第9話 封印

 ホームルームが終わり、レイホは放課後になると帰宅部の友人達に用事があるとだけ伝えて姿を眩ませた。普段立ち入ることのない校舎の一角が部室棟になっており、身を隠し、物陰から覗き見るように外から見ると、各部室の窓には部活動をアピールする張り紙がたくさん張られている。レイホは部室が並ぶ廊下まで来ると、廊下の壁にも至る所に張り紙が見て取れた。そんな学校らしからぬ雰囲気に押されつつも、廊下の半ば程まで歩みを進めると囲碁部と書かれた木札を発見した。

「ここか」

 部室の扉を軽くノックすると、すぐに扉が開き、鷹鹿が顔を覗かせる。

「あ~、来てくれたんだ」

 鷹鹿の表情からは歓迎も迷惑も感じ取れない淡泊なものだった。

 中を隠すようにして鷹鹿が廊下に出てくると、今度はあからさまな愛想笑いを浮かべる。

「いや~、ようこそ。わざわざ来てくれてありがとう」

 レイホは笑みを返すことはできず、部室を覗き込むように体を傾けながら問いかける。

「えっと……中に入らなくていいんですか?」

 鷹鹿は後頭部を掻きながらレイホから目を逸らした。

「ん? あぁ、中ね……。うんうん。いや~まいったな」

「え? 何かあったんですか?」

「ちょっとしたクレームがあってね」

「クレーム?」

「うむ……気を悪くしないで聞いてほしいんだが、レイホ君のその鼻がね……」

「なんですか? 別に嗅ぐ気なんてないですよ?」

 普段、口から呼吸することに慣れているレイホだったが、女子とすれ違う瞬間や至近距離の女子がいる場合は直ちに鼻呼吸に切り替えている。

 このようなことは普通の人間には判別できないし、理解もできないだろう。だが、レイホが今かかわっている相手はレイホの同類であり、その行動パターンの全てが見抜かれていた。

「ま、まぁ落ち着け。今の状態での入室は無理だ」

 ご馳走をおあずけされたレイホの荒ぶりはその声に反映される。

「ちょ……ひどいじゃないですか! 鷹鹿さんが誘っておいて部室にも入れさせないなんて! なんですか? 差別ですか!?」 

「だから落ち着けってレイホ君。ちゃんと中には入れるから」

 鷹鹿は苦々しく微笑みながらレイホの肩に手を添えて宥めるも、レイホは意気消沈して俯いてしまう。

「ひどい……あんまりだ……」

 鷹鹿は落ち込むレイホを見て、まだ自分自身のことをよくわかっていないのだな、と嘆息を漏らすと眼鏡のブリッジ部分に手を添えながら、生真面目そうな口調で問いかけた。

「レイホ君。君の嗅覚は自然認識型であり、間接型ってことは理解しているよね?」

「どういう意味ですかそれ」

 キョトンと小首を傾げるレイホに鷹鹿が続ける。

「つまり、俺の視覚と比べた場合、俺は接近して特定の角度ということが条件になるが、レイホ君の場合だと特にこれといった条件は不要で、人知れず嗅ぎ果せることができるわけだ。それは女子と間近で接する場合、ちょっと難があるとは思わないか?」

「あぁ……中にいる白鳥が僕のことを警戒しているんですね……」

「そういうことだ。レイホ君の能力はちょっと異質でね。レイホ君がいつ嗅がずにいて、いつ嗅いでいるのかわからないと不安なんだよ」

「嗅ぎませんよ! 中に入っても嗅ぎませんから!」

 レイホは部室のドアノブに手を掛け強行突破を試みるが、鷹鹿に押さえつけられる。

「だ・か・ら、それは自己申告にすぎないわけだ。レイホ君はノーズクリップを付けたことあるか? シンクロナイズドスイミングの選手が付けているような」

「ノーズクリップ……? 鼻栓のことですか、ないです。というかそんな目立つもの付けて外を出歩いているほうが怪しいですよ。格好悪いですし」

「だよねぇ、だから我々も試行錯誤した結果、これが無難だと思われるものに行き着いた」

 そう言って、鷹鹿は部室の扉を少し開いて中から何かを受け取った。

「レイホ君がこれを付けてくれれば中にいる女子は警戒しないから」

 鷹鹿が差し出したのはごく普通のマスク。レイホはそれを手に取ると、さっそく装着しようと試みる。

「あ……これは」

 それは表からみれば普通のマスクだが、マスクの内側上部にノーズクリップが接着されていた。付け終えたレイホの口から思わず本音がこぼれる。

「これ……これじゃ嗅ぎたいときに嗅ぐこともできないじゃないですか!」

「ん? やっぱり嗅ぐ予定だったのか」

「い、いや……そうは言ってません」

「どうだ? しっかり装着されているか?」

 鷹鹿はレイホの鼻を上から覗き込み、隙間なくノーズクリップがはまっていることを確認した。

「よし! では入ろうか!」

 このようなマスクをしないと対面できない口惜しさを噛み殺し、レイホは囲碁部室の中へと足を踏み入れる。

 レイホの目にまず飛び込んできたのは大きなホワイトボード。中を見渡すと、そこは六畳ほどの狭い部屋で中央には横長の机が置かれていた。

 レイホが入室して数秒すると、ホワイトボードの裏から白鳥が片目を覗かせ、レイホのマスクを確認したところで、含み笑いで口元を抑えながら姿を現した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る