第7話 喝勧

 別校舎と玄関口を繋ぐ通路は真っ平らな白いコンクリートで凹凸すらない。鷹鹿は中庭からその通路沿いに進むと、桜咲との距離が五メートルかというところで片膝をついて座り込んだ。

 それはあたかもカーリングのようで、スマホをストーンに見立てているかのような体勢だ。コンクリート上に置かれた右手のスマホを前後に動かしている。鷹鹿の視線の先には桜咲ちひろ。

 狙いが定まったのか、鷹鹿はスマホを大きく後方に振りかぶり、桜咲の足元目掛けて一気にスライドさせた。投げ入れた方向は桜咲の完全なる死角。

 ここからは瞬きする間もなかった。立ち上がった鷹鹿は滑り行くスマホに追従するように素早く、足音を立てず忍びのように桜咲の背後に迫った。

 床を這い進んだスマホは桜咲の足元でピタリと停止する。鷹鹿があれを拾いに向かっていることは誰しも予想がつくが、その拾い方が普通ではなかった。

 桜咲の背後まで辿り着いた鷹鹿は、くるりと反転し桜咲と背中合わせの状態になると、左手で眼鏡のブリッジを掴んでその眼鏡を外した。次の瞬間、鷹鹿の上半身が後ろに大きく仰け反り、背面飛びをする勢いで仰向けのまま、右手で床のスマホをキャッチする。そして、すぐさま身体をひねり初めの片膝をついた体勢へとシフトした。この時、既に左手の眼鏡は元の鞘に納まっていた。

 レイホは見逃さなかった。スマホを異様な体勢で掴んだ瞬間の鷹鹿の視線を。人の気配を感じ取った桜咲が振り返る頃には鷹鹿の体勢は、転げ落ちたスマホを拾う男子にしか映らなかったであろう。鷹鹿は何事もなかったかのように桜咲に軽く会釈だけすると、ポンポンとスマホの汚れをはたきながら何食わぬ顔で中庭へと戻ってきた。

 

 鷹鹿が見せてやると言った能力の一部始終を目撃したレイホの心境は複雑だった。

 変態行為歴三年のレイホだからこそわかることの一つが、あのスマホだ。女子更衣室侵入など、大それたことをしようとする場合の大義名分として鷹鹿はスマホを利用している。それもあの傷の量からして、何度となくあの手法を用いているのだろう。

 そして、レイホにはどうしても解せないこと。それは鷹鹿のあの落ち着きと白鳥依流香という女子を引き連れているということだ。

「レイホ君、俺の力がどういうものか、わかってくれたかな?」

 清爽な笑みでそう問いかける鷹鹿からレイホは目を逸らしてぼそりと呟いた。

「見たんですか?」

「そうだな。俺には容易いことだ。人には得手不得手というものがあるからな」

 レイホ同様に女子から嫌悪されるような行為をしているにも関わらず、この男からは後ろめたさも罪悪感も感じられない。

「とんでもない変態じゃないですか」

 レイホはそんな鷹鹿を怒気に満ちた表情で睨みつけた。


「口を慎みなさい!」


 パァァアンと風船が弾けたような音が中庭に響いた。白鳥のビンタで鷹鹿を睨みつけたレイホの顔は意もしない方向へその向きを変えた。

「部長のこと何も知らないくせに調子に乗らないで! あんたが変態だとしても部長は違うわ? 一緒にしないで!」

 脅迫の次はビンタか――――。

 俺が何かおかしなこと言ったのか? いや、おかしいのはこいつらのほうだ。それに何だこの白鳥の忠誠心は。こんな変態に忠誠を誓うならなぜ俺にも忠誠を示さない?

 理解できないことだらけだが、はっきりとわかっていることがある。

「黙って女子のスカートの中を覗くのは変態だと言っているんだよ! 白鳥も見ていただろ? 何だよあの早業は! 変態の極みじゃないか! 逮捕されたっておかしくないぞ!」

 しばしの沈黙の後、白鳥はセミロングの髪に指を通しながらすまし顔で言った。

「証拠はあるのかしら」

 その言葉を聞いてレイホは自身と、この二人との決定的な違いに気づく。

 この二人にはレイホのようにバレることへの恐れや背徳感がない。良く言えば完全犯罪者だが、これはレイホが怯えるばかりの境遇を打開するきっかけになるのかもしれなかった。

 レイホは言い返す言葉が見つからず、鷹鹿へとまた視線を移そうとしたところで白鳥が鼻高に言った。

「私からも何一つ証拠なんて出てこないわよ」

 一瞬でもこいつらを認めようとした俺が馬鹿だった! お高くとまりやがって! 

