第6話 傷だらけのスマホ

 「神楽レイホ君だね?」


 校舎壁に拳を当てたまま座り込んでいるレイホの背後から声が聞こえた。

 レイホが振り返ると、そこには長身で細身の男が立っていた。見知らぬ男の来訪に、レイホはえぐる様な視線を浴びせる。

 髪は七三分けぽいが、男にしては長めで片側の目が隠れるほど伸ばしている。やや鋭角の眼鏡をかけ色白なせいか一見、賢そうには見える。レイホの視線が足元にまで及ぶと、疑念と共に瞬きを繰り返した。

「えっ…と、何ですか?」

 上履きの色が異なる眼鏡の男は軽くほくそ笑むと、レイホの手を取って立ち上がらせた。

「いやぁ、ようやく会えたね」

 眼鏡の上からでもはっきりとわかるほどの笑みを浮かべながら、レイホの肩にポンと手を乗せた。

 どうせこの人も女子更衣室の話を聞きつけたパリピの片割れだろう。レイホはその男の手をすぐに振り解く。

「何なんですか! あなた上級生ですよね? 僕に何の用ですか!」

 その男は怒鳴られ、腕を振り解かれても、作り笑いともとれる笑みを崩さなかったが、地面に首を向けた後、その表情はレイホをこれから射殺すかのような鋭いものへと一変する。

「俺は二年の鷹鹿皇介だ。囲碁部の部長を務めている。レイホ君は部活動決まったのかい?」

 何かと思えば部活の勧誘か、レイホは呆れ果てたように空を見上げてフーッと息を吐いた。レイホは精気の感じられないだるそうな声で答える。

「ああ…、部活は今のところ考えていませんのでー」

 レイホが部活動を避けていたのは、部活動をすれば放課後の校舎に居座ることとなり、中学時代同様の衝動に耐えるだけの自信がなかったからに他ならない。

 明らかに脈のないレイホの返答だったが、鷹鹿はそれを意に介すどころか、眼鏡のブリッジに手を添えてクックックと嘲り笑い始める。

「レイホ君…、君が囲碁部なんかに入りたくないのはわかる。わかるが……、君はもう入るしかないんだよ」

「は? どういうことですか? 囲碁とかほとんどやったことないですし」

 鷹鹿は視線を校舎の玄関先へ移すと、そちらに向けて軽く手招きをして見せた。レイホも追うようにして鷹鹿の視線に合わせると、一人の女子がこちらに歩み寄って来た。

「なっ……! し、白鳥!」

 なぜこの場に白鳥が? 状況を全く理解できないレイホは、二人の顔色を窺いつつも後ずさり始める。嫌な予感しかしない。この不気味な笑みを浮かべる上級生と白鳥依流香。まさか、女子更衣室のことが既にバレて……? というか、この二人の関係は?

 そこまでの疑念と推測が進むとレイホの額からは脂汗が滲みだした。

 白鳥が鷹鹿のすぐ脇まで辿り着くと、レイホから鷹鹿へとその視線を移した。

「レイホ君。白鳥君のことは知っているね。白鳥君も囲碁部の仲間なんだよ」

 そうなんだろうな、とは予想がついたが、だからなんだと言うのか。レイホは汗を手で拭いながらではあるが、取り乱すことはなかった。

「だから何だというのですか?」

「うむ、君はまだ白鳥君の力を知らないから仕方ないんだが……」

 鷹鹿はそう言って、白鳥に目を向けると白鳥はコクリと軽く頷いた後、口を開いた。

「神楽、あんたのことは調べさせてもらったわ。あんたの言動は全て筒抜けなの。昨日のことも当然知っているわ。これがどういう意味かわかる?」

 白鳥の顔をチラチラと見るだけで目を泳がせていたレイホだったが、女子更衣室のことがバレていたとなると只事ではない。レイホの顔からは血の気が引き、次第に青ざめていった。

「つ、つまり……、そ、それは……」

「そうね、入らないとバラすわ? あなたそれでも良いの?」

 レイホが長きに渡り切望していた女子との会話が『脅迫』から始まるとは誰が予想しただろうか。ただでさえ崖っぷちに追い詰められていたのに、これはもう喉元に剣を突き付けられたようなもの。

 白鳥の言葉でレイホの腰は砕けて天を仰いだ。

 全ての退路が塞がれたレイホに追い打ちをかけるように白鳥が続ける。

「ちなみに、あなた、昨日寝る前にアダルトサイトの〇〇ビデオ見ていたわね? あれだけならまだしも、あなたASMRの耳舐め音声を同時に……」

「うわああああああああああああああ! おいおいおい!」

 膝を地に屈したレイホがヘッドバンキングするように上下に頭を振るった。

「なんで! なんでそんなことがわかるんだ……!」

 涙と鼻水でくしゃくしゃになった顔をしたレイホが白鳥を見上げたが、その答えは鷹鹿が受け持った。

「実はね、白鳥君は今も耳栓をしているんだよ。白鳥君は聴覚が異常に優れていてね、それを抑えるためにそうしているんだ。そう、レイホ君が普段、口から呼吸しているようにね。ちなみに俺の視力はちょうど俺の年齢ほどあるが、この眼鏡で常人ほどまで落としている」

 耳が良いから? 俺は昨夜ヘッドホンをしていたんだぞ? ありえない…、けど、そこまで知っているのはなぜだ? ハッキングでもされているのか? それに、なぜ俺が口から呼吸していることを知っている? 年齢ほどの視力って十六とかか? 何言ってんだこの人は。

 この上級生といい白鳥といい気味が悪い。かといって拒否すれば女子にバラされる。既に虫の息になりつつあるレイホが、か細い声で口を開いた。

「よ、よくわかりませんが……、言うことを聞くしかないようですね……」

「あまり乗り気じゃないようだな。よし! 俺の力も見せてやろう。嫌々来られても困るからな」

 鷹鹿はおもむろにスマホをポケットから取り出した。

「そうだな…、あの女子にするか」

 そう言って鷹鹿が指し示したのは玄関口で会話している二人の女子だ。レイホがそちらに目を向ける頃には二人の女子は一人だけになっていた。

 鷹鹿の右手にあるスマホは四方にヒビが入っており、擦り傷のような目立ったものが無数に刻まれていた。鷹鹿がそのスマホを使って一体何をしようとしているのか、レイホはただそれを猜疑心に満ちた細目で見守る他なかった。

「しっかりと見ておくんだぞ」

 そう言い残して、スマホ片手の鷹鹿はその女子へと近づいて行った。

「あ、あれは…、桜咲ちひろ……」

 レイホが嗅ぎ仰せられなかった相手。その相手に向かって何をしようとしているのか、レイホはむくりと立ち上がり、鷹鹿の動向を食い入るように見つめた。

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