く握りしめながら振り返った。


「だから、ビックリさせるなって言っただろ!バカ兄貴!」


 シーマが耳を反らして尻尾を縦に大きく振ると、白銀の鎧を装備した魔王はシュンとした表情を浮かべて肩を落とした。


「悪かったよ……。でも、ダメだぞ。そんな装備で迷宮に入ろうとしたら」


「大丈夫だ!問題ない!」


 なにがしかのフラグにしか聞こえないシーマの台詞に、魔王は険しい表情を浮かべた。


「縁起でもない返しをするな!」


 心配した魔王に強い口調で叱られると、シーマは耳を伏せて俯き垂らした尻尾の先をユラユラと揺らした。


「だって……」


 目うるませ上ずった声で呟くシーマに魔王が戸惑っていると、はつ江が二人の間に割って入った。


「ヤギさんや、シマちゃんはヤギさん補修剤を持って行ってあげたかっただけだから、あんまり叱らないでおくれ?」


「そうだな……シーマ声を荒げてすまなかった」


 魔王がそう言ってシーマに頭を下げると、はつ江はニッコリと微笑んだ。そして、今度は膝を屈めてシーマの顔を覗き込んだ。


「シマちゃんも、ヤギさんはすごく心配してるんだから、意地を張っちゃダメだぁよ?」


「うん……」


 シーマはフカフカの手で目を拭うと、魔王の顔を見上げた。


「ボク一人だと不安だから、兄貴もついて来てくれるか?」


 シーマが問いかけると、魔王は気まずそうに頬を掻きながら視線をずらした。


「あー、その件なんだが……ちょっとコレを見てくれ」


 魔王はそう言うとシーマの鼻先に手を差し出し、魔法陣を浮かび上がらせた。シーマはフンフンと鼻を鳴らしながら魔法陣を覗き込み、ヒゲを垂らして脱力した。魔王も物憂げな表情をして、無言で頷く。


「二人とも、どうしたんだい?」


 二人の様子にはつ江がキョトンとした表情で首を傾げると、魔王が口を開いた。


「ああ。これは迷宮の難易度などを事前に調べる術なんだが……」


 困惑気味に答える魔王に、シーマが脱力した表情で続く。


「危険度は『安全』、難易度は『易しい』、対象年齢は『五才以上』、ここまでは良いんだけど……入場条件が『五人で挑戦すること』なんだよ……」


「……『小さなお子様は必ず大人の方とご一緒にご入場ください』、とも出ているな」


 まるでアトラクションの注意書きのような調査結果に、シーマと魔王は同時にため息をついた。二人の様子にはつ江は腕を組んで、うーん、と唸った。


「そんじゃあ、あと二人必要だぁね」


 はつ江の言葉に、シーマはギョッとした表情を浮かべた。


「はつ江も来る気なのか!?」


「なぁに!今回は安全なんだろ!?なら、大丈夫だぁよ!」


 不安そうな表情のシーマとは対照的に、はつ江は楽しそうにカラカラと笑った。すると、シーマは助けを求めるように、魔王を見上げた。


「あー……まあ、危険度が『安全』だし、難易度も『易しい』だから多少は……」


「たのもー!」


 魔王が答えあぐねていると、壁に備わった百合の花を模した拡声器から、大きな声が響いた。


「あれまぁよ、お客さんかね?」


「そうみたいだな……あれ、兄貴?」


 急に姿を消した魔王を探してシーマが辺りを見渡すと、玉座の後ろに隠れる影を見つけた。シーマは耳を反らすと、ズンズンと玉座に近づいていった。


「なんで隠れてるんだよ!?バカ兄貴!」


「だって……知らない人だったら怖いし……」


「魔界を統べる者が何言ってるんだ!?」


 はつ江は二人のやりとりを見て、楽しそうにカラカラと笑った。


「じゃあ、私が見に行って来るだぁよ!」


「あ、待ってくれ!ボクも一緒に行く!」


 はつ江が魔王城玄関に向かって歩き出すと、シーマもパタパタと追いかけた。

 


「はいはい、どちらさまですかね?」


「これははつ江どの!ごきげんようでござる!」


 玄関にたどり着いたはつ江はゆっくりと扉を開けた。するとそこには、サツマイモの入ったカゴを抱えた、小麦色のフカフカの毛並みと、厚みのある三角の耳と、円らな黒い瞳と、真っ黒な鼻と、クルンと巻いたフサフサの尻尾が愛らしい、忍び装束を着た柴犬、柴崎五郎左衛門の姿があった。


