第8話 混乱と妄想

 教室へと戻ったレイホは、白鳥の椅子をレイホの机に引き寄せて座っているイキルと対面した。よくもまぁ抵抗もなく白鳥の椅子を使えるものだと、なくなりかけているイキルの弁当から椅子の足へと視線を移した。

「白鳥と間接ヒップしているな……」

「何言ってるの? 大丈夫レイホ」

 この時のレイホは弁当を手で食べようとするほど混乱していた。囲碁部に入部した話などイキルにはとても打ち明けることができない。中庭での出来事はレイホの高校生活を大きく揺るがすものであり、得体の知れない別世界に引きずり込まれたに等しい。極めつけは白鳥依流果に起爆スイッチを握られてしまっていることだ。今のレイホはいつ呼び出しがかかっても不思議ではない死刑囚の心境だろう。教室を見渡せば、隅で数人の女子に混じった白鳥の姿が見て取れた。白鳥はこちらには目も向けていない。

 イキルがミートボールをかじりながら、いつもより挙動不審なレイホに訊いた。

「どこ行ってたの? トイレ?」

「ああ、ちょっと絡まれてたかな」

「昨日のことで、か。大変だなぁ、あんなことするから」

 レイホは苦笑いを返すと、唾液の分泌が少ない口内へと強引に弁当を詰め込み始める。

「さっきも何人かレイホのこと探しにほかのクラスの男子達が来てたよ?」

「ここで騒がれると面倒だな」

「そうだね、口を滑らすやつが出てくるかもしれないからね」

 弁当を平らげると、イキルのところへ白鳥が近寄ってきた。すぐ隣に立ち竦む白鳥に気付いたイキルは「ごめんごめん、椅子ありがとね」と爽やかな笑顔で椅子を差し渡した。

 白鳥はこれに何ら応えもせず、無表情のままで椅子に手を添えたが、腰かける前にレイホを射止め殺すような眼光で一瞥した。

 嗅ぐなってことかな、白鳥の敵意に満ちた視線をそう捉えたレイホだが、その判断の半分は当たっていた。どう見ても前後間隔がおかしいのにどうやって嗅ぐんだと思う傍ら、あんな変態上級生を受け入れるくらいだから、自分にも脈はあるという都合の良い解釈をする癖は治ることはなかった。高校受験で抑圧されてきたのはレイホも同じ。抑制されればされるほど、逆の衝動がこみ上げてきた。

「そんなにツンツンして……、本当は他の誰よりも気になる男子なんじゃないのか? 部活でこれから毎日一緒に過ごすのかぁ。白鳥と放課後部室で二人きり、なんて場面になったらどうすればいい?」

 午後の授業が始まると同時に、レイホは白鳥の背中を鼻を伸ばして見つめながら、良からぬ妄想を始めていた。放課後の部室でイチャイチャしてから、一緒に帰宅してお泊りするまでを妄想し終わると、レイホは前に鎮座する白鳥の聴力が真のものか調べるために、授業中にもかかわらず微かな囁き声でセクハラじみたことを口にして、その反応を窺おうと試みる。

「ああ…、白鳥の背中ペロペロしたい」

 すると、ブルッと肩を竦ませた白鳥が急に立ち上がって手を挙げた。

「すみませんトイレ行ってきます」

 白鳥は机の中から薄ピンクのポシェットを取り出して反転したが、その遠心力を利用してポシェットがレイホの顔面をクリーンヒットする。

 レイホの目前に散らばる無数の星々が消え去る頃には、白鳥は後方扉から消え去っていた。この行為によって耳栓をした状態でもかなりの聴力があると確信したレイホだが、その確信と同時に夜の営みへの不安と放課後に逆撃を受ける可能性とを考えると息が詰まる思いがした。 

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