これまで何度となく女子バレを起こしていたレイホは、そんな白鳥の悪びれなさが許せなかった。

「盗聴……、盗聴なんかしやがって! 俺の夜の営みなんか盗聴しやがって! この変態女が!」


「いい加減にしろ!」


 ゴムパッチンを遠くから勢いよく離したような音が中庭に響き渡る。男のビンタはこんなに痛いものかと、レイホの首がねじれる時、ゴキッと異様な音がした。

「仲間同士で争うことは俺が許さん! レイホ君は今の状況に満足していないのだろう? 共に行動すればレイホ君が今抱えている不安は解消できるし、手に入れたいものにも安心して手を伸ばすことができるんだ。はっきり言ってレイホ君の行動には隙がありすぎる。見てられないんだよ」

 首が折れてはいまいかと何度も首を摩りながら、鷹鹿の話に耳を傾けると、たしかにそうかもしれないと、僅かに首を縦に振り始めるが、レイホは鷹鹿にどうしても問い質したいことがあった。

「何色だったんですか?」

「何のことかな?」

 鷹鹿は白鳥ならわかるかと視線を傾けるが、白鳥はそんな鷹鹿を視界から外した。

「とぼけないでください。さっきの女子のし、下着…、見たんですよね? あの子は僕に気があるので勝手にあんなことされたら困りますし、やってしまったなら、それはそれできちんと報告してもらわないと困ります」

 聞き出すまでは絶対に引き下がらないとばかりに、レイホは鷹鹿に詰め寄った。鷹鹿はそんなレイホに両手を掲げて宥めるようにして言った。

「ああ、下着の色ね。はっきり言わないから何のことかと思ったよ」

 受諾の意思表示と共に、レイホの声が荒々しいものへと変わる。

「入部しますから! 共有できることは共有しましょうよ!」

「あんたまさか桜咲さんの下着の色知りたさに入部するんじゃないわよね?」

 そんな下心で入部されたら困ると、白鳥のいつもより低い声には怒りが感じられた。

「そ、そんなわけないだろ!」

「本当かしら、怪しすぎるわ」

 目を泳がせているレイホを鷹鹿だけが疑惧しつつも見つめていた。

「まぁ、共有する意味が最もあるのは白鳥君なんだが、俺も色くらいなら伝えることができるな、ただ……」

 顎に手を添えて黙考する鷹鹿を見て、お預けに耐えられなくなったレイホがついには地団太を踏み始める。

「なんですか! 早く教えてください!」

「いやね、レイホ君はこれを聞いて満足だろうが、レイホ君が得た情報は共有することができるのかい?」

 レイホにはまだ確信がなかったが、白鳥が本当に微かな音すら聞き取ることができるとしたら、その情報収集能力は欠かせないものとなるだろう。仮に鷹鹿の視力がずば抜けていた場合、その『覗き見る』能力で得た情報は、レイホにとっては是が非でも共有してほしいものだ。だが、レイホの場合は得る情報があまりに抽象的過ぎるし、内部で帰結してしまっている。己が満たされるだけで、それを他者に分け与えることが困難なのだ。テレビの料理番組でよく、この香り伝わりますかねーなどという場面があるが、伝導力のある視覚と聴覚を除いて、他は自身が直接感じ取るしかない。味覚、嗅覚、触覚というものは、いかに詳細に表現したとしても、伝える相手の過去に照らし合わせて、これに近いものかなと想像させるしかない。つまり、複製して伝えることができないということだ。

 レイホは暫しの沈黙の後、口を尖らせながらぼそりと言った。

「甘い香りだったとか、洗剤とか石鹸とかの香りだったとか言えますけど……」

「それじゃ公平とは言えないね。まぁ、共有することに拘る必要はないよ。互いに助け合う為の部活だからね。放課後早速部室に来ると良い。まだ話したいこともあるからね」

 俯き加減のレイホを中庭に残して、二人は渡り廊下まで進むと二手に散っていった。

 多くの謎と期待を残した突然の来訪者達。

 今のレイホには、あれは変態が徒党を成す変態コミュニティとしか思えない。ただ、白鳥にはバレているとしても、他の女子にバレる不安から解放されると思うとその胸は高鳴った。

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