「はつ江おばぁちゃん。こんにちはー!」


 五郎左衛門の後ろから、リンゴの入ったカゴを抱えた、飾り毛のついた耳と、ボタンのように円い緑色の目と、ピンクの鼻とフカフカの白い手が愛らしい茶トラの仔猫、モロコシが顔を覗かせた。モロコシは、バッタのアップリケがついた赤い丸首シャツを着て、黒い長ズボンを履いている。


「こんにちは!ゴロちゃんにモロコシちゃん!」


 はつ江が挨拶をしていると、追いついたシーマも二人に声をかけた。


「やあ、二人とも。今日はどうしたんだ?」


 耳と尻尾をピンと立てて尋ねるシーマに一礼してから、五郎左衛門が口を開いた。


「シーマ殿下!昨日は誠に申し訳御座いませんでした!」


「その件はもう良いよ。それよりも、お母さんの具合は良くなった?」


 シーマが苦笑いをしながらフカフカの頬を掻いて尋ねると、五郎左衛門は、それはもう、と目を輝かせて答えた。


「なので、母上からご迷惑をおかけしてしまったお詫びと、砂糖石を譲っていただいたお礼として、モロコシ殿と殿下にこちらを献上するようにと!」


 そう言って五郎左衛門は、サツマイモが入ったカゴを差し出した。


「ぼくもお母さんから、いつも遊んでくださるお礼に、ってリンゴを渡されたから、柴崎さんに一緒に連れてきてもらったの!」


 モロコシもそう言って、満面の笑みでリンゴの入ったカゴを差し出した。


「あれまぁよ!二人とも、ありがとうね」


「ああ、ありがとうな。二人とも」


 シーマとはつ江はニッコリと笑うと、サツマイモとリンゴを受け取った。


「どういたしましてー」


「どういたしましてでござる!」


 シーマはお辞儀をした二人が顔を上げると、リンゴのカゴを抱えてハッとした顔をした。その表情に気づいたはつ江が、サツマイモのカゴを抱えながら首を傾げた。


「どうしたんだい?シマちゃん」


 はつ江に対して、ちょっとな、と答えると、シーマはモロコシの顔を見つめた。


「えーと……モロコシって、今何歳だっけ?」


「ぼく?えーとね……六才だよー。この間一年生さんになったばっかりなのー」


 シーマは、そうか、と呟くと、今度は五郎左衛門に顔を向けた。


「五郎左衛門、今日はこれから仕事か?」


「いえ、今日は非番でござるが……いかがなされたのでござるか?」


 五郎左衛門が首を傾げると、シーマは、ふーむ、と呟きながら尻尾をユラユラと動かした。その様子を見たはつ江は、五郎左衛門とモロコシに向かってニッコリと微笑んだ。


「二人とも、ちょっと手伝って欲しいことがあるんだけど、大丈夫かい?」


 はつ江の言葉に、シーマはビクッと身を震わせた。


「はつ江、二人にあまり無理を言ったらダメ……」


「うん、良いよー!」

「合点承知でござる!」


 シーマの言葉に被せるように返事をする二人に、はつ江はニッコリと笑った。


「二人とも、ありがとうね」


 ペコリとお辞儀をするはつ江の隣で、シーマはヒゲと尻尾をダラリと垂らした。


「二人とも、内容を聞いてから返事をしてくれよ……」


 シーマが力なくそう言うと、モロコシは耳と尻尾をピンと立ててニッコリと笑った。


「でも、お友達が困ってたら、お手伝いしたいもん!」


 五郎左衛門も目をつむって、うんうんと頷いてから、シーマに笑顔を向けた。


「そうでござる!恩人達の危機とあらば、この柴崎五郎左衛門、力の限りお手伝いするでござる!」


 シーマは嬉しそうに耳と尻尾を立ててから、コホンと咳払いをした。


「ありがとうな、二人とも。ひとまず事情を説明するから、中に入ってくれ」


 そう言うと、シーマは踵を返して城の中に入っていった。


「うん、わかったー!」

「合点承知でござる!」


 モロコシと五郎左衛門も元気良く返事をすると、シーマに続いた。

 はつ江は三人の背中を見てニッコリと微笑むと、城の中に入り扉をしめた。

 そして、パタパタと足音を鳴らして、小走りに三人を追いかけていった。

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